SDGsGoal5(ジェンダー平等を実現しよう)│ネパール│女性への暴力根絶なるか

│ネパール│女性への暴力根絶なるか

【カトマンズIDN=シャイリー・バンダリ】

2008年5月23日、10人のネパール人女性が、史上初めて女性だけのチームとしてエベレスト登頂に成功した。この歴史的な成功は、ネパールの女性たちにひとつのメッセージをもたらした。「女性が征服できない頂上は世界にはない」。

本国のネパールでは世界最高峰登頂というこの快挙を「ネパールの女性にとっての大躍進」として大いに祝福された。一躍時の人となった遠征隊のメンバー(シュシミタ・マスキ、シャリリ・バスネ、ニンドマ・シェルパ、マヤ・グルン、ポージャン・アチャルヤ、ウシャ・ビスタ、アシャ・クマリ・シン、ナワン・フティ・シェルパ、シュヌ・シュレスタ、ペマ・ディキ・シェルパ)は、その知名度を生かして国内各地の学校を訪問し女性の機会均等を訴えるキャンペーンに参加している。

 
長年に亘って女性がつねに周縁的な役割ばかりを持たされてきたネパール社会では、このことは非常に大きな意味を持つ。今日ネパール女性は、不人気な王政と10年に亘って戦ったネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)率いる内戦の参加者として、そしてギャネンドラ前国王の独裁政治に終止符を打った2006年の大衆デモの参加者として、文字通りその役割が改めて見直されつつある。
 
 1996年の内戦勃発まで当時のネパール王国において女性や少女が武装して戦う光景は想像できないものであった。しかしマオイストの人民解放軍では、兵士の3分の1以上を女性が占めており戦力の大きな部分を担っていた。ネパール女性たちは、政治に深く関与するのみならず、彼女たちの多くが家計の唯一の稼ぎ手となっており、こうした中で、女性の地位は改めて評価されはじめている。

「変化の担い手」

ネパールでマオイストと王党派の和平調停に関与したスイスのギュンター・バチェラー氏は、2006年に平和と民主主義を叫んで大衆デモを引き起こしたネパール人女性たちを「変化の担い手」と呼び、彼女たちが民衆革命を成功裏に導いた立役者であったと述懐している。

「人権侵害や免責、人間の安全保障の問題が、国中で女性運動を生み、国家機関の中だけではなく、カトマンズなどの街角で女性たちが声を上げることになった。」バチェラー氏はこうした見解を、「人間対話センター」が2010年8月に発行した報告書「ある調停者の見方―女性とネパールの和平プロセス」のなかで展開している。

こうした活躍にも関わらず和平交渉の席に多くのネパール女性を参加させるという目標は達成できなかった。しかし、主要政党の女性議員や個々の女性活動家の中には、準備会合や諮問会議、キャパシティビルディング活動への参加や包括和平合意(CPA)後に平和復興省となった平和復興事務局との協議への参加を果たした者もいた。

「とりわけ、各政党代表、平和復興事務局、地域代表、国際アドバイザーで構成された『平和タスクフォース』(ネパール平和移行イニシアチブ支援)には多くの女性が参画した。」とバチェラー氏は述懐している。

2006年に和平合意が成立する以前から、女性運動は成功を収めていた。2002年には、中絶が合法化され、女性が誕生と同時に財産を相続することができるようになった。2006年には、最高裁が、妻が不妊の場合に夫は妻と離婚できるとする法律を破棄した。そしてまもなく女性が子供に市民権を付与する権利が認められた。また同年には、国家公務員の3分の1を女性とするよう定められたほか、選挙制度は比例代表制が導入され政界進出への門戸が大きく開かれた。

その結果、南ネパール制憲議会(定員601議席)には、将来の憲法上の女性の権利にかかわる重要案件に関しては声を一つにして行動する197名の女性議員が誕生した。また、サハナ・プラダン氏がネパール初の女性外務大臣に就任した。

また、2009年には、ネパール議会は、ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)を犯罪化する法案を通過させた。

こうした一連の進展により、ネパールは国連安保理決議1325号を具体的に実施に移した数少ない国となった。同決議(今年10月31日に10周年を迎えた)は、平和・安全に向けての取り組みの中での女性の平等な権限及び参加、並びに性的虐待を含むあらゆる暴力から女性を保護するよう求めている。

現場の実情

またこうした成果の背景には1990年代にネパールの民主政治復活を求めて最前線で活動したビンダ・パンデイ氏のような女性の活躍があった。「ネパールの新憲法に男女平等が明記されることは極めて重要なことです。」と女性・平和活動家でFundamental Rights and Directives Principle Committeeの議長をつとめるパンデイ氏は語った。同委員会は将来におけるネパールの市民権のありかたを示し新憲法に具現化する任務を課されている。

パンデイ氏は未解決の数多くの問題について、「ネパール女性はアドボカシー活動においては今のところ成功を収めています。しかし政治制度は圧倒的に男性に支配されている世界ですから、具体的な主張を、とりわけ女性に対する性暴力の防止や犠牲者に対する支援を法制化するということになると、より説得力をもつスキルを身に着ける必要があります。」と語った。

明らかにこの見解を共有するネパール最高裁判所は、政府に対して、性差に基づく暴力撲滅年と宣言した2010年を有効に活用し、女性に対する暴力を犯した者を不必要な遅延なく罰する「裁判所」を設置するための必要前提条件を検討するよう求めた。

しかし、ネパールでは女性への暴力に関する統計は整備されておらず、問題の実態を把握することは難しい状況にある。人権問題に関するネパール初のポータルサイトである「INSEConline.org」によれば、2008年には国内で225件の強姦事件があったという(未遂を含む)。犠牲者は33カ月から63歳の233人の女性でその内162人が16歳の少女であった。いくつかの事件では犠牲者は強姦の後に殺害されている。また、31件については犠牲者は複数の男性に暴行を受けていた。

法の不在

INSEConlineは当該事件の犯人についてもプロフィール分析をおこなっている。これによると犯人の年齢層は13歳から79歳で大半が犠牲者の身近にいるものであった。また、彼らの大半が法律の抜け穴ゆえに罪を追求されることはなかった。このことについてネパール最高裁判所のスリカント・パウダー報道官は、「法の不在」という観点から、こうした犠牲者に対して補償したり社会復帰を支援したりする方策が不在な点を批判している。

もう一つの未解決の問題は、毎年ネパールからインドに数千人の単位で若い少女たちが家族によって主に家政婦等の名目で「売られる」人身売買の問題である。人権団体によると、彼女たちの多くは売春婦にさせられ、残酷な搾取に晒されている。

またもっとも酷い人権侵害に晒されているのは未亡人と(不可触賤民カースト)ダリットの女性たちである。国連女性開発基金(UNIFEM)によれば、ネパール国内に未亡人は80万人でその内76%が35歳未満である。夫を失うことによって女性は社会的に孤立し、法律が執行されない環境の中で、差別や暴力、性的な搾取の餌食になりやすくなる。

最も貧しいダリットの未亡人ともなると、時にその環境そのものが女性の不幸や死因にもなりえるのである。このような実態はカトマンズの南約40キロにあるラリトプール地区で起こった事件の犠牲者の事例が端的に物語っている。彼女は家畜が数匹死んだことを咎められ、激しく殴打された後に投獄され無理やり自分の排泄物を食べされられる虐待をうけた。彼女は強制的に罪を認めさせられたのち、ようやく釈放された。彼女は裁判所に訴えでたが、結局彼女を虐待した人々は罰金を支払っただけで断罪されることはなかった。

ビンダ・パンデイ氏のような女性活動家は、ネパールの男性議員達に対して性差に基づく暴力を公に糾弾するよう求め続けている。しかし彼女たちの声が聞かれるかどうかは未知数である。バチェラー氏はネパールの各党国会議員たちは制憲議会を党利党略と自身の勢力拡張のための駆け引きの舞台に利用していると非難している。

「女性国会議員達は‐その多くが初めて政界に足を踏み入れた人々‐当然ながら、こうした各政党の男性指導者たちによる不毛な争いを止めることはできなかったのです。」とバチェラー氏は嘆いた。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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