【テヘランIDN/イラン・レビュー=フィロウゼ・ミラザヴィ】
世界中のイラン人が、最も古くから続くペルシアの祭りの一つである「ヤルダー」を祝う。この祭りの起源は、ペルシア人のほとんどが、イスラム教が伝わる以前のゾロアスター教信者だった時期に遡る。
ヤルダーの祭りでイラン人は、冬の到来と太陽の再生、闇に対する光の勝利を祝う。
1年の内で最も夜が長いヤルダーの夜は、古代ペルシア人が、光の女神であるミトラの誕生を祝う夜である。
「誕生」を意味するヤルダーは、ペルシア語に引き継がれた古代シリア語である。これはまた、「シャブ・エ・チェレー」(Shab-e-Chelleh)とも呼ばれ、秋の終わりの夜でもあり、1年で最も長い夜でもある冬至(12月21日)の儀式である。
古代ペルシア人は、1年で最も夜が長い日には邪悪な力が支配的になるが、その翌日は「智恵ある神」である「アフラ・マズダー」(Ahura Mazda)に属すると信じていた。
イランに加えて、アフガニスタンやタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、それにアゼルバイジャンやアルメニアのような一部のコーカサス諸国にも同じ伝統があり、毎年この時期にはヤルダーの夜を祝う。
この夜、(通常はその最も年長者の家に)親族が一堂に会し、一晩を寝ずに過ごす。恩寵を与える神へのお供え物としてナッツやスイカ、ザクロが出され、古典的な詩や古くからの神話が読み上げられる。
イラン人は、冬の到来を夏の果実を食べることで迎えた者は、寒い季節の間、無病でいられると信じている。従って、メロンを食べることは、この夜の最も重要な伝統の一つなのだ。
フルーツの入った籠の一番上に盛られたザクロは、世代の再生と復活を意味する転生を思い起こさせるものだ。ザクロの外側を覆う紫は、誕生あるいは夜明けを、鮮やかな赤い種は人生の熱情を象徴する。
古代ペルシャ人は、日が長くなってくると、冬の最初の晩(今年は12月21日だった)に闇が光に打ち負かされ、一晩中その祝いをしなくてはならないと信じていた。13世紀のイランの詩人サーディが詩集『(果樹園)ブースタン』の中で、「真の朝は、ヤルダーの夜が過ぎるまでは訪れない」と書いている。
初期のキリスト教徒はこの古代ペルシアの祝いを、光の女王であるミトラと預言者イエス・キリストの誕生日に結びつけた。「太陽と預言者イエス・キリストはその誕生において互いに近づいた。」と、あるイランのヤルダーの物語は記している。
今日、クリスマスはヤルダーの夜から数日離れた日に祝われている。しかし、クリスマスとヤルダーは、一晩中特別な食べ物を共に家族や友人と過ごすという点で、似たような形式で祝われている。
ペルシアを含めたほとんどの古代文化では、太陽暦の始まりは、闇に対する光の勝利や太陽の再生の祝いでもってなされる。たとえば、4000年前、エジプト人は太陽の再生を1年のこの時期に祝っていた。その祭りは、陽暦が12分割されていることを反映して、12日間続いた。
古代ローマの祭り「サトゥルナリア」(農業の神サターン)と「ソル・インヴィクタ」(太陽神)は、西洋世界において最もよく知られた祝祭だ。
イラン人は、再生の祭りをバビロニア人から採り、ゾロアスター教の儀礼に組み込んだ。ペルシア月「アザール」の最後の日は、1年のうちで最も長い夜であり、邪悪な力が最もその力を増す日だとみなされている。
その翌日は、「コーラム・ルーズ」あるいは「コーレ・ルーズ」として知られる、「デイ」月の最初の日(太陽の日)であり、これは「智恵の神」であるアフラ・マズダーに属している。この日を境に日が長くなり夜が短くなっていくことから、この日は闇に対する太陽の勝利の日ということになる。この日は、「デイ」月の最初の日にアフラ・マズダーに捧げられる祭り「デイガン」として祝われる。
邪悪な力の敗北を確固たるものにするために火が一晩中焚かれる。祝宴や寄付行為、そして祈りが、太陽の完全なる勝利を確定するために催される。これは、冬の作物の保護のために絶対に必要なことなのだ。ミトラ(メール)への祈りとそれに捧げる祝宴がある。なぜならミトラは、「ハバンガ」として知られる「早朝の光」を守る責務を負ったアイザド(=神:Yazata)だからだ。アフラ・マズダーは、すべての儀礼がこの際になされたならば、とりわけ子供を授かることを望む者に対して望みを聞き入れるとされている。
祝祭の趣旨の一つは秩序の一時的な転覆というところにある。主人と従者は役割を交代する。白衣の王は市井の民と場所を替わる。偽の王が戴冠し、仮面舞踏会が街頭で行われる。古い日々が過ぎ去るにつれ、日常生活の規則は緩んだ。この伝統はササン朝以前まで生きており、有名な科学者で旅人のアル=ビルーニ氏やその他の人びとによって、イスラム以前の儀式と祝祭を記録するなかで言及されている。
その起源は、古代バビロニアの新年の祝いにまで遡る。彼らは、最初に創造されたのは、混沌の中から生まれた秩序だと考えていた。創造に感謝し祝うために、彼らは祝祭を催し、すべての役割がひっくり返された。その日は無秩序と混沌が支配し、その後、祝祭を終わらせるに際して秩序が回復された。
イラン最古の住人であるユダヤ人は、「シャブ・エ・チェレー」に加えて、ほぼ同時期に「イラナウト」(木の祭り)の祝祭を行う。
イラナウトの祝いは「シャブ・エ・チェレー」によく似ている。蝋燭が灯され、数々の乾燥あるいは生の冬の果実が食される。特別な食事が準備され、祈りが捧げられる。ロシア南部の一部でも祝祭があり、地域的なバリエーションを持った「シャブ・エ・チェレー」と同じものである。人間と動物をかたどった仔牛肉が焼かれる。焚火の周りで、収穫の動きに似せた踊りを人々は舞う。
これらすべての祝祭の比較と詳細な研究によって、にぎわいを主たる趣旨とした古代からのこの素晴らしい祝祭の忘れられた側面に光が当てられることになるだろう。
この数百年で加えられたヤルダーの夜の別の伝統は、14世紀イランの詩人ハフェズ氏の古典詩の朗読である。
家族の一人一人が願い事をし、適当に開けた本のページを家族の最年長者に音読するように依頼する。詩に表現されていることが、願い事の解釈であり、それが実現するか、どのように実現するかを表すと信じられている。これは、「ファアル・エ・ハフェズ」(或いはハフェズの占い)と呼ばれている。
冬の始まりと時期を合わせたヤルダーは、収穫期の終わりを祝う機会でもある。それは今日、神の全ての恩寵を感謝し、翌年の繁栄を祈る集まりになっている。(原文へ)
※フィロウゼ・ミラザヴィは「イラン・レビュー」の副編集人。この文章は元々、12月21日の「イラン・レビュー」に「ヤルダーの夜を祝う」というタイトルで発表されたもの。
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