【アレッポIPS=シェリー・キトルソン】
アサド政権軍(政府軍)にほぼ包囲されたアレッポの街に冬はまだ到来していないが、子どもたちは既に冬物のコートをまといニット帽を被って授業に出席している。
寒く湿った地下室に設けられた教室は、政府軍による樽爆弾や空爆の被害には比較的晒されにくいが、既に大半の医師が退去するか殺害されたアレッポの街では、季節性インフルエンザが子どもたちの間で蔓延しないよう厚着をさせる必要に迫られている。
医療措置が必要な場合は、街から北へ延びる危険なルート(反政府勢力にとって残された唯一の補給路)を移動して医療設備が比較的整っているトルコ国境にたどり着くしかないのが現状である。
その地下教室に記者が訪れたのは10月下旬のことだったが、子どもたちは通学途中に、爆撃で吹き飛ばされた店舗群や、かつて衣服店、美容院、婚礼貸衣装店であったであろう辛うじて残った数少ない看板にこの街を一時支配した「イスラム国」のメンバーが黒のスプレー塗料で描いたシンボルを目の当りにすることを余儀なくされている。
「イスラム国」は、再び反政府勢力であるアレッポ市評議会が支配している同市東部の奪取を目論んで攻勢を強めており、現在はアレッポの北北東約30キロの郊外にあるマレアが戦闘の最前線となっている。
また政府軍もアレッポ東部の反政府勢力支配下の地域を完全包囲すべく攻勢を強めており、学校に通う子どもたちは、こうした政府軍がもたらす破壊も日々目の当たりにしている。現在反政府勢力は補給路としてアレッポの北部数キロに及ぶ地域をかろうじて維持しているが、この地域が陥落すれば、政府軍による包囲網が完成してしまうことになる。
2部屋からなる地下教室は、男女共学の小学校として使われている。数人の生徒は爆撃による精神的なショックを受けているように見受けられたが、子どもたちの多くは概して明るく、寒くて狭い教室にぎっしりと並べられた木製のベンチに座っていながらも、突然訪問した記者に屈託のない笑顔を見せてくれた。片方の教室の最前列に座っていた2人の少年にいたっては、肩を組んで高笑いしながら歌いだす始末だった。
「地下教室の壁は、子どもたちの気持ちを少しでも和ませようと空色に塗ったり、休日を思わせる飾り付けを並べています。」と教諭の一人が説明してくれた。廊下には、漫画の主人公を描いたポスターが数枚貼ってあった。
「教室が開いている時間は週5日、朝の9時から午後1時までです。」とここで講師を務めている元大学5年生(工学専攻)のザクラさんは、IPSの取材に対して語った。
ザクラさんは、ここで算数、英語、理科を担当しているが、一月の収入は約50ドルだという。この学校の教諭は15人全員が女性で、黒い服を体全体に纏っている。顔を出している者もいれば、顔もすっぽり覆い隠している者もいる。記者は、教師らの多くが政府軍支配地域に家族が住んでいることを理由に、彼女らの写真を撮らないよう要請された。
「ここは昨年開校しましたが、(政府軍の)樽爆弾による攻撃が激しくなり親たちが子どもを送り迎えするのが危険になったため、昨年10月から今年7月まで、一時休校にせざるを得ませんでした。」とザルカさんは語った。
ザルカさんは、ある時点でここを辞めてトルコで勉強を続けたいと考えているが、主に経済的な理由から、それがいつ実現できるか見通しがたてられない状況にある。
一方、この学校をはじめ類似の学校は6歳から13歳までの子どもしか受け入れないため、中学生以上の少年少女は自分の裁量で勉強を続けるしかないのが現状である。
アレッポ市評議会の教育部門の代表をつとめているマームード・アル・クディ氏はIPSの取材に対して、「この地域では依然として115の学校が開校していますが、ほとんどの場合、かつて平屋建てアパートだった建物や地下室などの建造物が利用されています。2011年に騒乱が起こる以前は、この地域一帯で約750校の学校がありましたが、今でもその当時の校舎が使用されている学校は20校程度にすぎません。」と語った。
政府軍はこれまでの内戦を通して、反政府勢力支配地域の教育施設と医療施設を標的にしてきた経緯があるため、教室が特定されないよう学校の所在地を秘密にする努力がなされてきた。
またクディ氏は、「バカロレア(大学入学資格試験)に備えなければならない学生は自宅で勉強し、6月末と7月初旬に指定会場に赴いて受験しています。試験会場についてはトルコのガズィアンテプ市から放送されているアレッポ・トゥデイTVを通じて発表され、市内に口コミで広がるとともに、市内各地に試験会場と時間を知らせるポスターが貼り出されます。」と語った。
現在、トルコ、リビア、フランスがバカロレアの結果を認定していますが、昨年この地域からフランスの大学への進学を認められた高校卒業生は僅か5人でした。」とクディ氏は語った。
(アレッポ市評議会支配地域の)カリキュラムの大半は政権側が認定した内容のままだが、アサド家を称賛する『国粋的な』部分については削除されている。また宗教のクラスでは、「アサド政権と戦うことが宗教的な義務」だと教えられている。
「私たちは現在のカリキュラムを、全てのシリア人が望むような、シリア人のために作られたカリキュラムに作り変えたいと思っています。しかし、今はそれを実現する力がありません。今は、新しいテキストを印刷するための資金すら持ち合わせていないのです。」とクディ氏は語った。
クディ氏は「低賃金で働いている教師らの給与は、市当局に十分な資金がないため、必然的に様々な国際団体や民間団体の支援によって賄われています。」と指摘したうえで、「市評議会が教師の年俸として支払えたのは、一人当たり70ドルに過ぎませんでした。しかし教師たちは、彼らの貢献に対する市当局の感謝の気持ちとして喜んで受け取ってくれています。」と語った。
クディ氏はまた、原理主義的な信条を持つ両親でも、(評議会が運営している)教育内容に干渉していない点を指摘して、「子どもの教育については、皆が一致団結しています。」と語った。
9月上旬、反政府勢力が政府軍の管轄下にある(樽爆弾を製造している)防空施設に迫ったことから、暫くの間、樽爆弾による反政府勢力地区への攻撃が中断した。しかしその後、政府軍が巻き返し、樽爆弾による攻撃も再開されている。
10月下旬、記者はアレッポ市内の反政府勢力支配地区で、実際に樽爆弾が投下された現場に出くわした。着弾点に到着すると、ちょうど市民防衛隊が瓦礫の下から遺体を取り出しているところだった。まもなくすると小さな子ども3人が瓦礫に埋もれているとの通報が入り、その市民防衛隊のメンバーらは懐中電灯を片手に爆弾で破壊された建物の反対側に急行した。その後、子どもたちは死体で発見された。
爆撃を免れた現場付近の他の建物では、いずれも入口外の階段部分に住民が出てきて混雑していた。かけつけた市民防衛隊員の懐中電灯に映ったものは、樽爆弾の衝撃でコンクリート壁が崩れて生じた土埃にまみれた大人たちと、怯えきった子どもたちの顔だった。
「学校は、子どもたちに少なくとも日常の一部となっている『破壊と死』以外に注意を向け、心を注ぐ機会を与えてくれる存在です。言い換えれば、教育こそが、シリアの未来を切り開く、唯一の機会なのです、」とクディ氏は語った。(原文へ)
翻訳= IPS Japan
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