【サンチアゴIPS=グスタボ・ゴンザレス】
アウグスト・ピノチェト独裁政権(Augusto Pinochet:1973~90)が、左翼活動家119人の誘拐、殺害を隠蔽するため行った「コロンボ作戦」から30年が経過したが、同作戦に協力し偽りの情報を流した新聞およびジャーナリストは、その責任を認めようとしていない。(コロンボ作戦は、1975年にアルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイの軍事政府が左翼反対派の鎮圧を目的に開始した共同計画「コンドル作戦」の先駆けといえる:IPSJ)
1973年9月11日のクーデターでアジェンデ革新政権が崩壊した後、独裁政府の秘密警察であった国家諜報局(DINA)は、革命左翼運動Miristas(MIR)のメンバーを主とする左翼活動家119人を逮捕、誘拐。事件の真相をただす国際社会の圧力を受けて、新聞各社は、アルゼンチンに潜伏するチリ人ゲリラ組織が、内部抗争により119人を殺害したとの偽りの情報を流した。(同記事を最初に掲載したのは、ブエノスアイレスの雑誌Leaとブラジルの弱小新聞O’Diaであるが、犠牲者家族の団体Comite 19によると、Leaは、アルゼンチン反共産同盟(Argentine Anti-Communist Alliance)が支配していた出版社Codex発刊の雑誌という:IPSJ) チリでは現在もなお、同事件における新聞の役割について検察の調査が行われている。サンティアゴ控訴裁判所は、7月7日、コロンボ作戦に関わるピノチェト元大統領の訴追免責剥奪を決定した。また、Comite 119およびRights of the People Corporation Committeeは、ジャーナリスト協会の倫理審査会に異議申し立てを行うと共に、虚偽報道を行った新聞社に対し賠償を要求している。
しかし、新聞協会の法律顧問は、IPSの質問に応じ、倫理調査会の決定が下るまでは、コメントできないと語った。また、同協会の倫理調査委員会議長は、「チリの新聞は、長い歴史を有する報道メディアである。同事件の責任の多くは、Lea、O’Diaの報道を取り上げた全国紙よりも、地方新聞にある。メディアの義務は、真実の追求とその報道であり、政治的プロパガンダ、ましてや大量殺人の隠蔽に加担するとは考えられない。」と語った。ピノチェト独裁政権が行った左翼弾圧および事実隠蔽に加担したチリ・メディアの責任を巡る議論について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
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