【東京IDN=モンズルル・ハク】
宗教的アイデンティティとは、広義では特定の宗派に属していることと捉えられているが、今日このテーマが、激しい議論の対象となっている。その主な理由は、宗教的な意味での帰属意識が、他者に危害を加えることによって、特定の目標を達成することに向けられているからである。この宗教的アイデンティティを巡る議論は、「文明の衝突」という概念が欧米の学者や知識人の間で一定の支持を得る中で、近年激しさを増している。
さらにこうした議論は、欧米の指導者らが「悪の枢軸」と名指しした体制(=イラクのサダム・フセイン政権、リビアのムアンマール・ガダフィ政権)を打倒するプロセスに欧米諸国自らが関与したことで、更に拍車がかかることとなった。つまり欧米諸国が介入した結果、そうした国々では、神の名において自らの正当性を主張する様々な宗教を基盤としたテロ集団が台頭するという、予期しなかった事態を招いてしまったのである。
その結果、宗教は売り物のひとつになり、教義を説いて回る輩が、世界中の惑い悩む人々に対してせわしなく「天国への切符」を売りつけている。
こうした状況を背景に、様々な信仰に帰属する人々の間で健全で学術的な議論を交わすことがますますは困難になってきており、そこに生まれた危険な空白を、あらゆる方面の狂信者たちが、いとも容易に埋めていくという事態が進行している。
オタゴ大学平和紛争研究所(ニュージーランド)と戸田記念国際平和政策研究所(ハワイ・ホノルル)の共同による今回の最新の取組みが重要なのは、まさにこうした危機的な事態が背景にあるからだ。
東京で2月初旬に開かれた4日間の国際会議「世界的諸宗教における平和創出の挑戦」には、3つのアブラハムの宗教(IPSJ注:聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称するユダヤ教、キリスト教、イスラム教を指す)及び仏教について、11か国・地域の研究者や識者ら20名が参加した。会議では、相互理解につながる行動について4つの宗教の信者が前向きに関与し合い、それを世界に平和と正義を確立するプロセスに結び付ける可能性に焦点が当てられた。
暴力性と平和主義的な傾向はともに、ほぼすべての宗教に本来的に備わっているものである。異なる宗教の信者の間で紛争を避けるためには、この矛盾した二つの傾向の間で微妙な均衡を保つことが肝要である。
しかし、現在の世界状勢を見れば、暴力的な傾向が平和主義的な傾向を凌駕していることは明らかだ。世界の他の地域よりも宗教を基盤にした分断が著しい中東地域だけではなく、近年までは宗派対立が比較的少ないと見られてきた地域においても、この傾向が顕著になってきている。
会議は、2つの全体会議と、世界中で宗教的な不寛容を煽りたてている破壊的な教えに対抗する手段として作用しうる現代の4つの主要宗教に備わっている平和主義的で非暴力的な伝統を強化する方法に焦点を当てた11の分科会から成り立っていた。
2つの全体会議が、「世界市民」の実現につながるような宗教間理解という複雑な問題に対する認識を深めるための共通の基盤として機能したのに対し、分科会では、平和主義的、軍事主義的な傾向に関連した特定の問題や、4つの宗教すべてにおける平和主義的な伝統を育成・強化する方法に焦点が当てられた。
戸田記念国際平和研究所のオリビエ・ウルバン博士は、開会の挨拶で、異なる宗教の信者の間で定期的な対話を行うことの重要性と、世界の複雑な諸問題の多くに対して答を与えるという宗教が持つ本来の目的に回帰する必要性を強調した。
暴力的かつ平和主義的な伝統に反映された矛盾含みの宗教の役割が主要な宗教のほぼすべてにおいて支配的であることから、ウルバン博士は、全ての宗教上の教えの中から互いに最善の部分を引き出し、それを適用することで「私の宗教が一番だ」という偏狭な視野から従来世界を捉えてきたものの見方を、互いに変えていくことができるような対話の重要性を強調した。
戸田記念国際平和研究所の創設者である池田大作SGI会長は会議にメッセージを送り、「世界を蝕んでいる排外主義の高まりといった『戦争の文化』に歯止めをかけることは、平和研究にとっての一大焦点であるのみならず、人間の良心を糾合して取り組むべき急務であると思えてなりません。」と述べた。
池田会長はさらに、「その意味で、今回、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教を背景とする研究者、運動家、宗教者が一堂に会し、各地で広がる『暴力と憎悪の連鎖』を乗り越え、世界に『平和と人道の潮流』を高めてゆくために、宗教、また信仰を持った個々人がどのような役割を果たしていけるのかについて探求する意義は大きい。」と指摘したうえで、「誰も置き去りにすることなく、すべての人々が平和に生き、尊厳を輝かせていける世界を築くために、宗教が担うべき役割はますます重要になってきています。」と述べ、会議の成功に期待を寄せた。
チュニジア真実尊厳委員会のシヘム・ベンセドリン委員長は基調講演で、さまざまな宗教集団の信者の間だけはなく、ひとつの特定の宗教に帰属しながらいくつかの重要問題で見解を異にする人々の間で共通の基盤を見出すことの難しさについて語った。ベンセドリン委員長は自身の祖国チュニジアの例を引き合いに出し、人口わずか1100万人の国から、宗教の名において無慈悲な政治的暴力に訴えるイスラム過激派組織ISの戦士に加わった者が6000人近くも出ている現実を指摘した。ベンセドリン委員長は、宗教は今や、イスラム教の名において蔓延る最も無慈悲な暴力と蛮行の中心に位置付けられてしまっています、と語った。
チュニジア真実尊厳委員会の委員長として、ベンセドリン氏は、和解という困難な任務を担わねばならなかった。彼女によれば、和解の道を探るプロセスで直面した最大の課題は、あまりに長い間、全くと言っていいほど罰せられることなくチュニジア社会を支配してきた独裁組織をいかにして解体するかということだった。
移行には常に敗者が伴う。従って、敗者の側にいる人間にもプロセスに関わってもらうことが重要である。国民の記憶の保存は、暴力を二度と繰り返さないうえで重要な位置を占める、とベンセドリン委員長は言う。基本的に性格が異なるものの、チュニジアの和解の事例は、異なった宗教の信者の間に存在する溝を埋める方法に関してヒントを提供しうる重要な教訓だと言えよう。
第二全体会議のパネル討論では、4つの参加宗教の代表らが、それぞれの宗教における暴力的伝統と平和主義的な伝統の観念について説明し、地球における平和確立の手段として平和主義的な傾向を強化する方法を検討した。それぞれの宗教から、異なった地域出身のパネリストが2名ずつ登壇し、宗教的思想を幅広く代表するように構成されていた。
オタゴ大学平和紛争研究所のケビン・クレメンツ所長が司会を務め、各登壇者はまず、宗教的理解からこの問題をどう考えるかについて述べ、次に活気ある質疑応答の時間に移った。
すべての宗教の本質が、信者の平和的生存を確保し、戒律を守ったことに対する報いとして来世がそれに続くものだとすれば、暴力的な要素もまた、さまざまな理由から宗教の本質的な一部分を構成してきた。たとえば、ユダヤ教の信者は、常に不安定な状態にさらされているという感情ゆえに、暴力的な傾向に訴えてきた。
シャロム・ハートマン研究所のノーム・シオン上級研究員は、安全が保障されない困難な場所(=イスラム教の国々が大半を占める中東地域)にちっぽけなマイノリティーとして暮さざるを得ない現実こそが、ユダヤ人が戦士へと変貌していく究極の理由だと語った。一方、マレーシア科学大学のオマール・ファルーク教授は、ジハードはイスラム教において平和主義の最高の形態である旨を語り、基調講演者を含む一部の参加者は、(シリアとイラクで)イスラム過激派組織ISの戦士の列に加わる外国人ジハーディストたちは、各々がマイノリティーとして育った社会において、ユダヤ人同様に脆弱な立場におかれていた、との見解を示した。
また一部の仏教徒ですら、世界の一部の地域では暴力的になり、仏陀の教えに背いている。
宗教をめぐるこのように対照的で不安をもたらすような状況の中、パネリストらは、暴力主義的な傾向に歯止めをかけ、平和主義的な傾向を強化する努力を強める必要性を聴衆に訴えた。この困難な目標は、対話と討論を通じてのみ達成できるという点でおおむね一致していた。
この会議は、宗教的な立場を通じて議論されるグローバルな問題に焦点を当てることの重要性に着目した時宜を得た取り組みとなった。しかし、主催団体にしても会議の参加者にしても、対話と討論をより意義があり包括的なものにするには、その他の宗教の信者や無宗教者も含めて参加者を広げていくことが重要であると認識している。そうした人々は、合わせてみれば、世界の人口のかなりの部分を占めているからだ。(原文へ)
INPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
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