【国連IPS=オリトロ・カリム】
今週、「核兵器禁止条約(TPNW)」第3回締約国会議がニューヨークで開催され、核廃絶が社会、政治、文化に与える影響を各分野から議論するための複数のサイドイベントが行われている。
3月5日には、国連メキシコ常駐代表部がメキシコ人アーティストペドロ・レジェス(Pedro Reyes)との協力のもと、「Fábulas Atómicas – 核兵器に反対するアーティストたち」というイベントを開催し、芸術と核兵器の関係について議論が交わされた。
20世紀を通じて、芸術は核兵器が人類にもたらす脅威について文化的な視点からコメントする手段として用いられてきた。
「軍縮のための芸術は多様な形を取ることができます。私は銃の部品を楽器に変えることから始めました。例えば、ライフルをフルートに変えるような試みです。
核兵器の原理とは何でしょうか? それは「連鎖反応」です。しかし、それを破壊の力ではなく、創造の力に変えることができるのではないかと考えました。こうして『核兵器に反対するアーティストたち(Artists Against the Bomb)』が誕生したのです。」
— ペドロ・レジェス
1952年以来、国連軍縮委員会(UNDC)は、国際平和と軍縮の重要性を継続的に強調してきた。
しかし、地政学的な緊張が高まる中、ロシア、北朝鮮、米国といった超大国がかつてないほどの核兵器を保有する現在、核拡散の脅威は数十年ぶりに最高レベルに達している。
「数十年にわたり世界の平和と安定を支えてきた二国間・地域的な安全保障の枠組みが、今、私たちの目の前で崩壊しつつあります。信頼は失われ、不確実性、不安、免責、軍事費がすべて増大しています。一部の国は核兵器や核物質の保有量を拡大し続けています。また、核の脅しを外交の手段として利用する国も存在します。さらに、宇宙空間を含む新たな軍拡競争の兆しも見えています。」— アントニオ・グテーレス国連事務総長(ジュネーブ軍縮会議にて)
しかし、こうした核の問題が現代の文化的議論の中であまり取り上げられていないのも事実である。
「原子力時代(Atomic Age)」と呼ばれる1945年の最初の原爆投下から91年の冷戦終結までの時代には、核戦争や核の脅威をテーマとしたポップカルチャーが数多く登場した。
しかし、現在の文化の中では核兵器についての議論がほとんどなされていない。
芸術は歴史を通じて、社会的・政治的問題に対する意識を高める重要な役割を果たしてきた。そのため、現在の核軍縮の課題においても、芸術を通じた訴えが不可欠なのではないかという声が高まっている。
1980年代後半以降、芸術作品のテーマは次第に核の問題から遠ざかるようになった。
ペドロ・レジェス氏は、芸術が核兵器に関する文化的な議論を促す重要な役割を担っていると強調し、次のように述べている。
「80年代の終わりには、冷戦が終わったかのように見えました。1989年以降に生まれた人々の多くは、核兵器に関する文化的な作品に触れる機会がほとんどありませんでした。1999年頃から核実験禁止が進み、それ以降、実際の核爆発は目にすることがなくなりました。
『目に見えないものは意識されなくなる』という言葉があります。つまり、核の脅威は次第に「見えないもの」になってしまったのです。私たちの仕事は、文化を通じてこの問題に気づきを与え、怒りや恐怖を呼び起こすことです。」
さらに、レジェスは「現代のポップカルチャーにおいて、核兵器問題の議論が飽和していないことが、むしろ議論の促進につながる可能性がある。」と指摘する。
「過去20年間、文化を支配してきたテーマについては、人々が議論することに疲れている部分もあります。しかし、核兵器についてはまだ十分に語られていません。この『疲労のなさ』を利用すべきなのです。」
「核芸術(Nuclear Art)」運動は、1945年、広島・長崎への原爆投下直後に始まった。
当時、アメリカの一般市民は、日本で起こった破壊の規模をほとんど知らなかった。
原爆を生き延びた日本の写真家
増元吉俊(広島) 山端庸介(長崎)
アメリカの写真家
ウェイン・ミラー ジョー・オドネル
これらの写真家が、原爆の惨状を写した写真を発表したものの、アメリカ政府はそれらを数十年間にわたり機密扱いにした。そのため、世界の多くの人々は、芸術作品を通じて核の破壊を視覚化することになった。
広島・長崎の原爆投下後、現代アートや映画産業でも核兵器と核戦争をテーマにした作品が数多く登場した。特に、1962年のキューバ危機後、核戦争の脅威が世界的に意識されるようになると、この動きはさらに加速した。
西洋の「核芸術」
チャールズ・ビッティンガー(1946年)
Atomic Bomb Mushroom Cloud(「原子爆弾のきのこ雲」)
原爆の象徴である「きのこ雲」のイメージを一般に定着させた
スタンディッシュ・ブラッカス(米軍公式アーティスト)
Still Life(1946年)
At the Red Cross Hospital(1945年)
核兵器が民間インフラや人体に与える影響を描写
また、「核芸術」はプロパガンダにも利用された。
ウォルト・ディズニー(1957年)
Our Friend the Atom(「我々の友・原子」)
原子力の「平和利用」を推進するプロパガンダ作品
アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力(Atoms for Peace)」演説(1953年国連総会)に沿った内容
1950年代以降、アメリカと日本の映画産業は、核兵器の脅威をテーマにした作品を数多く制作した。
1950年代初頭:核の「怪物化」
The Beast from 20,000 Fathoms(1953年・米)
ゴジラ(1954年・日)
核実験の影響で生まれた怪獣が暴れまわる
核の恐怖を比喩的に描写
1959年以降:「人間の責任」へシフト
On the Beach(1959年)
核戦争による人類の終焉を描く
「意図的な核使用」による壊滅的な結末を強調

Dr. Strangelove(1964年・スタンリー・キューブリック監督)
ブラックコメディを用いて、核戦争の愚かさを風刺
現代:「オッペンハイマー」と核兵器の描かれ方
最近では、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』(2023年)が、再び核兵器問題を文化の中心に押し戻した。
しかし、こうした現代の作品が本当に核の問題を正しく伝えているのか、議論の余地がある。
「『オッペンハイマー』のような映画は、科学の圧倒的な力や原爆の道徳的葛藤を描いていますが、被害者やその影響を直接描くことはありえない。そのため、こうした映画は一種の『プロ原爆』映画にもなり得ます。」と、レジェスは指摘する。
彼は、ポップカルチャーにおける核兵器の描写を、次の2つのカテゴリーに分類している。
「雲の上(Above the Cloud)」の視点: 科学や軍事の視点から核兵器を描く
被害者や戦争の影響をあまり描かない
例:『オッペンハイマー』
「雲の下(Under the Cloud)」の視点:核兵器の破壊力や、その影響を受ける人々に焦点を当てる
例:広島・長崎の原爆被害を描いた作品、ドキュメンタリーなど
「文化作品がどちらの視点に立っているのかを見極めることが重要です。」
「核兵器問題を真正面から扱う作品こそ、私たちが今必要としているものなのです。」
核兵器の議論がポップカルチャーの中で希薄になった現在、芸術は再び「核問題を可視化する」役割を担う必要がある。
ペドロ・レジェスの言うように、核兵器の危険性を文化を通じて訴えることが、現代社会においても不可欠なのかもしれない。
現代のアーティストは、核軍縮に向けた文化的な進展を実現するために、正しいメッセージを作品に込めることが極めて重要である。ポップカルチャーは、核兵器がもたらす危険の本当の規模を伝え続けなければならない。
「核戦争に勝者などいない」ということを明確に主張する必要がある。とペドロ・レジェスは語る。
「だからこそ、核兵器の影響をしっかりと描くことがとても重要なのだす。ビデオゲームなどのメディアを通じて、核兵器が実際よりも問題の少ないもののように見えてしまうことが常態化している。
私たちの役割は、それがどれほど深刻な問題なのかを説明し、人々が理解しやすい、かつ興味を持てる方法を見つけることである。」(原文へ)
IPS UN Bureau Report
関連記事: