【北京IDN=パリサ・コホナ】
インド亜大陸南端の沖、インド洋の真ん中に位置するスリランカは、うらやましいほどの戦略的地位を占めている。スリランカは過去にその利点をうまく利用してきたが、このことは同時にインド洋地域を戦略的、経済的、文化的に支配しようとする世界的、地域的大国の強欲な関心を引き付け続けるという災いのもとでもある。
中国と歴代ランカ王国、そして現在のスリランカは、二千年にわたる緊密な関係を維持してきた。スリランカに戦略的魅力、自然の豊かさ、快適な住環境があることは古くから知られていたが、中国がスリランカに永住権を確立し、植民地化しようとした記録はない。
仏教が両国の架け橋となり、仏教徒間の交流が両国の文化交流の原点となり、今日まで続く信頼関係が築かれた。海のシルクロードの交流は、中国の前漢の時代、紀元前207年頃から盛んになったという記録が残っている。
5世紀、中国山西省出身の学僧法顕が、古都アヌラーダプラの有名なアバヤギリヤ僧院に2年間滞在した際の文章は、当時の複雑な国際外交・交易関係を物語るものである。
法顕は北インドで10年近く過ごした後、西暦410年にランカに来訪した。その帰途、船でシンハラ語で書かれた教典を中国に運び、後に中国語に翻訳した。その後、唐の高僧である不空金剛がスリランカに渡り、『宝篋印陀羅尼経法』を中国語に翻訳した。
中国の商人や少林寺の僧が、ランカにも中国の武術を伝えたのだろう。シンハラ語で武術を表す言葉の一つに「チーナ-アディ」がある。これはあまりに偶然の一致だと思う。
河南省にある嵩山少林寺は、現在でもスリランカの主要寺院と密接な宗教的つながりを保っている。先日、少林寺の30代目管長である永信老師にお茶をご馳走になり、最近スリランカを訪問した際のことを懐かしく話してくれた。6世紀に書かれた中国の『比丘尼伝』には、シンハラ人尼僧の一行が帝都・南京を訪れ、尼僧の修道会を紹介したことが詳しく書かれている。
尼僧の修道会は、今でも中国で存続している。西暦131年から西暦989年の間に、ランカの王たちは13の使節を中国の宮廷に送っている。428年には、マハーナマ王が中国の皇帝に仏陀の歯を祀る祠の模型を寄贈している。
また、ランカ王は貴重な仏像を携えて使節を孝武帝の宮廷に派遣している。10世紀にランカから持ち込まれたと思われる仏陀の頭頂骨(頭蓋骨)の一部は、現在、南京の仏頂宮に安置されている。
アラブの地理学者イドリーシは、パラークラマバーフ大王の時代にランカがどの程度国際貿易を行っていたかを詳述しており、大王は王女を中国の宮廷に派遣している。1284年、クブライ・ハーンがマルコ・ポーロを派遣し、シンハラ人が崇拝する仏陀の托鉢の鉢を求めたが、ランカ王はこれを丁重に断っている。
マルコ・ポーロはこの島を2度訪れ、ランカはこの規模の島としては世界で最も優れていると記した。13世紀のランカの首都ヤパウワの獅子像は、中国の影響を強く受けている。ラークラマバーフ 6 世(1412-67)は、シンハラ王としては最も多い6回の使節団を中国(明朝)に派遣している。
スリランカでは中国の貨幣や 陶磁器が各地から発見され、中国とランカの貿易が盛んであったことがうかがえる。また、領海の海底には荒天で沈没した多数の中国船が眠っている。河南省洛陽市の白馬寺は、中国で最初に建立された仏教寺院という伝承がある。
白馬寺の広大な敷地内には既に(インド廟、タイ廟など)アジア各地の仏教様式の寺院が建立されており、現在スリランカ式の寺院を建設する計画が進められている。
鄭和は、1405年から33年にかけて、明の永楽帝の代理として西方への航海中にランカを6回訪問した。2回目に訪れた際、鄭和はゴールに来訪を記念した石碑を建立したほか、デーヴンダラの「ウプルワン・デヴァラヤ」を訪れ、かなりの供物を捧げている。
明朝の歴史書には、鄭和提督がランカ訪問中に王家の内紛に巻き込まれたことが記録に残っている。鄭和が帰国した際にランカの王子が同行したが、その後中国に留まることを選んだ。今もその末裔が建省泉州に暮らしている。
スリランカが中国の歴代王朝と宗教、貿易、社会面で活発な関係を築いていたことは明らかであり、学者、船員、僧侶、旅行者、商人たちの文章は、古代からランカに対する中国の宗教的、文化的関心が強かったことを示唆している。
今年(2022年)は、中国との「米・ゴム協定」調印から70周年、国交樹立から65周年にあたる。
1950年、独立したセイロン(=当時のスリランカの呼称)は、主権国家として13番目の国として当時建国間もない中華人民共和国を承認し、それ以来、一つの中国政策を無条件に支持してきた。
その後1952年、当時国連に加盟していなかったセイロンは、欧米の反発を受ける危険を冒して、中国への戦略物資の輸出禁止を破り、戦略物資に指定されていたゴムを米と交換する「米・ゴム協定」を中国と締結した。当時、中国は朝鮮戦争に参戦していた。
セイロンは、中国に5万トンのゴムを市場より高い価格で輸出し、27万トンの米を一般的な市場価格で輸入することに合意した。この協定は1982年まで続いた。セイロンはまた、中華人民共和国の国連における正当な議席の復活を声高に擁護していた。
周恩来首相は1957年にスリランカを訪問し、緊密な二国間関係の基礎を築いた。特にシリマヴォ・バンダラナイケ首相の時代には、61年と72年に中国を訪問し、関係の深化をはかった。76年に毛沢東が死去した際には、スリランカは8日間の喪に服すことを宣言し、両国の密接な関係を強調した。
中国から寄贈されたバンダラナイケ記念国際会議場は、現在でもコロンボの主要なコンベンション会場として機能している。同会議場内にある中国文化センターは、2014年の習近平国家主席の訪問時に落成式が行われた。
スリランカにあるこのセンターは、海外初の中国文化センターである。スリランカの仏教寺院と、河南省の白馬寺、少林寺、観音寺、北京の霊光寺、永和寺といった中国の代表的な仏教寺院との間には、密接な関係が維持されている。(それまでの英連邦自治領セイロンから)1972年の共和国制への移行以来、スリランカのほぼすべての国家元首が中国を訪問している。
1978年12月から89年11月まで中国を率いた鄧小平は、中国の驚くべき経済復活の基調となった深圳経済特区の壮大な成功の前に、スリランカに代表団を送り、コロンボ首都圏経済委員会を研究したと多くの中国高官は語っている。
スリランカのテロ組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との紛争では、欧米諸国がLTTEへの軍事進攻を止めるよう政府に圧力をかけるために武器供給を控えたのに対し、中国は無条件で武器などの援助を行った。中国の揺るぎない支援は、LTTEを撃退し、テロリストの災禍をなくすことに大きく貢献した。
また、国連人権理事会やニューヨークの国連など、国際的な場でも中国はスリランカを無条件に支援した。その後、スリランカが懸命に復旧・復興に取組み、欧米からの援助が細々と続く中、経済的に復活した中国は、スリランカの復興に大きく貢献した。
ハンバントタ港、マッタラ空港、高速道路、コロンボ港湾都市、コロンボの蓮池舞台芸術センターなどがその成果である。ロータスタワーは、この時期に花開いた両国友好関係の証しだ。芸術センターの建築は12世紀にポロンナルワにあった蓮池から、ロータスタワーのデザインは法華経から着想を得たと言われている。
コロンボ大学には、主に中国語と中国文化の普及を目的とした孔子学院が設立されている。多くの中国人留学生がスリランカの大学で勉強を始めている。
中国の国家出版広電総局は、両国の古典を中国語とシンハラ語に翻訳して出版することを提案している。現在、二国間関係と観光促進に焦点をあてた長編映画の撮影案が検討されている。
コロンボと成都、および上海、キャンディと青島との間に姉妹都市提携が結ばれている。その他の都市間、省・県間の提携も現在検討中である。
スリランカを陥れている中国の債務の罠については、さまざまな憶測が飛び交っている。簡単に言えば、中国はスリランカの対外債務の10%未満しか保有しておらず、従来の資金源にアプローチしても拒否されたスリランカが、インフラ・プロジェクトのために中国に資金を求めたのである。
最近も、中国の科学船が寄港したことに懸念を表明する人がいて、スリランカは困難な状況に置かれた。スリランカは、訪港に関する長年の慣行と主権的権利に基づき、同船舶がハンバントタ港を使用することを許可した。
世界は、中国がその資源、医療施設、技術力、そして人口を総動員して、初期段階で新型コロナウイルス感染症に対抗したことに、神経質なまでに驚きをもって見守った。そして、武漢を皮切りに、この恐ろしいウイルスを制圧していった。
中国は、他国のパンデミック対策支援として約20億本のワクチン(約一割が寄贈)を送った。また、ワクチンを所有権の制約を受けない公共財とすることを提唱している。
スリランカには無償の300万人分を含む2600万人分が送られた。スリランカは、中国からの寛大な支援により、流行を大幅に抑え、再び観光客に国を開放することさえできた。
スリランカに従来ワクチンを供給してきた国々が、必要なワクチンを供給しない或いはできなかったり、中にはワクチンを買い占める国さえあった時に、中国はスリランカを援助してくれたのである。 これは、中国と中国国民による驚くべき連帯と協力の行為であった。
パンデミック期間中には、軍人を含む2000人以上のスリランカ人留学生が一時帰国を余儀なくされていたが、今ではほぼ全員が中国の高等教育機関での勉強を再開している。中国は今日、農業や製造業において、技術開発の最先端を走っている。
1970年代、80年代によく言われた懸念とは裏腹に、中国は農業の近代化によって、自国の食糧を十分に生産し、一部は輸出することにも成功している。中国の高速鉄道網は世界の羨望の的である。この広大な国土を縦横無尽に走る高速道路は圧巻だ。
中国は高度な製造業を発展させ、現在では世界の主要な製造品輸出国となっている。化石燃料の輸入に頼ってはいるが、太陽光発電や風力発電の技術も進んでおり、原子力発電や水素発電の開発でもトップランナーである。(中国は世界のソーラーパネルの70%を生産している。)中国では人工知能が日常生活の主要な部分を占めつつある。
スリランカの学生は、欧米の教育機関よりはるかに安価な中国の教育施設を利用することで、多くの利益を得ることができる。中国の多くの地方は、最先端の高等教育機関でより多くのスリランカ人が勉強できるようにすることに関心を示している。
これは、人と人との触れ合いや相互理解をさらに深めるための絶好の機会となることは間違いないであろう。中国は過去40年間に急速に発展したため、海外の多くの人々は現代の中国についてほとんど理解しておらず、学生の交流はこの認識を促すのに有効な方法であろう。
長らく観光のメッカとされてきたスリランカは、現在の金融危機から脱するために観光に大きく依存することが予想される。2019、1億6900万人の中国人が海外に旅行した。その一部でもスリランカを訪れれば、経済の好転に大きく貢献することだろう。
スリランカ大使館が中国で行っているソーシャルメディアを含めた集中プロモーションは、大きな成果を生むだろう。スリランカで最も観光客が訪れている観光・宗教施設は、キャンディの「佛歯寺」である。ここ以外で唯一仏陀の歯遺物が収められているのが、北京の霊光寺にあることが確認されている。
5世紀に建てられたシギリヤの城塞には、素晴らしい水庭と岩窟庭園、そして王によって建てられた岩の上の宮殿があり、可憐な乙女たちのフレスコ画が印象的で、今も大きな見所となっている。スリランカの自然の魅力は、野生のアジアゾウが最も多く生息していること(約7000頭が保護されている)、またクジラが多く生息していることである。
スリランカには世界有数の美しい砂浜や食欲をそそるさまざまなシーフード料理がある。またこの国では伝統医学が医療に大きな役割を担っている。スリランカの人々は、中国からの訪問者を歓迎し温かくもてなすことでしょう。(原文へ)
INPS Japan
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