【アスタナThe Astana Times=アイマン・ナキスペコワ】
カザフスタンでは5月1日、「民族団結の日」を迎え、国の豊かな多文化的アイデンティティを称える。この祝日は1996年に国家の公式記念日として制定され、国内に暮らす150以上の民族の共存と相互尊重、そして文化の多様性がもたらす力を強調する。
この記念日の背景には、深い歴史がある。1950年代、ソビエト連邦による未開地開発運動に伴い、自発的に移住してきた人々や、ヨシフ・スターリン体制下の弾圧によって強制移住させられた人々が、何百万人もカザフスタンにやって来た。70年以上が経った今も、カザフスタンの若者たちは祖父母から受け継いだその物語を大切にし続けている。
文化のタペストリー
アスタナ在住のイェルケジャン・シャリポワさんは、『アスタナ・タイムズ』のインタビューで自身の家族の物語を語った。彼女の母方の祖母はカザフ人、祖父はベラルーシ人だった。


「祖父は1951年のいわゆる未開地開発運動の際にカザフスタンに移住し、とある村で祖母と出会いました。祖母は伝統的な家庭の出身で、最初は戸惑っていたようですが、祖父は諦めませんでした。彼はカザフ語を学び、祖母の母語で結婚を申し込んだのです」とシャリポワさんは語る。
多くの開拓者が過酷な生活環境に耐えきれず去っていったなか、祖父は残る決意をし、愛だけでなく、祖母の大家族のなかで「居場所」を見つけたという。
「家族は彼を心から迎え入れました。祖父はカザフの伝統を受け入れ、それを子や孫にも伝えてくれました」。
シャリポワさんは、カザフスタンの民族的多様性を「強み」と捉え、この祝日を「平和と調和のなかで共に生きようとする国家の象徴」と考えている。
二つの文化が息づく家族史
民族ドイツ人であるブラッド・レックさんにとっても、この「団結の日」は歴史的な重みと個人的な意味を持つ。彼の曽祖母カチヤさんは、弾圧によりカザフスタンに追放された一人だったが、現地のカザフ家庭に助けられ、厳しい時代の中で避難先を得たという。
「曽祖母はその家で家事を手伝っていました。そしてやがて、曽祖父ゼイヌラと恋に落ち、結婚しました。まったく異なる世界から来た二人の物語から、私たちの家族が始まったのです」とレックさんは話す。

彼は父方にもドイツの血を引いており、幼いころから自宅に保管されていたドイツ語の写真や手紙を見て育った。
「両親は常に、家族の歴史を忘れないようにと言っていました。自分のルーツをもっと知りたくて、ドイツ語の勉強を始めました。言葉を通して家族の物語とより深くつながることができ、文化が単なる抽象的なものではなく、とても個人的なものだと実感しました」。
「私は、ドイツとカザフの両方の文化が自分の中にあるとよく思います。ドイツのルーツからは、おそらく秩序や規律を大切にする気質を受け継いだのでしょう。カザフの側からは、寛容さや年長者への敬意、家族の大切さを学びました。私はその両方を誇りに思っています」と彼は語った。(原文へ)
INPS Japan/The Astana Times
Original Link: https://astanatimes.com/2025/05/kazakhstan-celebrates-unity-in-diversity/
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