Multimediaブッダのルンビニを語り継ぐ

ブッダのルンビニを語り継ぐ

この記事は、ネパーリ・タイムズ(The Nepali Times)が配信したもので、同通信社の許可を得て転載しています。

【カトマンズNepali Times=サヒナ・シュレスタ】

釈尊(ゴータマ・シッダールタ)が80歳で大往生を迎えようとしたとき、忠実な弟子のアーナンダ(阿難陀)に、自分の人生に関連して4つの偉大な巡礼地があることを助言したという話がある。

釈尊が悟りを開いた地ブッダガヤと、初めて教えを説いたサールナートは早くから特定されていた。しかし、釈尊入滅の地クシナガラと、生まれ育ったカピラバストゥ(迦毘羅城)とルンビニの謎は、19世紀末になるまで解明されなかった。

2600年前のインド亜大陸には近代国家の境界線がなかったにもかかわらず、釈尊が実際にどこで生まれたのか、長年にわたって憶測が飛び交っていた。しかし、紀元前3世紀の発見により、その疑問が晴れた。

それは、アショーカ王がカリンガの戦いの後、ウパグプタとともにルンビニへの巡礼に出発したときのことである。王は、逆さ蓮華の上に馬のフィニアルを乗せた砂岩の柱を立て、紀元前249年に訪れたことを記念して、パーリ語で碑文を刻ませた。

19世紀に発見されたティラウラコット近郊のニガリサーガルにあるコナカムニの碑文とルンビニにある2つのアショーカ碑文から、マウリヤ朝時代には、この柱のある場所が仏陀の出生地と考えられていたことが判明した。

Map of Nepal. Credit: Nepali Times

5世紀の法顕、7世紀の玄奘を筆頭に、多くの中国人の僧侶がこの地を巡礼した。彼らの旅の記録は、後に大英帝国領インドの古美術商らによって、釈尊の生誕地や成長した場所を特定するために利用された。しかし、1896年に再発見され、発掘調査が開始されるまで、巡礼地としての人気は衰えていた。

ルンビニの発掘調査によって、何世紀にもわたって建てられた多くの建造物が発見さた。中でも最も神聖なものの一つが、釈尊の母マヤ・デヴィ王妃が出産前に沐浴したとされるプスカリニ池である。

マヤ・デヴィ王妃は、紀元前623年に輿に乗ってデーバダハ(天臂城)の両親の元に向かう途中で釈尊を産んだとされている。彼女は無憂樹(むうじゅ)の枝につかまりながら、立ったまま出産した。彼女は1週間後に亡くなり、赤ん坊は叔母のプラジャパティに育てられた。

何世紀にもわたる崇拝で浸食された1800年前の石像と、1995年に発見された降誕地の標石は、ルンビニの聖なる庭で釈尊が生まれた場所を正確に示している。

また、紀元前3世紀から紀元後7世紀にかけての僧院跡や、600年以上前に建てられた仏舎利塔も発見されている。

2011年、ダラム大学のロビン・コニンガム氏とネパール政府考古局前局長コシュ・アチャールヤ氏が率いる国際チームは、マヤ・デヴィ寺院の舗装の下に木造建築物の遺構を発見した。

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分析したところ、木の祠のようなもので、紀元前550年頃のものと判明し、歴史家が釈尊の生涯を検証する際に考慮すべき新たな証拠となった。

しかし、釈尊の物語はルンビニに限ったものではない。ネパールが釈尊の生涯をより総合的に記念しようとするならば、ルーパンデビ、ナワルパラシ、カピラヴァストゥにまたがる大ルンビニ地域にも多くの遺跡があり、その中には釈尊の生涯に直接関連するものもあるため、統合的に取り組む必要がある。

釈尊がシッダールタ王子として最初の29年間を過ごし、悟りを開く旅に出たとされるティラウラコット・カピルヴァストゥでは、最近、考古学者が地中レーダーを使って、宮殿のような壁のある施設、都市の街路、レンガ壁の貯水槽、僧院などの歴史的遺構を発見している。

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紀元前249年、アショーカ王は、カーナカムニ仏(過去七仏の内の第五仏)の涅槃塔を崇敬し拡張したことを記念して石柱を建立した。1895年、この石柱の2つの破片が発見された。上部はニグリサガル池に半分沈み、下部は埋没していた。この石柱が立っていた台座が失われているため、元の正確な位置は不明だが、一部の学者は、この石柱がカーナカムニ仏の生誕地に建てられたと信じている。

また、クダンも歴史的に重要な場所である。釈尊がカピルバストゥを出発して6年後に父シュッドーダナ王と再会し、息子が出家したガジュマルの木立、ニグロダラーマがあった場所ではないか、という学者もいる。ゴティハワは、もう一人の初期仏であるクラクチャンダ仏(倶留孫仏)の生誕地とされている。レンガ造りの大きなストゥーパとアショーカ王の石柱の残骸がある。残念ながら柱はほとんどなくなっており、何が書かれていたのか知ることはできない。

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高さ10m、直径23.5mのラマグラマの仏塔(現在は盛り土の下に埋もれている)は世界遺産暫定リストに登録されており、釈尊の遺骨が納められている原初の場所のひとつと考えられている。古代文字によると、釈尊の遺骨を納めた8つの仏塔のうち、聖遺物の再分配を企図したアショーカ王が7つの仏塔を開いたが、ナーガ(蛇の王)がここの仏塔の遺物発掘を防いだとされており、唯一の無傷の仏塔と考えられている。

周辺の3つの地区には、他にも釈尊縁の場所があり、文化的、精神的に重要な場所を網羅したコースを整備し、正しくストーリーを伝えることで、ルンビニが長い間直面してきた問題(下記参照)を解決することが可能だ。

マスタープランの内容

ルンビニが今日直面している課題は、聖地を訪れる多くの巡礼者や観光客にどう対処するかということだ。パンデミック以前は、ルンビニを訪れる人の数は多かったものの、インドの仏教圏からやってきて、数時間滞在して帰っていくのが常であった。

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インフラは貧弱で、適切な設備を備えたホテルも少なく、ルンビニへのアクセスは困難だった。しかし現在は、東に10kmのところに国際空港ができ、新たな観光客の流入が期待されている。

パンデミック以前は、1年間に170万人の巡礼者が陸路でルンビニを訪れ、そのうち30万人はネパールやインド以外からの巡礼者だった。しかし、彼らがルンビニに滞在した時間は、平均して1時間にも満たなかった。

アショーカ王が降誕祭を行った後、ルンビニは長い年月を経て周辺のジャングルに覆われてしまった。この地が再び脚光を浴びたのは、鉄道の枕木になる広葉樹の木材を探していた英国の探検家たちが、この地でアショーカ王の石柱を発見した1890年代になってからのことだ。

1967年、ビルマ出身の敬虔な仏教徒であるウ・タント国連事務総長が、ルンビニを象に乗って見学し、荒廃した釈尊生誕地の惨状に涙を流したと伝えられてる。

ニューヨークに戻ったウ・タント事務総長は、ルンビニを国際的な平和の拠点にするため、国連委員会を立ち上げた。そして、広島平和記念資料館を設計した日本の著名な建築家、丹下健三氏にマスタープランの策定を依頼した。

東部の僧院区域は上座部仏教、西部の僧院区域は大乗仏教のために確保された。マスタープランは現在も大筋で守られており、完成に近づいているが、建造物はすでに老朽化の兆しを見せている。

ルンビニのビジターセンターでさえも、この遺跡のことを伝える案内板がないなど、残念な状態だ。

ルンビニの門外でロボット博物館「ブッダグラム」を運営する起業家、プルショッタム・アリャール氏は、「ルンビニといえば期待が大きいのですが、インフラが不足しています」と話す。「トイレが少ないとか、チケットを購入するゲートが1つしかないとか、そういう不満を持っているお客さんがいます。」

パンデミック前には年間200万人近い観光客が訪れたにもかかわらず、ニグリハワ、ゴティハワ、クダン、ラマグラムといった仏陀の生涯に縁のある他の聖地を訪れた巡礼者は、その存在を知らなかったり、行くのが難しすぎるという理由で、わずか2%程度にとどまっている。

現在、ルンビニを訪れる外国人の多くは、ボッダガヤ、サルナート、クシナガルを含む仏教の巡礼路の一部として、施設や交通の便が良いインドから訪れている。巡礼者は、カトマンズに飛んでから聖地に向かうよりも、インドを経由してルンビニに向かうことを好む傾向がある。

「地元のガイドを雇えば、本物の情報を得ることができますが、ネパール人観光客はほとんどガイドを雇いません。インド人観光客はインドからガイドを連れてやってきて、ルンビニの物語を自分たちなりに語っていきます。ただ出入りするだけなら、長く滞在する動機は生まれませんね。」と、ルンビニでガイドをしているマヘシュ・パティ・ミシュラ氏は語った。

このギャップを埋めるのが、現在改修中のルンビニ博物館である。「釈尊の生涯と後世の影響を伝える既存の博物館を国際的な水準にアップグレードし、拡張する予定です。」と同博物館のスンミマ・ウダス氏は語った。

聖なる庭の入口に位置するルンビニ博物館は、芸術や 遺産をいかに保存、展示、普及させるかという基準を設定しながら、この聖地を主要な精神的・文化的中心地として再生させることを目的としている。

この博物館は、ネパールや世界中から才能ある人材を集め、慈悲と平和という釈尊のメッセージを教育・普及する最先端のプロジェクトとして、丹下健三氏が設計した円筒形の建物の中に、かつてウ・タント国連事務総長が目指した構想を実現しようとしている。

ウダス氏は、 「博物館にはさまざまな種類がありますが、ここは彫像を展示するたけの博物館ではありません。ストーリーテリングが重要なのです。ルンビニで何が起こったのか、なぜ釈尊の誕生秘話が重要なのか、そしてそこから私たち人間が何を学ぶことができるのか、一度訪れれば、より理解を深められるような(小さな宝石のような)拠点になればいいと思っています。」

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Nepali Times
ルンビニの歴史
2645年前
マヤ・デヴィ王妃がデヴダハに向かう途中、ルンビニの木立の中でゴータマ・シッダールタが生まれる。
2575年前
釈尊が80歳で入滅。
紀元前3世紀
アショーカ王がルンビニを訪れ、釈尊降誕の地を記念して石柱を建てる。
4~7世紀
中国の僧、法顕や玄奘が廃墟となったルンビニを訪れる。
1312年
ジュムラ(ネパール西部)のリプ・マッラ王、アショカ王の石柱に自分の名前の落書きを刻む
 1896年
アショーカ王の石柱、タンセン総督カドガ・シャムシェール将軍とドイツの考古学者アントン・フューラーによって再発見される。
1932~39年
ケシャール・シャムシャー将軍による考古学的発掘調査により、古代の僧院や寺院が発見される
1956年
マヘンドラ国王、ルンビニを訪問
1959年
ダグ・ハマーショルド国連事務総長、ネパール訪問中にルンビニを訪れる
1967年
ウ・タント国連事務総長がルンビニを訪問し、国際平和センターとしての発展を誓う
1972年
丹下健三にマスタープランの作成を依頼し、1978年完成
1995年
ネパール考古局、釈尊が生まれた場所にある標石を発掘
1997年
ユネスコ、ルンビニを世界遺産に登録決定
2003年
マヤ・デヴィ寺院、ブッダ・ジャヤンティ(ウェーサーカ祭)で初めて一般公開される

ルンビニー巡礼の歩み

 Gautam Buddha International airport  Credit: Nepali Times

2020年以降、新型コロナのパンデミックで巡礼者や観光客の往来がほとんどなかったルンビニに、ゴータマ・ブッダ国際空港が開港し、新たな希望が生まれる。

新空港を見越して15もの新しいホテルが計画されていたが、ロックダウンの影響で建設を中止せざるを得なかった。ここの古いホテルのいくつかは新しい所有者に売却され、聖地を管理するルンビニ開発トラストは大きな収益を失った。

ルンビニホテル協会のリラ・マニ・シャルマ氏は、「新しい空港ができたことで、交通量が急増することが予想されたため、多くのホテルが新たに建設されていました。彼らは銀行から融資を受け、すでに多くの投資をしていたため、プロジェクトを放棄することができなかったのです。」と語った。現在、空港からルンビニまでの10kmの区間と、空港とバイラワ・ブットワル高速道路を結ぶ道路で工事が進んでいる。

パンデミックはホテル業界だけでなく、ホテルに農産物を供給する農家、ガイド、旅行会社など、ホテル業界に依存する人たちをも直撃した。

マヒラワールのラクシュミ・チョードリ氏は、新空港の落成式と同じブッダ・ジャヤンティの吉日に、新しいホームステイ施設の落成式に臨もうとしている。

「私はしばらくホテル業に携わってきましたが、自分で何かやりたいと考えていました。新しい空港ができれば、きっと多くのゲストが訪れるでしょうし、ホームステイであれば、より本格的な現地体験を提供することができます。」とチョードリ氏は語った。

ルンビニのガイド協会やホテル協会も、慎重な姿勢で楽観視している。「インドからではなく、ネパールに直接来訪する人が増えれば、地元により長く滞在し、周辺地域も日程に組み込むようになるので、地元のビジネスにとって良いことです。」とシャルマ氏は語った。

しかし、業界の専門家によれば、国際空港ができただけでは何も保証されないという。ICIMODの観光専門家のアヌ・ラマ氏は、「ルンビニの自然と文化的、精神的側面を統合し、地域社会を巻き込むアプローチが必要です。そのためには、巡礼者に対して釈尊についてのストーリーを語り継ぎ、効果的に発信する取り組みが欠かせません。」と語った。(原文へ

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