【プレトリアIPS=モギヤ・ンドゥル】
今週末、コンゴ民主共和国で新たな軍事作戦が実施された。同国からの報道によると、先週9人の国連平和維持部隊のメンバーを殺害した地元民兵組織の武装解除を実施するために、約800人の国連部隊がコンゴ北東部のイツイ地域に配備されていた。
“Nationalist and Integrationist Front”派の民兵組織は、それまで地元コンゴ住民を襲撃し、ここ数週間で約7万人の住民が家屋を捨てて避難していた。
民兵による襲撃でバングラデシュ人の国連兵士が殺害されたことに端を発した今回の国連部隊の作戦で、約60人の民兵が射殺された。犠牲となった国連部隊の兵士は、1万6000人以上がコンゴ国内に展開する国連コンゴ監視団(Monuc:日本はMonuc経費の20%を負担)の一部を形成する部隊だった。
この数日間の出来事は、コンゴ民主共和国(DRC)に平和を定着させることの難しさを物語っている。コンゴでは5年間に及んだ内戦を収拾するために2002年に停戦合意がなされたが、同国の東部地域ではその後も内紛が続いている。
「コンゴは国家としての呈をなしていない。内政の基盤は極めて脆弱」と、亡命コンゴ人青年で組織する圧力団体“Congres Panafricain (COPAN)のジェームス・マランダ外交部長は言う。「例えば、コンゴ東部のカサイ地方で問題が発生すれば、政府は首都キンシャサから人を派遣して解決にあたる。しかし派遣される人物はカサイがどんな所かすら知らないといった具合だ」。マランダ氏は木曜日、COPANがプレトリア(南アフリカの行政上の首都)で南アフリカ協会(AISA)との協力で開催された会議で、そのように述べた。
コンゴ内戦は、コンゴ政府と、ウガンダ及びルワンダの支援を受けた様々な反乱グループ間の抗争であるが、戦闘行為、あるいは戦火に巻き込まれた地域に蔓延した病気、食糧不足などにより、死亡した人数は300万人にのぼると言われている。
コンゴ内戦は1998年、ウガンダ、ルワンダ及び当時のコンゴ大統領ローレン・カビラ氏の対立に端を発する。ウガンダ・ルワンダ両国はその前年カビラ氏を支援し、それまでコンゴに長期支配を敷いていたモブツ・セセ・セコ氏の追放に重要な役割を果たした。しかし、その後カビラ氏が両国の思惑通りに動かないことが判明すると、両国はコンゴ国内の反対勢力を支援し、反カビラ武装闘争を始めた。
特に、カビラ大統領が、1994年のルワンダ大虐殺を引き起こしコンゴに逃亡したフツ族民兵組織が、国境を越えてルワンダを攻撃し続けている問題について有効な対策を打てなかったことが両国介入の背景にあると思われる。
カビラ大統領は、アンゴラ、ナミビア、ジンバブエの介入によって前任者のように政権の座を追われる事態は避けれたが、後に暗殺された。しかし外国軍の駐留はコンゴ財政を大幅に圧迫することとなった。コンゴは様々な鉱物資源、ダイヤモンド、木材に恵まれており、コンゴ内紛に介入した諸国は、非合法にそうした資源の収奪を行っている。
昨年末、ポール・カガメルワンダ大統領は、コンゴ側に展開するフツ族民兵組織に対処するためコンゴ領内に軍隊を進めると再び脅迫してきた。それを裏付けるように、ルワンダ軍が国境を越えてコンゴに侵入したという報告が各地でなされている。
「残念ながら、ルワンダ軍はなおもコンゴ領に留まっている。カガメ大統領は、なおも『自衛』を口実にコンゴ領内に軍隊を留めている。ルワンダによるコンゴの内政干渉に対して何らかの手を打たなければならない」と、木曜の会議に参加したAISA研究員のヤジニ・フネカ・エープリル氏は語った。
一方、COPAN議長のイブ・カマング氏がコンゴを蝕んでいる要因としてルワンダを非難するのは適切でないと警告した。「私たちコンゴ人はフツ人の武装勢力(interahamwe)の武装解除など国内問題を自ら解決できないできた。そして今、そのツケに直面しているのだ。私たちは、そのツケの原因として非難の対象となってもらう都合のいい身代わりを探しているにすぎない」と語った。
インヤルワンダ語の“interahamwe”は、「共に戦う者」「共に立ち上がるもの」を意味し、ルワンダの大量虐殺を引き起こした者達に付けられた名前である。
コンゴ内戦終結に向けた交渉は南アフリカを仲介に行われ、その結果、反乱軍指導者、民間反体制派代表、そして故ローレン・カビラ氏の子息ジョセフ・カビラ大統領が率いる政府関係者の3者で構成する暫定政府を設置することが合意された。
しかし、木曜日の会議に参加者した代表団の中には、今回の和平プロセスから一般のコンゴ市民の大半が締め出されている問題を指摘し、「中央政府に市民の声を届けるには市民が力を合わせる必要がある」と主張するものもいた。
カマング氏は言う。「私たちはコンゴを再建する必要がある。ただしコンゴの人々は、地方レベルなどより小さな行政単位の下にまず再編成されるべきである。そしていったん自分たちを組織化できるようになれば、暫くそのレベルで自治を経験し、そして徐々に自由意志で大コンゴを再構築すべきである」
カマング氏は「ここで言う地方分権の考え方は地方の分離独立を訴えるものではない」と慎重に語った。コンゴでは1960年に南西部のカタンガ地域の分離独立運動が粉砕された経緯があり、「分離独立」の話題はタブーとなっている。
「私たちは分離独立を支持しているのではない。アフリカ大陸で2番目に大きな面積を占めるコンゴはあまりにも多くの民族から構成される多民族国家である故に、地方で起こっている問題が理解できない首都キンシャサの人々によって一極支配できる国ではないと言っているのだ」とカマング氏は語った。
また木曜日の会議では、6月にコンゴで予定されている選挙についても触れた。
南アフリカ大学の政治学講師ディリク・コッツェ氏は、僅か2年間の移行期間で、コンゴ国民が、例えば裁判所(選挙において投票の信憑性を決定するのに重要な役割を果たす)などの公的機関が各々独立を守って機能するようになったと信頼を寄せるようになるかは疑わしいと思っている。移行期間は2002年の和平合意に始まった。
コッツェ氏は2000年の米国大統領選挙に際して示された効果的な司法システムの重要性に言及して、「移行期間は信頼醸成のためにあるもので、移行期間が長ければ長いほど、国民の間の信頼も醸成されることとなる」「(米国大統領選挙の際には)人々は裁判所に判断を仰ぎ、裁判所はブッシュ氏の勝利を宣言した。そして米国の人々は裁判所の判定を受け入れた。もし裁判所のような機関が存在しなかったならば、民主党のアル・ゴア候補は戦い続けただろう」と語った。
またコッツェ氏は「選挙結果が各々の指導者の思惑に沿わなかった場合に内戦が再発するのを防ぐためにも、コンゴ各地に武装割拠する派閥の動員を解く必要があるだろう」と語った。(原文へ)
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩