【ニューヨークIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】
「世界市民及び持続可能な開発のための教育」(EGCSD)は、専門的流行語になるにはまだ程遠い。実際のところ、専門家の世界の外ではこの概念はまだ広く受け入れられているとは言えない。このテーマに精通している人々ですら、説明はしながらも、そのメッセージを根付かせるのに苦労している。
「今日は技術が進歩し、ガバナンスがますます国民国家の枠組みを超えてなされるようになっているにも関わらず、世界市民の概念は不思議なほど不在である。この用語は歴史的に何を意味し、どのような取り組みが、この概念をまとまりのある民主的で政治的な取り組みへと発展させる可能性があるだろうか?」と最近の論文の中で問うているのは、「世界市民イニシアチブ」(TGCI)の共同創設者であるロン・イスラエル氏である。
イスラエル氏によれば、世界市民とは、生まれつつある世界コミュニティーの一員であることを自覚し、その行動によって世界コミュニティーの価値や取り組みを構築することに貢献しようとする人々のことだ。これは一見、分かりやすそうに思える定義だが、具体論となると問題が出てくる。
最貧国における開発や世界の平和、女性・子どもの人権に関する取り組みで著名なバングラデシュの外交官であるアンワルル・カリム・チョウドリ氏は、世界市民の概念は各個人の「考え方、行動のあり方」であるとの見解だ。
チョウドリ氏は、「実際に、潘基文国連事務総長が2013年9月に開始したグローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)に期待している基本的な変化とは、「発想を変えていく」ということです。つまりこの場合、(教育を通して)若い世代が従来の発想を転換し、『①自分たちがより広い世界の一部であると感じる。②地域の狭い観点からのみ物事を考えるべきではないと考える。③世界全体の一部であると感じることなしに人類の最善の利益になるような広い目的を達成することはできないと理解する…』といった心構えを身につけていくことを期待しているのです。」と語った。
世界銀行や国連環境計画(UNEP)と協力してきた「DEVNETインターナショナル」の会長でCEOのアルセニオ・ロドリゲス氏は、世界市民の本質を次のような事実に見出している。「私たちは誕生とともに、共通の故郷(=地球)、エネルギー源としての太陽、すべての生活必需品・住居・食べ物の供給源としての大地、身体・心・精神を維持するための社会的環境、そして、人生の素晴らしい経験を共有する同胞(=人類)を受け継いでいるのです。」
さらにロドリゲス氏は、「従って生命とは、その究極的な本質において、『人間と人間』そして『人間+地球とそれを維持する富』との間の関係のことです。「この関係を全てにとっていかに生産的で実りの多いものにするかということが私たちの課題です。現在、新しい概念やモデルが芽生えつつありますが、いずれも私たちを持続可能性と世界市民へと完全に導くほどには、根付いていません。」と付け加えた。
スリランカのパリサ・コホナ国連大使は、歴史的な具体例を挙げながら、世界市民の概念は、19世紀・20世紀だけではなく、かなり長きにわたって議論の対象になってきました。」と語った。
哲学的、宗教的な議論がこれだけありながら、世界市民の概念がこれまで普遍的に受容されることはなかった。歴史的には、人類は多くの帝国が興隆する様を目の当たりにしてきた。そしてこうした帝国内において臣民は、帝国の一部であるという共通の要素に慣れ親しむよう促されてきた。
この点についてコホナ大使は、「おそらく、それは平等な人間としてではなく、同じ支配者に恭順する個人として、(帝国の一部であるという自覚を持つよう)促されたからでしょう。結果として、それは多くの人々が世界市民と考えるようなものではありませんでした。」と語った。
にもかかわらず、結果として、「世界」というものについてのより幅広い認識が(そうした帝国に組み込まれた)多くの人々の心の中に形成されてきた。紀元前330年頃、アレクサンダー大王はバルカン半島南部の小国マケドニア王国を南アジアのインダス川の岸辺にまで拡大し、自らの遺産として、広大な帝国の臣民の脳裏にギリシャ文化と一体化しているという観念を残した。
のちに、ローマを拠点とするより大きな帝国が、その傘下に小アジアや北アフリカ、欧州の広範な地域を支配した。このローマ帝国の出現により、西洋世界にはそれまで存在しなかったタイプの政治的一体性が生まれたのである。ローマ帝国が残した政治的、社会文化的足跡は、今日でも依然として、多くの人々の精神に一つの要素として残っている。
さらにコホナ大使は、(7世紀~13世紀には)バグダッドやダマスカスを首都とするカリフ領(ウマイヤ朝とアッバース朝)の拡大によって、より大きな帝国が出現し、そこでは、経済関係や宗教、文化を包含した一つの体制に帰属するという一体感が、この時期のスペインから北アフリカ、中東、そして北部インドにかけてみられた点を指摘した。この場合、宗教(イスラム教)という下支えの枠組みが明確な要素であった。
さらに時代が下り15世紀になると、大航海時代に先鞭をつけたポルトガル海上帝国とスペイン帝国が興隆した。「両帝国は地球をまたぎ、市民と臣民の間に一体性の感覚を生み出した。」とコホナ大使は指摘した。宗教、文化、貿易関係がこれらの帝国の本質的な要素であった。
その後、オスマン帝国、オランダ、英国、フランスが、強大な帝国を築いた。とりわけ18世紀以降にオランダ、スペイン、フランスを打破して北米とインドでの植民地獲得競争に勝利した大英帝国では、「太陽は沈むことなく、その遺産ははるか遠くに及ぶ」と言われた。一方、チンギス・ハーンとその後継者たちによって、一時は東欧のポーランドや中東のシリアにまで領土を拡大したモンゴル帝国(13世紀)もきわめて統合された社会で、大都の役人が発行した通行許可証は、帝国最西端の中東でも通用した。
「しかし、これらの帝国によって創り出された一体性は、例えば、地理的な現実や物理的力の限界など様々な理由によって、いずれの場合も、全世界を包含するには至りませんでした。」とコホナ大使は語った。
加えて、一つの帝国はしばしば他の帝国による挑戦に晒され、やがて没落していった。こうした諸帝国は、本当の意味での「世界市民」の感覚を創り出したわけではない。実際には、帝国同士で互いの領土や植民地の覇権を巡って抗争を繰り返しており、帝国によっては領内に様々な種類の臣民がいて「一体性」の観念など全く存在しないケースもあった。
「しかし一方で、これらの世界帝国が人類にもたらした効果も一つあります。つまり、帝国支配のもとで、様々な民族や文化、哲学、宗教的信条、科学的知見、政治的概念、経済システムがまとめあげられ、少なくともある点においては、私たち人間の間に共通の要素があるという感覚だとか、一つの共通の傘の下にそれらをまとめたいという願望が人々の心に生じたことです。」とコホナ大使は指摘した。
20世紀には、人権や民主主義的規範を基礎とした、準地域レベル、地域レベル、国際レベルの様々な組織が登場したが、それは21世紀入っても続いているプロセスであり、世界市民の観念が様々なレベルの人々の心と生活に根付くのは、教育を通じてであると識者らは考えている。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
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