【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アヤラ・アラニス】
核抑止が再び世界の権力構造の柱として前面に出つつある中で、ラテンアメリカ・カリブ海地域は、核兵器に依存しない安全保障という立場を粘り強く掲げている。安全は核によってではなく、核兵器を持たないことによってこそ確かなものになる―という考え方である。

その確信を中心に据えるのが、新刊『A 80 años de la era nuclear: ¿Dónde estamos y a dónde vamos? Una mirada desde México y América Latina(核時代80年―私たちはどこにいて、どこへ向かうのか。メキシコとラテンアメリカからの視座)』である。本書は、世界初の「非核兵器地帯(NWFZ)」の視点から、核という大量破壊兵器の軍縮をめぐる歩みとリスク、そして未解決の課題を検証する。
編纂を担ったのは、メキシコ外務省の軍縮・不拡散・軍備管理調整官であるマリア・アントニエタ・ハケス・ウアクハと、イベロアメリカーナ大学の教授・研究者であるアベラルド・ロドリゲス・スーマノである。両氏は本書を、緊張が再燃する国際環境の中で、核兵器をめぐる理論的・政策的議論を更新する試みと位置づけている。
本書は、冷戦期の従来型の議論をなぞるものではなく、核テロ、サイバー上の脆弱性、人工知能(AI)がもたらす不安定化、さらには抑止ドクトリンの揺らぎといった、近年浮上する新たな争点に焦点を当てている。
抑止に頼らない安全保障という選択
本書が刊行された背景には、世界の安全保障を支えてきた前提が大きく揺れ始めているという現実がある。ウクライナでの戦争に加え、米国によるベネズエラでの軍事行動や、グリーンランドをめぐる強硬な発言は、国際秩序が新たな段階へ移行しつつあることを示している。
こうした動きが広がる中でも、ラテンアメリカ・カリブ海地域は、「核兵器があってこそ国家は守られる」という考え方には距離を保ってきた。むしろ、この地域は長年にわたり、大量破壊兵器を広げないこと、そして非核兵器地帯を維持・強化することを安全保障の柱としてきた。

イベロアメリカーナ大学のロドリゲス・スーマノ教授は、INPS Japanの取材に対し、「核兵器を持たないことこそが、ラテンアメリカ・カリブ海にとって最も確かな安全の保証だ」と語る。
この考え方によれば、核兵器を持たない国は、大国からの軍事的圧力や介入の対象になりにくい。核兵器の有無は大国の判断に大きな影響を与え、核を持たないことで、緊張の高まりや武力衝突へと発展するリスクを抑えることができるという。
「核兵器を持たないことは、米国が敵対的、あるいは自国の利益に反すると見なした国に対し、軍事介入を検討する追加的な理由を与えない。その結果、衝突や介入、さらには政権転換に至る可能性を大きく下げることになる」とロドリゲス・スーマノ教授は説明する。
トラテロルコ条約という転換点
本書の中心にあるのが、トラテロルコ条約である。この条約は2月14日に59周年を迎える。1962年のキューバ危機(ミサイル危機)を受けて採択され、ラテンアメリカ・カリブ海地域を世界で初めての非核兵器地帯として確立した。
条約は、地域を構成する33カ国において、核兵器の製造や保有、配備を禁止した。軍事力の均衡に頼るのではなく、ルールによって安全を確保するという、画期的な枠組みだった。
ロドリゲス・スーマノ氏は、この条約の意義は地域にとどまらないと指摘する。トラテロルコ条約は、その後、世界の他地域で非核兵器地帯が生まれる際のモデルとなり、同様の枠組みがさらに4つの地域(南太平洋〈ラロトンガ条約〉、東南アジア〈バンコク条約〉、アフリカ〈ペリンダバ条約〉、中央アジア〈セミパラチンスク条約〉)に広がった。
現在では、こうした非核兵器地帯に参加する国は117カ国にのぼり、対象となる範囲は地球の表面積の半分以上を占めている。

「ラテンアメリカは、最初の核戦争の舞台になりかねなかった。」とロドリゲス・スーマノ氏は振り返る。1962年、米国とソ連が戦争寸前まで追い込まれたキューバミサイル危機が、その象徴だ。「しかし現実には、この地域は核対立の最前線ではなく、核軍縮の試みを進める実験場となった。」
覇権と生存のための「抑止」
本書は、理想論だけでなく、現実の国際政治の動きにも目を向けている。ロドリゲス・スーマノ氏によれば、核兵器を持つ国々は今も、世界での影響力を保ち、自国を守るために「抑止」という考え方に頼っている。
「米国もロシアも、核兵器を持つことで国が生き残れると考えている。国際社会の中で自国の立場を守れる限り、主権は保証されるという発想だ。だから核兵器が、そのための手段として位置づけられている。」と同氏は説明する。
核兵器を持っているかどうかは、大国の行動を大きく左右する。ロドリゲス・スーマノ氏は、対応の違いがはっきり表れる例として、中国や北朝鮮への姿勢を挙げる。

「ロシアは、中国や北朝鮮に対して慎重に振る舞っている。米国も現在、北朝鮮に対して直接的な軍事行動を取っていない。核兵器を持つ相手には、対応が変わるのだ。」と同氏は語る。
さらに同氏は、ヨーロッパが難しい立場に置かれているとも指摘する。国際秩序が変化する中で、欧州はロシアの勢力拡大への対応を迫られる一方、グリーンランドをめぐる強硬な発言や取得をちらつかせる圧力といった、新しい形の脅しにも向き合わなければならないという。
技術変化がもたらす新たなリスク
本書の大きな特徴の一つは、これまでの軍備管理の考え方では十分に対応できなくなりつつある、新しいリスクを正面から取り上げている点にある。サイバー攻撃や人工知能(AI)、情報戦の広がりが、核兵器を管理する仕組みを一段と複雑にしているという問題だ。
たとえば、核兵器の指揮や管理を担うシステムに不正に侵入される可能性や、ミサイル発射を察知する早期警戒データが改ざんされる危険性が指摘されている。さらに、AIを使った判断が誤作動を起こせば、誤った決定につながるおそれもある。こうした事態は、もともと不安定な核抑止の仕組みに、新たな不安定要因を加えかねない。
編者たちは、これらの問題を「遠い将来の話ではなく、すでに直面している現実的な課題」だと位置づける。そのため、時代に合った新たなルール作りと、国境を越えた協力を改めて強化する必要があると訴えている。
この点で、外交や検証制度、国際的な取り決めを重視してきたラテンアメリカの経験は、地域を超えて参考になる教訓を含んでいると本書は示している。
世界に開かれた無料公開の書籍
『核時代80年』は、印刷版に加え、メキシコ国際研究協会(AMEI)のウェブサイトから無料でダウンロードできる。英語版の準備も進められており、日本語版についても翻訳に向けた支援が模索されている。
本書には、国際原子力機関(IAEA)事務局長のラファエル・マリアーノ・グロッシ、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のヤンス・フロモウ・ゲラ、ラテンアメリカ・カリブ海核兵器禁止機構(OPANAL)の国際関係担当官マルタ・マリアナ・メンドサ・バスルト、国連常駐コスタリカ代表のマリツァ・チャン・バルベルデなど、国際的に影響力のある専門家や外交官の論考も収録されている。

寄稿者たちの分析が共通して伝えるのは、核のリスクが再び高まる時代にあっても、ラテンアメリカ・カリブ海が歩んできた軍縮の道は、決して時代遅れではないという点だ。むしろ、それは現実の国際政治の中で成り立つ、もう一つの安全保障の選択肢である。
核時代の幕開けから80年。世界が再び「抑止」に立ち戻ろうとする今、この地域の経験は、安全は本当に核兵器に依存しなければ守れないのかという根本的な問いを、改めて私たちに投げかけている。(原文へ)
INPS Japan
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