国連人権理事会が任命した専門家グループは、イランで審議中の、公の場でスカーフ(ヒジャブ)を着用しない女性や少女に新たな処罰を科す新法案に重大な懸念を表明した。「この法案は、ジェンダー・アパルトヘイトの一形態と言える。当局は、女性と女児を完全に服従させるために抑圧することを意図し、体系的な差別によって統治しているように見えるからだ」と、独立専門家らは9月1日付の声明で語った。
【ニューヨークIPS=サナム・ナラギ・アンダーリニ】
9月16日、イランの悪名高い「道徳警察」によって殺害されたマフサ・アミニの1周忌を、イラン中の人々が記念した。ヒジャブを適切に被っていなかったという理由で逮捕された22歳のアミ二は、激しく殴打され、脳を損傷して死亡した。この暴力と、政権による犯罪の隠蔽に対して、イランの女性や少女たちの40年来の鬱積した怒りが爆発した。イラン全土の都市や町で抗議行動が起こった。これまで女性が直面する日常的な屈辱や制度的な差別に対して共感することが少なかった老若男女までが抗議行動に参加した。またアミニがクルド人であったことから、イランのクルド人、バルチ人、その他の少数民族の間でも抗議行動が広がっていった。抗議者たちの画像がソーシャルメディアに溢れ、#WomenLifeFreedom(WLF)運動が生まれた。政権が取り締まりを強化し、500人以上が殺害され、無数の人々がレイプされ、負傷し、脅迫されるなか、イランの若者たちの世界へのメッセージは「私はみんなの声になる。(be our voice)」というものだった。この運動は世界的な反響を呼んだ。
1年経った現在、その犠牲と命に見合うものはあるのだろうか?
イランにおける市民的不服従:灰の下の火種
この記念日に大規模なデモが行われることを予期して、政権は人々を一網打尽にし、さらに多くのデモ参加者を殺害し、主要都市に治安部隊を配備した。国会議員たちは、過酷なヒジャブ規則と刑罰をさらに強化する新たな法案を通過させると脅迫した。政治的には、政権内に強硬な保守派と穏健な改革派間の対立軸があったが、政権自体の存亡を揺るがす事態に直面して、両派は接近し団結を強めている。経済的には、経済制裁と内部腐敗が混在した結果、革命防衛隊が民間部門の多くを独占している。治安面では、旧来型の治安要員と最新の監視・顔認識技術を織り交ぜて、国家による監視体制を強化している。しかし、国内の民衆から自らの正統性が問われる危機に直面した指導部は、外部からの支援も求めた。
今回は、イランの長年の宿敵であるサウジアラビアが、救世主となった。中国が仲介したこの和解によって、イラン政権は面目を保ち、注意を東へと向けられるようになった。
しかし、これによってイランのZ世代が抑止されることはない。昨年の激しい弾圧は、結果的に大きな後退をもたらした。テヘランからマシュハド、そして様々な地域で、多くの女性がもはや強制的なヒジャブの着用をやめている。ペルシャの諺(ことわざ)にあるように、WLF運動は灰の下で燃える火種のようなものだ。灰の下にある 政権の手口を知っている若者たちは、新たな戦術を編み出した。最近テヘランを訪れた人は、この記念日の数週間前から、若い女性たちが人々に連帯のための服装を勧めるチラシを配っていたことを指摘した。女性は白いTシャツにジーンズ、男性はボタンダウンシャツにカーゴショーツ。このような無抵抗主義的な市民的不服従戦術はリスクが低く、参加者も多い。
音楽家、芸術家、学生、映画監督、作家、詩人、さらにはシェフまでもが政権によって逮捕されたことは、政権が実存的な恐怖を示していることをイラン人は知っている。10歳の少女がハメネイ師の写真を破り、小学生が抗議歌を歌うなど、イラン国内で起きている世代間の地殻変動は否定できない。それは、より大きな自由、近代化、男女平等へのシフトである。それは単なる「ボトムアップ」の革命ではない。イランで最も影響力のある保守的な人物の家庭に根を下ろした、急進的な社会進化なのだ。単刀直入に言えば、イランをイデオロギー的なイスラム主義社会に変えようとした彼らの試みが、自分たちの子どもや孫、少女、少年たちとともに失敗したことを、政権の指導者たちは知っているのだ。これは重要な政治的、社会的、そしてイデオロギー的に象徴的な勝利であり、誰も過小評価してはならない。
イラン人ディアスポラの良い点、悪い点、そして醜い点
「私はみんなの声になる。」という呼びかけは、世界各地のイラン人ディアスポラ(元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティー)の間にかつてない反響を呼び起こした。心に傷を負い、互いに不信感を抱き、政治的関与を嫌うという特徴を持つコミュニティーが、突然活気づき、声を上げ、ロサンゼルスの路上から欧州議会の廊下まで、政治的な力を発揮したのである。当然のことながら、亡命した一部の政治勢力は、この出来事を自分たちの政治的利益のために利用しようとした。また、政権に対抗するために連合を組もうとする勢力もあった。
感情的で認知的な不協和音があった。一般市民レベルでは、政権に対する鬱積した怒りが、異なる未来への希望と結びついて、ディアスポラがデモや政治活動に参加する原動力となった。しかし、希望と怒りだけでは十分ではない。イスラム政権への反対を共有することで団結した政治家たちは、この国に対する共通のビジョンや、それを達成するためのロードマップをめぐって意見が対立し、挫折した。君主主義者からムジャヘディン・エ・ハルク(MEK)に至るまで、これらの反対勢力は、イラン国内のWLF運動が持つZ世代的で本質的にフェミニスト的性質を受け入れるのではなく、古い戦術で1979年の革命を再現しているように見えることがあまりにも多かった。
事件から1年が経過したが、政治グループは分裂したままだ。しかし、より多くのディアスポラたちは、移住先で力を得て政界への影響力も増している。彼らの現在の課題は、国内のWLF運動を支援し、不用意に害を与えないような、慎重かつ責任ある選択をすることである。
世界は傍観者としての声援を送るが、主導権は私利私欲にある
世界はまた、「私はみんなの声になる。」という呼びかけに反応した。西側メディアは40年間にわたって、過激派、老いた怒れる聖職者、黒服の女性、核兵器といったステレオタイプに当てはめたイメージでイランを悪者扱いしてきた。インスタグラムにアップされた、スカーフを振り、歌い、踊る、笑顔で反抗的なイランの十代の若者たちの姿は、世界中の同世代の若者たちに酷似していた。彼女らが逮捕され、暗殺されたというニュースは、より大きな怒りを呼び起こした。大学生、アーティスト、ロックスター、映画スターたちは、髪を切り、声を上げることで連帯を示した。急成長する革命の応援歌である「バライエ(…のために)」が醸し出す感情的なパワーは、現代では稀なレベルの幅広い共感を生んだ。
しかし、国際社会からの注目は厳しい政治的現実を伴っていた。米国、カナダ、欧州のの政治家たちの「心からの支持」は、実態はほとんどが単なる美辞麗句にすぎなかった。西側諸国の優先事項は、イランの核開発を封じ込めることであり、この問題で介入する意思はなかったのである。その理由は理解できる: 一方では、核武装したイランの体制は永遠に存続し続ける。他方、イスラエルは一貫して、イランが核武装を果たすのを待つつもりはないと警告してきた。先制攻撃を行うだろう。つまり地政学的には、壊滅的な戦争の脅威と、それに伴う得体の知れない混乱と人間の苦しみが、イランの若者の運命と表裏一体なのである。
地域的にも、意見の相違はあるにせよ、アラブ諸国は、諺にある通り、「革命が引き起こしかねない権力の空白という不確実性よりも、自分たちが知っている悪魔を好む。」
サウジアラビア政権とその代理人たちは、今回の出来事において重要な役割を演じてきた。2015年にJCPOAに調印(=イラン核合意)し、2016年にサウジアラビアとイランの関係が断絶して以来、彼らは民族グループの武装蜂起を支援し、欧州と北米全域でムジャヘディン・エ・ハルク(MEK)への政治的アクセスを可能にしてきた。サウジアラビアの民間資金は、衛星テレビチャンネル「イラン・インターナショナル」を強化し、パーレヴィ国王へのノスタルジーと反JCPOAメッセージをイランの家庭に放送することを可能にした。イラン・インターナショナルは、WLFの抗議活動を伝える主要チャンネルでもあった。
しかしサウジアラビアは、イランの政権の崩壊や混乱にも、独立した強力なイランの民主主義、特に女性主導のフェミニズムにも関心がなかった。彼らの理想のシナリオは、サウジアラビアの支援を必要とする弱体化したイラン政権だった。これがまさに彼らが手に入れたものだ。
一方、イラン政権は、民主主義勢力の衰退と権威主義の台頭から利益を得ている。西側諸国から距離を置き、ロシアやBRICS諸国への忠誠を深めているのは、経済的な結びつきを強めて国内的な体制を強化することに賭けているのだ。この地域やBRICs諸国が女性の権利について懸念を表明する可能性は低い。
つまり、国際社会はイランの若者たちに同情はしても、彼らの側に立つことはないだろう。では、WLFはどうなるのか?
その答えはペルシャの詩にある。ひとつは「岩と泉」のたとえ話である。山から流れ落ちる雪解け水が岩にぶつかる。水滴は岩にどいてくれと頼む。岩は動こうとしない。やがて水はたまり、岩を侵食し、小川となり、やがて力強い「川」となる。イランの女性たち–祖母、母、そしていまや娘たち(そして息子たち)–は、何十年もの間、毎日、毎年、政権の女性差別と戦い、ヒジャブを少しずつ戻し、大学に通学者を増やし、法の下の平等を求めて戦ってきた。「私たちはイランにとどまり、イランを取り戻す」と彼女たちは叫び、亡命に追い込まれることを拒否している。
彼女たちには理想があるが、イデオロギーに流されることはない。内部から削り取ることで、革命や改革ではなく、進化と変革を促しているのだ。
WLFの指導権を主張しようとする亡命者たちについては、叙事詩の第10番『鳥の会議』を見直すべきだ。物語の通り、世界は争いに明け暮れていた。フーピー鳥はすべての鳥に呼びかけ、賢明な指導者である神話上の「シームルグ」を探す旅に出る。鳥たちは山や谷の上空を、吹雪や火の嵐や砂漠の中を飛び回る。ある者はあきらめ、ある者は挫折する。最終的に30羽が氷河湖のある最後の山頂にたどり着く。「シームルグはどこ?」と彼らは叫ぶ。「湖を覗き込めばわかる」とフーピーが答える。鳥たちは湖を覗き込み、自分たちが映った30羽の鳥(シームルグ)の顔を見る。リーダーシップは自分自身の中にあったのだ。
アミニの死から1年を経たイランでは、「川」が勢いを増している。厳しい時期が続くだろうが、数百万人がシームルグとして生まれつつある。(原文へ)
サナム・ナラギ・アンダーリニは、MBE 国際市民社会行動ネットワーク(ICAN)創設者/CEO、コロンビア大学国際公共問題大学院非常勤教授。
INPS Japan/ IPS UN Bureau Report
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