【ベルリン/東京IPS=ラメシュ・ジャウラ】
日本の都市、広島と長崎に対して、8月6日と9日になされた残酷で軍事的には合理性に欠ける原爆投下から70年、「核兵器なき世界」への道のりは依然として遠いままだ。
平和祈念式典で広島・長崎の両市長は、被爆者の経験に耳を傾け、核兵器の完全廃絶の必要性について世界的に意識を高めていくよう熱心に訴えた。
1945年の原爆投下で両市は一瞬にして廃墟と化し20万以上の人々が、放射線や爆風、熱線により亡くなった。しかも戦争終結から今日に至るまでに、さらに40万以上の人々が原爆による後遺症のために命を落としている。
今年3月31日の時点で、日本政府は18万3519人を被爆者として認定している。その大部分が日本居住者である。日本の被爆者援護法は、被爆者を、「(原爆投下時に)爆心地から数キロ以内にいた人々、原爆投下から2週間以内に2キロ以内に入った人々、降下した放射性物質に晒された人々、これらいずれかのカテゴリーに入る妊婦の子として産まれた人々」と定義している。
広島・長崎の原爆記念日に関連して配信された報道の中には、原爆投下は軍事的な合理性に欠いていたとするものも見られた。
ガー・アルベロビッツ(メリーランド大学ライオネル・R・バウマン政治経済学元教授)は『ネイション』誌に寄稿した記事の中で、米国は「広島への原爆投下以前に、既に戦争に勝っていた。そして、原爆を投下した当時の将軍たちもそのことは知っていた」と述べている。
アルペロビッツ元教授は、ハリー・トルーマン政権で参謀長をつとめたウィリアム・リーヒー提督の1950年の回顧録『私はそこにいた』を引用している。「広島と長崎におけるこの野蛮な兵器の使用は、日本に対する我々の戦争において何ら実質的な貢献をなさなかった。日本はすでに敗れており、降伏寸前だった……。」
1953年から61年まで米国大統領職にあったドワイト・アイゼンハワー氏も同じ見解であった。アイゼンハワー氏は、第二次大戦中は五つ星の将軍で欧州連合国軍司令官を勤めた。
アイゼンハワー氏は、ヘンリー・スティムソン陸軍長官から原爆投下の決断について聞かされた時、「日本はすでに戦争に負けており、原爆を落とすことは全く不必要だという信念を基礎にして、私自身の不安を伝えた」と回顧録に書いている。
第21爆撃司令部の司令官で有名なタカ派のカーティス・ルメイ将軍ですら、原爆投下の翌月(9月20日)の記者会見で、「(対日)戦争はソ連の参戦がなくても、原爆がなくても、二週間以内に終わっていたでしょう。原爆投下は、戦争終結とはなんら関係ありません。」と述べたとアルペロビッツ氏は書いている。
「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマー博士は、「世界の人々が手を取り合わなければ、我々は絶滅する」と、政治家に対してこの恐るべき原子力の国際的な管理を呼びかける書簡の中で述べている。
オッペンハイマーの呼びかけはまだ実現されていない。
広島の松井一実市長は、8月6日の平和宣言でこう述べている。「世界には、いまだに1万5千発を超える核兵器が存在し、核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。」
「また、核戦争や核爆発に至りかねなかった数多くの事件や事故が明らかになり、テロリストによる使用も懸念されています。」
核兵器が存在する限り、いつ誰が被爆者になるか分からない、と松井市長は警告する。ひとたび核爆発が起こった場合、被害は国境を越え無差別に広がる。「世界中の皆さん、被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、自らの問題として真剣に考えてください。」と松井市長は訴えた。
加盟都市が6700を超えた平和首長会議の会長でもある松井市長は、「2020年までの核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた世界的な流れを加速させるために、強い決意を持って全力で取り組みます。」と誓った。
「これは、核兵器廃絶への第一歩です。その次のステップは、そうして得られる信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していくことです。」「その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。」
「日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、議論の開始を主導するよう期待するとともに、広島を議論と発信の場とすることを提案しています。」と松井市長は主張した。
8月9日の長崎平和宣言では、田上富久市長が、日本の政府と国会に対して「未来を見据え、“核の傘”から“非核の傘”へ転換」することを求めた。
日本は核兵器を保有していないが、韓国やドイツ、NATO加盟国のほとんどと同じく、米国の核の傘によって守られている。
田上市長は日本政府に対して、核兵器に依存しない安全保障政策を追求するよう訴えた。「米国、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。」
田上市長はまた、国会が「国の安全保障のあり方を決める法案の審議」を行っていることに言及し、「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます。」と語った。
長崎平和宣言は、日本国憲法における平和の理念は、こうした辛く厳しい経験と戦争の反省のなかから生まれた、としている。「戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。長崎にとっても、日本にとっても、戦争をしないという平和の理念は永久に変えてはならない原点です。」
田上市長は、今年初めに国連で開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議が、最終文書を採択しないまま閉幕したことに遺憾の意を示す一方、「最終文書案には、核兵器を禁止しようとする国々の努力により、核軍縮について一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。」と述べた。
田上市長は、今回の再検討会議を「決して無駄にしないでください」とNPT加盟国に訴え、「国連総会などあらゆる機会に、核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください」と述べた。
NPT再検討会議では、被爆地である長崎・広島訪問の重要性が、多くの国々に共有されていた。
こうしたことを背景に、田上市長は、「バラク・オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、世界中の皆さん、70年前、原子雲の下で何があったのか、長崎や広島を訪れて確かめてください」と長崎市長は訴えた。
1945年以来、広島原爆を記念するいかなる集まりにも米国大統領が参加したことはない。ローズ・ゴットモーラー米国務次官(軍備管理・国際安全保障)が、米国の高官として8月6日の広島の式典に参列した。彼女は、核兵器は二度と使われてはならないと発言したと伝えられる。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
関連記事: