ニュース|エジプト|ホスニ・ムバラクの引き際(アーネスト・コレアIDNグローバルエディター・元米国スリランカ大使)

|エジプト|ホスニ・ムバラクの引き際(アーネスト・コレアIDNグローバルエディター・元米国スリランカ大使)

【ワシントンIDN=アーネスト・コレア】

26年前、もう一人のアメリカ大統領が、米国の同盟国の独裁者に特使を派遣し、独裁政権の幕引きを警告したことがあった。

ロナルド・レーガン大統領は、親友で相談相手のポール・ラクソルト上院議員をフィリピンに派遣し、フェルディナンド・マルコス大統領とのこの困難な折衝にあたらせた。その結果、マルコスは2年後に自由で公正な選挙を実施することに合意した。

 しかしフィリピン国民はマルコスに2年もの猶予を与えなかった。数か月後、マルコスの退陣を求める民衆の抗議の声がマニラの街を埋め尽くした。民衆のデモ行進は平和的なものだったが決定的なものだった(エドゥサ革命)。民衆がマラカニアン大統領宮殿に迫る中、マルコスは緊急回線でラクソルト上院議員に電話をかけアドバイスを仰いだ。この際、ラクソルト議員は「今が潮時だ。潔く身を引くべきだ。」と伝えたという。エジプトのホスニ・ムバラク大統領にとっても「潮時がきた」というべきだろう。

衝突

「世界はエジプトで前例のない民衆行動を目の当りにしているのです。」と、世界銀行前副総裁でアレキサンドリア図書館館長のイスマイル・セラゲルディン氏は語った。

セラゲルディン氏によると、民主化デモに参加した多くの民衆は青年に率いられたもので、政府に対してより幅広い自由と民主化の実現、生活必需品の価格引き下げ、並びに就労機会の拡大等もっともな要求を掲げている。こうした改革を即時実施するよう要求する群衆に対して、当初警察が暴力的な介入を試みたが、撃退されてしまった。

「次に軍隊がデモの現場に派遣されたが、民衆は軍を歓迎し、当初彼らの存在はデモに対する実力行使というより暴動を抑止する象徴的なものにすぎなかった。事態が悪化したのは、暴漢や(おそらく当局側が派遣した)扇動者が現れ略奪が開始されてからだった。これに対してデモに参加していた青年たちは、グループ分けをし、交通整理、近隣住民の保護、重要公共施設(エジプト考古学博物館やアレキサンドリア図書館等)の警備にあたった。

デモ参加者、とりわけ青年たちが、軍に協力して略奪者から文化遺産を守ろうとしたのは印象的な光景であった。

米国による当初の反応

エジプト情勢に対するオバマ政権の当初の反応は、静観しつつ、「ムバラクが去った場合の」中東予想図、国益への影響等を分析するというものであった。オバマ政権は、政権内部の中東専門家に加えて幅広い学者、政策責任者に意見を求め、それらを検討、凝縮していった。
 
 オバマ大統領は2009年6月4日にカイロで行った演説(本文末の映像資料を参照)で「結局、人権を保護する政府が、より安定し、成功し、しっかりとした政府になる、ということです。意見を抑圧しても、それを消してしまうことはできません。米国は、たとえ同意できない意見であっても、世界中で平和的・合法的なすべての意見を述べる権利を尊重します。そして私たちは、選挙によって選出された平和的な政府が、国民全員を尊重する統治を行うならば、そうした政府をすべて歓迎します。」とエジプトの聴衆に語りかけた。

しかしオバマ大統領は、エジプト情勢に対する米国の明確な態度を決定する前に、その判断が米国の貿易、中東情勢そして国内政治に及ぼす影響を慎重に検討しなければならなかった。その結果、一般教書演説ではチュニジア革命に対する支持を表明したものの、その後のエジプト情勢に関する言及は避けた。

しかしまもなく、エジプトに真の安定を回復させるには、ムバラク政権の下では不可能だろうという見方が明らかになった。

幕引きを巡る駆け引き

しかし30年に亘って無制限の権力を保持してきた軍事指導者に「潮時がきた」というメッセージを伝えることは容易なことではない。オバマ大統領は、元ベテラン外交官で事業家のフランク・ウィスナー大使にこの任務を託した。

ウィスナー氏はエジプト、インド、フィリピン、ザンビア等の大使や国防次官を歴任した人物で、ムバラク大統領とも親しい関係にあると言われている。

ウィスナー大使との面談後、ムバラク大統領は声明を発し、きたる9月の大統領選挙に出馬しない意向を国民に伝えた。これはムバラク大統領の譲歩とも言えるが、一方で容易には引退しないという米国政府に対する明確なシグナルでもあった。

ムバラク大統領は今回の状況に直面して自らを「悲劇のヒーロー」と見做しているようである。彼は国民に向かって次のように語りかけた。「本日皆さんにお話し申し上げているこのホスニ・ムバラクは、長年エジプトと国民のために尽くしてきた年月を誇りに思っています。この親愛なる国は私の祖国であり、全てのエジプト人の国です。私はこの国で生き、この国のために戦いその国土と国益を守ってきました。そして私はこの国で死ぬつもりです。私の功罪は他の人々と同じくやがて歴史が判断することでしょう?」

政治的限界

「国家の守護者」を自認するムバラク大統領は引き続き次の大統領選挙まで権力を行使し従来通り選挙過程も支配する意向である。そうなれば現状維持となり具体的には次のような展開となるだろう。

・ムバラク大統領の前任者アンワル・サダト大統領が暗殺された際に宣言された「非常事態宣言」は以来今日まで施行されたままだが、今後も解除されないだろう。

・今回の反政府運動が最も盛り上がった際に見られたように、通信施設や社会的ネットワークを政府の意のままで断絶したり再開したりする等、政府による政治活動への制約は今後も引き続き加えられるだろう。

・選挙法や選挙に関する慣習は従来通りとなり、選挙操作でムバラク大統領の子息を当選させようとする試みを防ぐことは出来ないだろう。

ノーベル平和賞受賞者で前国際原子力機関事務局長(IAEA)のモハメド・エルバラダイ氏は、今回の民主化運動参加者にある程度のリーダシップを提供してきたが、ムバラク大統領の発表を「詐欺行為」であり「ふざけた内容だ」と評した。

ムバラク大統領と約30分に亘って非公式に会談したオバマ大統領は、エジプトにおける変革をこれ以上遅らせてはならないと公に主張する必要性を感じた。オバマ大統領は短いテレビ演説の中で、「エジプトの指導者を決定するのはいかなる国の役目でもない。それはエジプト人のみがなせる事項である。明らかなことは、私は今晩、ムバラク大統領に対して、秩序ある権力移譲こそ重要であり、平和裏にかつ今からすぐにでも取り掛からなければならないという私の真意を伝えるということです。」と語った。

暴漢の登場

まもなく、ムバラク大統領と同僚は権力移譲に関して異なる考えを持っていることが明らかとなった。反政府デモの参加者は挑発もしないのに仕掛けられた攻撃から自衛する以外は、当初から一貫して平和裏の抗議行動を行ってきた。

しかし2月2日(水)の朝になると、暴漢が出現した。彼らの一群はバスに分乗してタハリール広場を囲むエリアに乗り込んできた。そしてもう一群は鞭を振り回しながら馬とラクダに乗って広場に乗り込んできた。そして広場に終結していたデモ参加者に対して、「ムバラク大統領は去らない」と叫び続けながら攻撃を加えた。

ニューヨークタイムスのコラムニストであるニコラス・クリストフ氏は以下のように報道している。「暴漢たちはマチェーテ(大鉈)、折り畳み式の西洋ナイフ、こん棒、石で武装していた。彼らは皆、同じスローガンを唱え、ジャーナリストに対して同様に攻撃的な態度をとった。彼らは明らかに組織化され事前に指令を受けていた…。」

数人の地元並びに外国人のジャーナリストが攻撃の対象となり、暴漢たちは彼らへの脅迫、機材の破壊や、追い払おうと執拗に追いかけるなどの試みがなされた。中には拉致されたものもいた。アメリカ人のジャーナリストでは、ABC放送のクリスチャン・アマンプール、CNNのアンダーソン・クーパーがこのように暴漢の標的となった。

軍は暴漢の攻撃に参加しなかった。しかし彼らを止めもしなかった。暴漢が広場に到着する少し前、軍当局の広報担当官が国営テレビに登場し、民主化運動の支持者に対して次のような質問を投げかけた。「私たちは安全に通りを歩けるか?規則正しく職場に戻れるか?子供たちと通りに出だり学校や大学に通えるか?店や工場やクラブを開店できるか?」

「正常な日常生活を復帰させることができるのは皆さんなのです。」と広報官は付加えた。「あなたたちの要求は受け取りました。私たちは皆さんの要求を知っています。軍は皆さんとともにあります。」そう言って、広報官はデモ参加者が帰宅するよう強く促した。

隙間が埋まりつつあるのか?
 
 
その後起こったことについて、目撃者達は、「それまで軍は、大統領反対派と支持派を分けるように広場の警備を固めていたが、衝突が始まると一切干渉しなかった。兵士の殆どは軍の装甲車や戦車の後ろや中に引き下がった。」と証言している。

はたして軍当局は暴漢が配置されることを事前に知っていて衝突を避けようとデモ参加者の帰宅を促したのだろうか?それとも暴漢による反政府デモ参加者への暴力を止めようとしなかった軍の動きは、軍当局とムバラク政権の間に存在するかもしれないと考えられていた意識のずれが埋まりつつある、或いは既に埋まったということを意味するのだろうか?

民主化を求める勢力を攻撃させ、あえて混乱を作り出し、それを口実に従来の強権支配を正当化させる弾圧計画が進行しているのだろうか?もしそうした計画がムバラク政権の戦略として進められているとするならば、国際社会はムバラクの政権移譲を「今すぐにでも」開始するよう一層の危機感をもって圧力をかけなければならない。

想定されるシナリオ

しかし現実には以下のようなシナリオを想定する必要があるだろう。

ムバラク大統領は30年の長きにわたって「政権に留まり続ける」ことができる能力を示してきた。様々な材料がムバラクの「潮時」であることを示唆してはいるが、多くのエジプト問題専門家は、ムバラクは今一度自身の権力維持を目指し、権力移譲に動くことはないだろうとみている。

一つのシナリオは、ジョークで有名なエジプト人の間で流行っている次の政治ジョークによく描かれている。

このジョークには、米空軍の飛行機がカイロに飛来し、隔離された某所に海兵隊の厳重な警備のもと待機するところから始まる。そしてついに「確かな情報筋」として、ムバラクが数カ月にわたる政権維持の試みの果てに、ついに民衆からも、政治パートナーからも軍からも支持を失ったことを悟り、安全に国外に逃亡する手段として航空機が手配されたのだという風評が流れる。

この話を聞きつけて、民主化運動の指導者たちが、「ムバラクは、欠点はあったものの、(彼のこれまでの功績を考えると)このまま黙って国を後にさせるのは忍びない。せめてムバラクを訪問して、旅の無事ぐらい祈ろうではないか。」ということに決する。

そしてムバラクの大統領宮殿を訪問した民主化運動の指導者たちは、対応に出たムバラクの側近に「大統領にお取次ぎしますので暫くお待ちください。」と、ムバラクの執務室の外で待つよう指示される。執務室に入った側近はムバラクに向かって、「大統領閣下、民主化運動の指導者たちがドアの外に来ておりまして、閣下にお別れを申し上げたいと言っております。いかがいたしましょうか?」するとムバラクは、「おおそうか。それはご苦労なことだ。ところで、彼らはどこに行くのかね?」と尋ねた。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*アーネスト・コレア氏は元スリランカの外交官で、駐カナダ、キューバ、メキシコ、米国大使、またメディアと開発に関するコモンウェルス特別委員会の委員長を歴任した。またジャーナリストとしては、セイロンデイリーニュース、セイロンオブザーバーの編集長、シンガポールのストレイトタイムスのコラムニストと務めた。現在、IDN-InDepth Newsのグローバルエディター、編集委員及び国際協力評議会(GCC)のメディアアスクフォース議長を務めている。


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