地域アフリカガーナ滞在を振り返って(坂口祐貴)

ガーナ滞在を振り返って(坂口祐貴)

【IDNオピニオン=坂口祐貴】

「AKWAABA(お帰りなさい)」。これが、ガーナに到着して最初に目にした言葉です。多くの人々は、アフリカというと貧困、紛争、病気といった否定的なイメージを抱きます。しかしこの広大な大陸は、そうした否定的な意味合いだけでは捉えきれない遥かに多くのものを包含しているのです。私は1年間ガーナに留学しましたが、滞在中まさにアフリカの将来に対する多くの希望とポテンシャリティーを見いだしました。

50年前、私が在籍している創価大学の創立者で仏教系NGO創価学会インタナショナル会長の池田大作氏は、「最も苦しんだ人が最も幸せになる…21世紀は『アフリカの世紀』となるだろう。」と言いました。私も全く同意見です。ガーナをより良く理解するには、その政治史と一般市民の生活水準を考察する必要があります。そうした観点から、私が現地滞在中に得た経験や印象のいくつかをご紹介したいと思います。

 ガーナは1957年3月6日、サブサハラ・アフリカで最初の独立国となり、クワメ・エンクルマ氏(1909~72年)が初代大統領に就任しました。エンクルマ氏の統率力は長年に亘る独立闘争を指導する過程で磨かれたものです。彼は、貧しい出自で苦学して進学した自身の経験から、同じく貧しさに喘ぐ民衆の気持ちを理解しその心情に訴える能力を身に着けました。大統領任期中の業績については、一部エリート知識層からの批判がありますが、一貫して民衆のために尽くした行動の人であり、その独自のリーダーシップ故に、今日に至るまで厚い尊敬を集めています。民衆の幸福を目指したエンクルマ氏の闘いは、1966年に起こった軍事クーデターと同氏の国外追放により頓挫せざるを得ませんでしたが、彼の不屈の努力があったからこそ、ガーナはアフリカ大陸で最も古い民主主義国家の一つであるとともに、今日も平和な民主主義を享受していると言えるでしょう。そうした意味から、ガーナは民衆勝利の好例だと思います。 

にもかかわらず、ガーナの人々の置かれている今日の状況は完全とは程遠いものです。電気・水道を持続的に供給するインフラの不足から、停電、断水は毎日起こっています。また、就業率が低いことから深刻な財政難に陥っている人々が多いのも現状です。さらに、女性はいまだに一部に残る部族的慣習から、しばしば権利を侵害され苦しむケースも少なくありません。例えば、ガーナ北部のある村を訪問した際、鍵で口を閉じられた女性に出会いました。その村では伝統的に、夫が彼女の上唇に埋め込んだ鍵の一部(下唇と繋ぐリング)を開けない限り、彼女は自分の口を使うことが許されていないのです。こうした施錠は、男性から魅力的かつ望ましい女性の身体的な特徴としてみなされており、この村の生活様式となっています。また、ガーナ北部のトンゴでは、18人の妻と300人の子供をもつ首長に出会いました。首長の家来に村を案内してもらった際、首長の豪邸から遠く離れた木の陰に30人程の女性が座っているのに気付きました。そして、彼女たちは首長が許可したときのみ、屋敷に入ることができるということを知ったのです。 

しかしながら、こうした慣習はさておき、ガーナには驚くべき共同体意識と人と人との交流を重視する風潮があり、それはガーナ人のコミュニケーションの取り方に顕著に表れています。これこそが、アフリカの持つ大きな強みであり、将来の発展に不可欠なものと確信しています。人々のやり取りは驚くほど親密なもので、ガーナ人は、挨拶時はもとより、その後の会話の最中にも何度となく握手を交わします。こうした親しさは彼らの文化に起因しているものです。私は街を歩いているといつも知らない人々から「Obruni(ガーナでの外国人の愛称)、お元気ですか?」と声をかけられました。ある日、ふと一日に握手した回数と通りで声をかけてくれた人の数を数えてみると、100回以上握手し、約30人が実際に立ち止まって私に話しかけてくれていました。しかし重要なのは数ではなくこうした挨拶の本質にあります。私は通りで出会ったたくさんの人々と対話を通じて多くの重要なことを学びました。私は、お年寄りの方々とガーナの将来について、画家の方と、文化の持つ力や芸術の可能性について、そして子供たちとは彼らの夢について対話しました。私にとってこうした道端で会話している時が、ガーナとその文化を最も理解できる機会でした。

道端で出会った多くの子供たちに将来の夢について聞いたところ、多くの子供たちがサッカー選手になることを夢見ていることが分かりました。しかし、経済的な理由や機会の乏しさから、夢を実現できない子がほとんどです。彼らとの対話をとおして、こうした厳しい現実とともに、彼らの夢を実現させるために自分に何ができるか、考えさせられました。そして「翼サッカーアカデミー(サッカーに特化した学校)」の創設を決意しました。アカデミーには、まだ独自の校舎も競技場もありませんが、50人の学生たちが夢の実現を目指して訓練に励んでいます。 

私は、道端で出会ったこうした全ての「先生」から、対話を通じて多くを学び、自分の使命を見いだすことができました。今では、コミュニティー精神の本当の意味を教えてくれた文化への貢献ができると自負しています。21世紀を「アフリカの世紀」とするために、私は行動を続けていく覚悟です。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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