【カトマンズNepali Times=ビシャド・ラージ・オンタ】
ネパールのグルカ兵は、比類ない勇気と忠誠心で世界的に名高い。だが、1986年にハワイで起きた出来事と、その後に続いた公正な賃金・年金を求める長い闘いは、ネパールの屈強な兵士たちが不正義を黙認しない存在でもあることを示している。
香港を拠点とする「第7エディンバラ公爵グルカ・ライフル連隊第1大隊」は、統合太平洋多国籍即応訓練センター(Joint Pacific Multinational Readiness Center)でのジャングル戦訓練のため、ハワイに派遣されていた。その最中、同部隊の兵士たちが指揮官のコリン・ピアース少佐(Major Corin Pearce)に暴行を加える事件が起きた。

グルカ兵側は、ピアースが自分たちを侮辱したと主張し、兵士111人が解雇された。ピアースは肋骨を折り、頭部にも負傷を負ったが、本人もまた除隊処分となった。
この事件は世界的に報じられ、英軍においてネパール人兵士が公正に扱われていないのではないか、という見方を強めた。また、退役兵の一部が英国人同僚と同等の補償を求め、数十年に及ぶ闘いを始める契機にもなった。
退役した英軍グルカ兵のシャンカル・ライ(Shankar Rai)は、著書『Triumph and Tears』で、当時目撃したハワイ事件を振り返るとともに、1982年のフォークランド/マルビナス戦争での体験も描いている。そこには、英軍が自分や仲間に対して行った不平等と不正義への数多くの不満が並ぶ。彼の語りは憤りと幻滅に貫かれ、忠誠と信念を抱いて務めたにもかかわらず、裏切られたという感情がにじむ。「英国軍のグルカであること」の光と影と醜部を記した記録である。
この本はまた、権力を振りかざす一個人が、ネパールと英国が2世紀にわたり積み重ねてきた共有の歴史に傷をつけ、当事者たちの人生を壊し得ることへの警鐘とも読める。忠誠は当然視されるべきではない、ということの証明でもある。
フォークランドでアルゼンチン軍を退けてから4年後の1986年、グルカ・ライフル連隊の複数の中隊や小隊が、米英合同の軍事演習「Exercise Union Pacific」のためハワイに駐屯した。目的は「米海兵隊と協力し、海上戦闘の技術を完成させる」ことだった。
規定では、英軍グルカ部隊の中隊長は少佐階級であり、ネパール語試験に合格している必要があった。しかしピアース大尉(Captain Pearce)は、旅団長の娘婿で、連隊外勤務中という事情もあり、この規定は免除された。彼は臨時の少佐(Acting Major)に任命されたのである。
ところがピアースは、ネパール語も文化も学ぼうとしなかった。ライの記述によれば、彼は機会あるごとにグルカ兵を貶め、貧しく、愚かで、無礼で、後進的で、そこにいられるだけでも幸運だと言わんばかりに侮辱したという。ライはこう記す。「ピアース大尉はハワイに着くと、自分を主人、グルカを召使いのように扱い、米軍の前で見せつけた」

著者はほかにも、過酷な訓練中に本来支給されるはずの配給の4分の1しか受け取れなかったことや、高熱の兵士がいても訓練を強行させられたこと、さらにはネパール人を「文明化」したと主張したことなど、数々の屈辱を挙げている。
ピアースは訓練前にネパール東部を訪れ、苛烈な貧困を目にしていた。彼はその経験を持ち出し、グルカ兵に「この仕事に就けてどれほど幸運か」を繰り返し説き、「ネパールの首相より稼いでいる」と言い続けたという。
ハワイでの最後の送別会では、ピアースが机を並べて閲兵台のようなものを作り、グルカのバグパイプとドラムの楽隊に、演奏しながら自分の周囲を行進するよう命じた。怒りが限界に達した兵士たちは、宴の後、酩酊した一団となってピアース大尉とチャンドラ・クマール・プラダン(Chandra Kumar Pradhan)をテントから引きずり出し、暴行を加えた。両名とも肋骨を折り、少佐の頭部は15針を要した。
事件を調査した報告書は、「この遺憾で見苦しい一件は、英国軍におけるグルカ旅団の忠誠と勇敢な奉仕の伝統と完全に相いれないものとみなされる。例外的かつ非典型的な出来事であり、旅団が高い評価を受けてきた事実を損なうことがないようにされるべきだ」と記した。
だが実際には、第1/7中隊の兵士の多くが、暴行に関与したか否かにかかわらず解雇された。著者は、その後の「恥」の連鎖を描く。解雇された兵士たちは面目を失ってネパールに戻った。
「屈辱で身が焼ける思いだった。人生が怖くなった」と著者は書く。父親からは「お前を息子と呼ぶのが恥ずかしい」と言われたという。「友人の多くは恋人に去られ、別の相手と結婚された。イタハリ出身のライフルマン、ケム・グルン(Khem Gurung、21162015)は自殺した」とライは記す。解雇者はブラックリスト化され、他の仕事にも就けなかったとも述べる。
彼らは英国政府を相手取った法的措置も検討したが、高額な有名弁護士を雇う余裕がなく、敗訴すれば英国政府側の訴訟費用まで負担することになるとして断念した。

一方、英国で4年勤務したグルカ兵には英国への移住が認められた。ハワイ事件で解雇された人々の多くがこの選択肢を取り、著者自身も現在はオックスフォードに暮らしている。
ライは本の終盤で、痛みと感情を吐露する。「生活は小さな仕事に頼っている。残りの時間は、ハワイ事件の被害者の問題提起に注いでいる。私たちは一生、侮辱、憎悪、軽蔑を背負わされる。軍法会議よりも苛酷で、重すぎて耐えられない」と。
本書は薄く、素早く読める。30年前の事件を扱いながら、ライの筆致は兵士らしい精密さを備える。怒りは年月を経ても消えていないが、物語は過度に劇的に誇張されてはいない。
前半では、南大西洋をQEII(クイーン・エリザベス2世)で渡り、戦地へ向かう様子が描かれる。客船だったQEIIは兵員輸送船に改装され、内陸国ネパール出身の兵士の多くは船酔いに苦しんだが、1日2缶のビールを喜んだ。船内にはBarclays Bankの支店まであったという。
中隊内や戦場で育まれた友情の描写は胸を打つ。彼らはアルゼンチン軍の爆撃に耐え、塹壕を掘り、南半球の冬の雨の中で戦った。仲間と茶を分け合う場面、戦友の死を目の当たりにする場面、若いアルゼンチン兵の遺体のポケットから妻子の写真が見つかる場面などが、小さな挿話として織り込まれる。
グルカ兵という威信、名誉、神話の背後で、そこにあるのは縁故主義、ひどい上司、低い待遇という「もうひとつの職場の現実」でもあるように見える。それでもなお、絶望の深さゆえか、いまも英国軍の募集には、毎年最大2万人の若者が300の枠を求めて応募するとされる。(原文へ)

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