【伊勢/東京IDN=浅霧勝浩】
第67代全米さくらの女王ノエル・マリー・ベルヘルストさん(24)は、6月4日、首相官邸に安倍晋三首相を表敬した際、これまで日米親善に関わってきた無数の人々に思いを馳せながら、「(三重県)伊勢市への旅を通じて、日本の美しさ、人々の温かい心、そして(日本の議会制民主主義の父と言われた)尾崎行雄の精神を感じました。日本とアメリカは友達です。」と日本語で挨拶をした。
ジョー・ヘック下院議員(ネバダ州選出)のスタッフとして米連邦議会で働いているベルヘルストさんは、安倍首相が4月29日に連邦議会上下両院合同会議に戦後日本の首相として初めて招かれ、民主主義の原則と理想を共有する日米関係を一層深めていきたいと訴えた演説を議場で聞いていた。ベルヘルストさんが「私は総理の演説に感銘を受けた多くの聴衆の一人です。」と伝えると、首相は「まさにおっしゃるとおり、日本とアメリカは友人です。先般の米連邦議会での演説では会場の皆さんから盛大な拍手を頂き、深く感動しました。尾崎行雄がワシントンに寄贈した桜は日米友好の象徴であり、アメリカの人々には、春に桜の美しい花を見るとき、日本との友好の絆を思い出していただければありがたいと思っています。」と応じた。
ポトマック川河畔の桜並木は米国有数の景勝地となっており、1912年に当時東京市長の尾崎行雄がワシントンDCに寄贈した3000本の桜を記念した全米桜祭りが、1935年(昭和10年)以来、戦争の一時期を除いて、3月末から数週間にわたって盛大に催され、首都ワシントンDCの春を告げる風物詩となってきた。さらに今年はウィリアム・ハワード・タフト大統領が、桜の返礼にハナミズキの木を日本に寄贈して100周年にあたることから、今年4月の全米桜祭りでは、米国郵便公社と日本郵便共同による記念切手が発効されるなど、日米友好100年の歴史を改めて振り返る機会となった。
全米さくらの女王のプログラムは、戦後全米桜祭りの復活にも尽力した州協会全米協議会(NCSS)が、日本との平和友好の絆を再び育んでいくことを祈念して1948年にはじめたもので、以来毎年、桜のプリンセスが国内各州と合衆国領から選ばれ、全米桜祭りの期間中に開催されるグランドボール(女王選出大会)において、駐米日本大使が回すルーレットでその年のさくらの女王が選出されている。
そして全米さくらの女王は、毎年5月下旬から6月上旬にかけて日本を訪れ、皇族、首相、衆議院議長(尾崎行雄記念財団会長)、駐日米国大使、都知事などを表敬訪問、また自治体や民間のイベントに出席するなど、日米の友好と親善をさらに深める役割を果たしている。
2015年の全米さくらの女王に選出されたベルヘルストさんはまず、尾崎行雄を顕彰するNPO法人「咢堂香風」の招きで、シャペロン(女王の後見人)のエイミー・アンダさんとともに尾崎行雄ゆかりの地、三重県の伊勢市と、鈴木英敬三重県知事を表敬するため県庁所在地の津市を訪問した。
全米さくらの女王一行が伊勢市の宇治山田駅に到着すると、アメリカ国旗を持ってプラットフォームで待ち構えていた「咢堂香風」のメンバーが温かく一行を歓迎し、昼食後伊勢神宮に参拝した。
全米さくらの女王はここで、アメリカ国民を代表して、日米親善の一層の深化と両国の繁栄を祈った。「深い森に抱かれ、この静寂で清らかな空気に満ちた聖域で祈りを捧げていると、この地が2000年の長きにわたって五穀豊穣と平和の祈りが捧げられてきた地であることが肌で感じられます。今、私の目の前に広がる美しい景色は、不思議と私がアメリカで想像してきた日本のイメージそのものなのです。私の父方の祖母が日本人だと聞いていますが、私が生まれるはるか前に若くして亡くなったそうで、日本の出身地など詳しいことは知りません。それでも、ここに立っていると、その日本人の祖母や私を日米親善の使節としてこの地に導いでくださった日米の多くの方々のスピリットを感じ、感謝の気持ちでいっぱいになります。」とベルヘルストさんは語った。
ベルヘルストさんは参拝の途中で立ち寄った、昨年キャロライン・ケネディー駐日米国大使が植樹したハナミズキの苗木を思い出していた。「あのハナミズキは、尾崎行雄による桜寄贈100周年を記念してバラク・オバマ大統領が新たに日本に寄贈した3000本のハナミズキの一本です。ケネディ大使は、植樹に際して、『日米同盟も(このハナミズキのように)生きたパートナーシップですから、継続的な手入れと世話が必要です。それぞれの世代が平和への努力を続けその誓いを新たにしていく責務があるのです。そしてその責務を果たすのは私たちの番です。』と述べたと聞いています。私たち日米の若い世代が、この平和への責務を引き継ぐ番だと思います。」と語った。
全米さくらの女王一行は、鈴木健一伊勢市長への表敬訪問、皇學館大學での文化交流ののち、尾崎咢堂記念館を訪問し、ハナミズキの記念植樹式に臨んだ。「咢堂香風」のメンバーは、全米さくらの女王の訪問に合わせて、今年4月に実施したさくら絵画コンクールの出品作品を館内の壁一面に展示し、満開の桜を演出していた。「尾崎咢堂記念館では、ここ伊勢でお迎えした歴代の全米さくらの女王に、館内の庭園に桜又はハナミズキの木を植樹いただいています。全米さくらの女王によって植樹された木は、尾崎行雄ゆかりの日米親善のシンボルとして永遠に大切に育てられていくことでしょう。ここでは、ベルヘルストさんはいつお越しいただいても全米さくらの女王です。ベルヘルストさんをはじめ、歴代の全米さくらの女王が、木の成長を見に近い将来ここに戻ってこられることを心から楽しみにしています。」と奥本謙造館長は語った。
記念植樹後、尾崎咢堂記念館の展示を視察したベルヘルストさんは、63年にわたって尾崎行雄を国会に送り続けた伊勢の人々の平和と日米友好に対する長年に亘る想いに触れ、さくらの女王の役割の重責を改めて実感したという。ベルヘルストさんはIDNの取材に対して、「私は伊勢の地を訪れて、100年に及ぶ桜とハナミズキの親善交流の背景にある、日米友好と平和を支えてきた多くの人々の尊い思いに触れ、この地に大きな足跡を残した尾崎行雄についてもっと知りたいと思うようになりました。」と語った。
尾崎行雄と伊勢の人々
尾崎行雄は、日本が明治維新で封建体制に終止符を打ち、近代国家として新たな国の形を模索していた時期に、表舞台に登場した活動家である。尾崎は、国民の声が国の政治を動かす議会制民主主義こそ新生日本の根幹をなすべきと確信し、1880年代には明治政府に対して英国型の立憲君主制度に範を置く憲法の制定と、議会の開設を訴える民衆運動を展開した。
1890年に第1回衆議院総選挙が実施されると三重県宇治山田市(現在の伊勢市)から立候補し、以後国政を舞台に、日本に民主主義の原則と理念を根付かせるための活動を追求していった。そして尾崎が唱えた米英民主主義国との協調外交と軍縮が進められた1920年代の大正デモクラシー期には、日本を代表するリベラルな政治家として国際的にも知られるようになった。1930年代になると、次第に強まる軍部の影響を批判するとともに、婦人参政権運動を支持した。第二次大戦中は、軍部の拡張主義を批判し、米国との戦争に反対したため、しばしば逮捕・投獄され、刺客に命も狙われた。そんな尾崎を当局の圧力を顧みず支援し続け、議会へと送り続けたのが伊勢の人々である。
「地元に2000年の歴史を持つ五穀豊穣と平和を祈念する伊勢神宮があるこの地の人々は、尾崎の唱える民衆のための政治と民主主義国家アメリカとの友好親善に、夢を託したのです。彼らの尾崎に対する支持は、軍国主義が台頭した暗い時代も変わることはありませんでした。」とNPO法人「咢堂香風」の土井孝子理事長は語った。
全米さくらの女王のプログラムディレクターでもあるアンダーさんは、「全米さくらの女王のプログラムは、日米の親善とともに、若い女性の可能性を引出し、夢に向かったチャレンジを応援していくという目的を持っています。米国ではワシントンに桜を寄贈した人物として有名な尾崎ですが、日米関係が最も厳しい時代にあっても、民主主義の理念と日米友好の意志を貫徹し、時代に先行して女性参政権を支持していたことを知り、感銘を受けました。」と語った。
そうした尾崎を熱心に支援し続けた地元の名士に、世界で初めて真珠の養殖に成功し、全米さくらの女王が戴冠する真珠の王冠を寄贈した御木本真珠の創業者、御木本幸吉氏がいる。全米さくらの女王一行を御木本真珠島に迎えた柴原昇取締役は、海女によるアコヤ貝の採取実演を披露した後、別室で実際に採取した貝から取り出した真珠を全米さくらの女王とシャペロンに贈呈した。柴原氏はIDNの取材に対して、「創業者の御木本幸吉の夢は、自分の作った真珠で世界中の女性を美しく飾ることでした。その夢を実現するには、尾崎行雄が目指した民主主義の理念に基づく平和と信頼関係が諸外国との間になければなりません。御木本幸吉は、日米友好を訴えた尾崎の最大の理解者の一人でした。私たちは二人の意志を引き継ぎ、関係機関・団体のみなさまと連携協力し、これからも民間外交の一端を担っていきます。」と語った。ベルヘルストさんは、そのあと案内された御木本真珠博物館で、御木本幸吉が1939年にニューヨークの万博に出品した真珠製の「自由の鐘」を見学した。この作品は「百万ドルの真珠」としてアメリカの人々から称賛されたが、展示期間中に第二次世界大戦が勃発し、尾崎や御木本の願いもむなしく、2年後には日米両国は戦争へと突入していった。
敗戦後失意のどん底にあった尾崎に温かい手を差し出したのが選挙区の伊勢の人々だった。尾崎は叙勲を固辞し、政界からの引退を決意していたが、選挙区の支援者らが中心となって、立候補の届け出から選挙運動まですべて行い、女性参政権が初めて認められた戦後初の選挙で、尾崎はトップ当選で国会に復帰することとなった。そして、再び民主主義の復活と世界平和の確立のために尽力しようと決意した尾崎に手を差しのべたのが、戦前に親交のあったジョセフ・グルー前駐日大使をはじめとする米国の政府要人たちであった。
1950年、尾崎行雄はグルー前大使や、同大使前任者のウィリアム・キャッスル両氏らが代表を務める「日本問題審議会」の招待により、三女の相馬雪香を伴って渡米、連邦議会上下両院合同会議でも演説し大歓迎を受けた。米国滞在中、尾崎は東京市長時代に「日米友好の証、ポトマック桜」を寄贈した民主主義者として紹介され、当時依然として険悪だった対日感情を改善し日米相互理解の懸け橋となるべく積極的にテレビ番組への出演や政府要人、米国市民との対話集会に参加し、両国間の友好関係の基礎を作った。
尾崎はその4年後、日本の民主主義の復活と日米友好の発展を祈念しながらこの世を去った。1956年、国会議員と民間有志により設立された尾崎行雄記念財団が全国に寄付を呼びかけ、1960年、議会制民主主義の父として尊敬されている尾崎のビジョンを推進する目的で国会の前に尾崎記念会館(現:憲政記念館)と時計塔が建てられ、衆議院に寄贈された。
その後、尾崎行雄の意志を継いだ相馬雪香は尾崎行雄記念財団の副会長として、尾崎のビジョンに基づく民主主義と平和の啓蒙活動に尽力した。とりわけ、1979年に設立した「難民を助ける会」の活動に関連して1997年には地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)のメンバーとして、ノーベル平和賞を共同受賞している。さらに相馬雪香が晩年最も力を入れたのが尾崎咢堂の精神を今後の日本の政治に生かしていける人材を育てる「咢堂塾」の設立と運営であった。石田尊昭事務局長と1998年に立ち上げた「咢堂塾」は、今年で17年目を迎え、衆議院、参議院議員を始め、県会議員、市議会議員、市長、大学教授など、次代を担うリーダーを輩出している。「全米さくらの女王のプログラムと、『咢堂塾』は、人種、信条、文化の壁を越えて、人間の尊厳を大切にする民主主義の理念と日米友好の遺伝子を引き継いだプログラムだと思います。尾崎行雄記念財団としても、今後の全米さくらの女王との交流事業を通じて、日米の多くの先人に支えられてきた歴史の意義を踏まえながら、世界の平和に寄与する日米のリーダー間の交流も進めて参りたいと考えています。」と石田事務局長は語った。
ちなみに、ベルヘルストさんが首相官邸を表敬訪問した翌日、安倍首相は、ウクライナと週末に主要国首脳会議(G7サミット)が開催されるドイツに向かう直前、羽田空港において、2016年に日本で開かれる来年のG7サミットを伊勢市に隣接する三重県志摩市で開催すると発表した。その際伊勢神宮についても言及し、「各国の首脳には、日本の豊かな伝統と文化、そして美しい自然を感じで頂きたい。」と語った。「暗い戦争の時代を乗り越えて尾崎行雄を支え続けた伊勢の人々にとって、米国を始め世界の民主主義国の首脳を地元にお迎えできることは、特別の意味合いがあります。」と土井孝子理事長は語った。(原文へ)
翻訳=INPS Japan
https://www.youtube.com/watch?v=nDKJ-YIz-9A
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