地域アフリカソマリアから脱出するジャーナリスト

ソマリアから脱出するジャーナリスト

【ナイロビIPS=ジョイス・ムラマ】

 マーティン・アドラー(2006年)、ケイト・ペイトン(2005年)、ドゥニヤ・ムヒャディン・ヌール(2005年)、アブドゥラヒ・マドキール(2003年)、アフメド・カフィ・アワレ(2000年)、マルセロ・パルミサーノ(1995年)、ミラン・クロヴァチン(1994年)、イラリア・アルピ(1994年)、ピエール・アンソー(1994年)、ジャン-クロード・ジュメル(1993年)、ハンシ・クラウス(1993年)、ホセア・マイナ(1993年)、ダン・エルドン(1993年)、アンソニー・マカリア(1993年)。

 これら14人の名前は、1991年にソマリアの独裁者ムハマド・シアド・バレが失脚して以来殺害されたジャーナリストのものである。そして、ソマリアが大規模紛争再開の瀬戸際に立っている今、このリストはさらに長くなる可能性がある。暫定政権と、「イスラム法廷連合」(UIC)の下に集まっているイスラム系武装集団との間の協議は失敗に終わっている。

 記者にとっては危険な国内情勢が続いているため、「テロとの闘い」において果たす役割に関して、そしてその他の東アフリカ諸国を不安定化する可能性の点に関してメディアの主要な関心の的になってよいはずの場所で起こっている出来事が報道されなくなってしまう。

 英紙『ガーディアン』のザン・ライス記者に対して、ソマリアにすぐ戻る気はあるかと尋ねたところ、「まさか、まさか、まさか、今はありません。何年か後だったらわかりませんが、今日明日の話ではありませんよ」との答えが返ってきた。

 ライス氏は、スウェーデンのフリー記者、マーティン・アドラー氏の殺害を目撃している。彼は、2006年6月23日、ソマリアの首都モガディシュで法廷連合のデモを取材中、何者かに撃たれた。

 ライス氏は語る。「現地で動くことはきわめて危険です。一般人と接触する際には常に危険が伴います。本当に危険なんです。誰からも殺される可能性があります。誰がそうするかもわからないし、どこから弾が飛んでくるかもわかりません」。

 しかし、ソマリアから脱出する恩恵に浴することのできない地元記者にとっては、事態はさらに悪い。

 モガディシュのある記者は、IPSに対してこう語った。「ソマリアのジャーナリストの権利は常に侵害されています。毎年、ジャーナリストは逮捕され、収監され、拷問され、ひどいときは殺害されるのです」。結果として、「紛争のせいで、あえて重要な報道をしようという有名なジャーナリストはほとんどいなくなっています。(そして)彼らの報道に不満を持つ人たちの怒りを買うことになるのです」。

 このモガディシュの記者によれば、地元の記者は、たとえ国際紙のために働いていたとしてもターゲットにされることがあるという。そのため彼らは記事に自分の名前を載せることを避け、特別記事のための情報集めをしながらも、自分の素性を明らかにしようとはしない。

 「ソマリアジャーナリスト全国連合」(NUSOJ)も、『報道の自由報告2005』において、同じような事態を描いている。それによれば、「非常に幅広い印刷メディア、電子メディアの双方が存在しているが…ソマリアのメディアのすべてが、存続のために非常に苦労している」。「ソマリアジャーナリスト全国連合は、今年になってようやく、殺害された記者、収監されたジャーナリスト、業務停止命令を受けたメディア組織、検閲を受けたメディアの施設、ジャーナリストに対する継続的な脅迫に関する15のケースについて監視・調査・報道を行った」。

 NUSOJは、ソマリアには、2005年の報告の時点で、17のラジオ局、60の新聞に加え、ソマリアに関するニュースを提供する200以上のウェブサイトがあるとしていた。それらのサイトは主に海外で運営されている。

 人権団体「アムネスティ・インターナショナル」によれば、多くのケースにおいて、ジャーナリストの殺害や人権侵害に関与した者は刑罰を免れている。しかし、一部、犯人が責任を問われたケースもあるという。

 アムネスティは、7月中旬に行われたNUSOJの第1回総会に寄せたメッセージで、情報を収集しメディアの自由の侵害を報告する仕組みを立ち上げることを勧告した。

 「このプロセスは、報道の自由を求める国際的な組織からも支援を受けており、いくつかのケースにおいて間違いなく成功を収めている。多くの事例において、当局は異議申し立てに耳を貸しそれに関して議論を拒まないようになった。また、報告された人権侵害は調査され、聞くところによれば、事態の改善を目指す措置も取られた」とアムネスティは述べている。

 にもかかわらず、7月22日にアブドゥラヒ・ユスフ大統領の暫定政権とイスラム系武装集団が初めて衝突し、ソマリアの報道の自由に関する懸念が高まってきた。

 これは、7月20日にユスフ政権支援のためバイドアにエチオピア軍が到着した直後の出来事である。暫定政権は勢力が弱体で、モガディシュに留まり続けることが困難であると判断し、ソマリア南中部のバイドアに陣取っている。

 エチオピアはまた、南西部のワージドにも兵を送り、現地の空港を支配下に収めたとされる。エチオピアとソマリアの関係は長い間波乱含みであった。両国は、1970年代、オガデン地方の支配をめぐって交戦した。エチオピア政府は、イスラム系武装集団が同地方の領有権を主張するのではないかと恐れている。

 今週末にはスーダンの首都ハルツームでソマリア政府と法廷連合の交渉が再開される予定だった。しかし、エチオピア軍が展開してきたために交渉再開はなくなった。イスラム系武装集団は現在、エチオピアに対するジハード(聖戦)を始めると脅しをかけている。

 交渉は、6月に、米国からの支援を受けていると広く考えられている軍閥からイスラム系武装集団がモガディシュを奪った後に始められていた。米国は、法廷連合がアルカイダとつながっている可能性があるとの懸念を示している。

 しかし、法廷連合側はこうしたつながりを否定し、単にソマリアの法と秩序の回復を願っているだけだと主張する。ソマリアは、バレ大統領が失脚して以来、対立する軍閥の指導者のなすがままにされてきた。政府は10年以上存在せず、ユスフ暫定政権も2004年になってようやくケニアで設立されたばかりである。

 法廷連合は、約5ヶ月にわたる戦闘の後にモガディシュを落としただけではなく、ソマリア南部のほとんどを制圧し、バイドアを伺う勢いであるという。

 国連によれば、過去数ヶ月で数百人が亡くなり、1万7,000人が家を追われたという。

翻訳=IPS Japan

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