【デリク(シリア)INPS=カルロス・ズルトゥザ】
3か月前に内戦から逃れてきたばかりのグルナズさんは、イスラム教の戒律に従って死後24時間以内に弟を埋葬するために再びシリアへと帰る途中である。しかし、棺を担いでイラク・シリア国境を超えるのは容易なことではない。
バグダッドの北西460キロにあるクルド自治区の町ペシュカブールには、この数か月間、尋常でない人の波が押し寄せている。その多くがシリアからの難民だが、いったん離れた戦乱の地に戻らねばならない者たちもたくさんいる。イラク側の国境検問でクルド人官吏による出国審査手続きを待っている間、弟の死に直面してショックで打ちひしがれているグルナズさんに代わって、同行の人物が事情を次のように語ってくれた。
「シリアで7月にイスラム過激派らによる(クルド人支配地域に対する)攻勢が始まってから、私たちは隣国イラクのエルビル(バグダッドから北390キロにあるクルド人自治区の行政上の首都)に移ってきました。しかし、まったく不運なことに、彼女(グルナズさん)の弟が交通事故で亡くなってしまったのです。」
イラク・シリア国境の行き来を管理する両国の検問所の風景は他の国々のものとほとんど変わらない。ここでも制服を着た検査官らが荷物を調べ、カウンターの向こうでは私服の官吏がひたすらコンピューターにデータを打ち込んでいるおなじみの風景である。およそ一時間後、グルナズさんら一行の出国手続きは終わったが、彼女らのパスポートに出国印が押されていないのが、ここの検問所の特徴を示している。
つまりここペシュカブールは、イラクのクルド人自治区(クルド人の長年の悲願である自らの国家樹立とまではいかなかったが、これまでに勝ち取ったそれに最も近い自治形態)と、クルド系シリア人が今日実質支配しているシリア北東部が接する国境なのである。
今日クルド人は、約4000万人が、イラン、イラク、シリア、トルコの国境に分断されて暮らす、独立国家を持たない世界最大の民族である。シリアに暮らす約300万~400万人のクルド人は、2011年3月に民衆蜂起がシリアで勃発して以来、バシャール・アサド政権にもスンニ派アラブ人を主体とする反政府勢力にも与せず、基本的に中立の立場をとる「第三の道」を選択した。
シリア北部と北東部では、政府が反政府勢力と戦う兵力を南部に結集するため軍を撤退させたのに続いて、2012年7月には人口の大半を占めるクルド人が事実上の自治を確立した。しかしその立場は、政府軍及び反政府勢力双方の攻撃に晒される不安定なものである。とりわけ、トルコ政府の支援を受けていると報じられているアルカイダと繋がりを持つイスラム原理主義勢力との熾烈な戦闘が続いている。
(長年国内のクルド人独立運動に悩まされてきた)トルコ政府は、国境の南側(=シリア北部及び北東部)にクルド人の統治政体が樹立される事態を決して歓迎しないと公言している。
当面のところ、イラク北西部のクルド自治区とシリア北東部の間に天然の国境を形成するハブール川を渡る物品や人間の通過記録を、イラク政府もシリア政府も取っていない。
イラク側での書類手続きが終わり、グルナズさんら会葬者らは自分の名が記載された書類を受け取った。その書類を所持した者だけが、ハブール川を行き来する2隻の船に乗ることを許される。
まず、涙を必死に堪えようとしている民族衣装を着たクルド人男性らが棺を担いで乗船し、船の中央に棺を置いた。そして2人の女性が彼らの深い悲しみを媒介するかのように、クルド人が歓喜か悲しみが極まった時に発する独特の奇声を発していた。グルナズさんは、同行者に促されて、両手で顔を覆ったまま乗船した。
船頭のシェルワンさんは、「川に橋ができればもっと楽になるのだが。」と、シリア側の川岸で既に工事に取りかかっている2台のブルドーザーを指してながらつぶやいた。
ペシュカブールにかかる浮橋は、本来車両の通行と石油輸送に限られている。にもかかわらず、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、8月だけでも3万人以上が国境を越えたという。シリアからイラクに逃れた難民は20万人ほどだと見られている。
流れが穏やかなハブール川を渡る時間は僅か5分ほどであった。対岸のシリア側に上陸すると、新たに創設されたクルド系シリア人からなる治安警察「アサイッシュ」の制服に身を包んだ2人の少女が、越境者の荷物を検査していた。
この地で治安警察を率いるハシム・モハメッドさんは、IPSの取材に対して、「私の部隊は約40000万人規模のクルド人民保護部隊(YPG=シリアのクルド人の中で唯一自前の武装組織)を補佐する約4000人のボランティアで構成しています。」と説明した。YPGは、本格的な軍事組織で、これまでのところシリア北部・北東部への勢力拡大を目論むイスラム原理主義勢力の攻勢を防ぐことに成功している。
このクルド人軍事組織の資金源の大半が、イラクのクルド人自治区からの越境支援のほか国境管理に伴う収益で賄われている。国境では、ハブール川の岸から数メートルのところに白い小屋が設けられており、越境者は一人当たりここで1000シリアポンド(=約665円)を徴収される。現地の官吏の話によると、この川を渡河する人の数は一日当たり150人から200人とのことである。
シリア側の検問所の外ではタクシーが待機しているが、出発前に一休憩したい人は、施設に隣接して建てられている小屋の中に、臨時食堂を見つけることができる。現地のクルド人は、このような困難な状況下にあっても持ち前の商魂をたくましく発揮している。
グルナズさん一行は、入国審査を通過すると直ちに葬儀場に向かった。一方同じくハブール川を渡河してシリア側に入国したその他の人々は、ここで各々の計画を立てている。
ダマスカスの北東680キロのカミシリを目指すマスード・ハミッドさんも、この臨時食堂で腰を掛けてお茶を飲んでいた。ハミッドさんは、アラブ語とクルド語の2つの言語で作成されたシリア初のバイリンガル新聞『ヌ・デム』をシリアで発行している。最新号をイラクのエルビルで印刷しての帰りだった。
「シリアのクルド人自治地域には、依然としてまともな印刷機がないので、15日ごとにイラクとの間を行き来しなくてはならないのです。」とハミッドさんは語った。
ハミッドさんはダマスカス大学に在学中の2004年、ユニセフ本部前で抗議活動をする子どもの写真を掲載したとしてシリア当局に逮捕され、3年の懲役刑に処せられた。しかし彼の勇気ある行動は「国境なき記者団」に注目された。釈放後フランスに亡命し、状況が好転したのを見てシリアに戻ってきた。ハミッドさんは、「シリアはこれから大きな変革期を迎えます。かつてとは全く異なる様々な変化が起こるでしょう。」と指摘したうえで、「今日、私たちは(イラクとシリアの)出入国管理を通らなくてはならなかったわけですが、今やどちら側の検査官もクルド人なのです。」「これは、これから中東で起きる数多くの変化のひとつにすぎません。」と語った。
翻訳=INPS Japan
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