日本の社会起業家が輸出市場を開拓し、コータンのピーナッツ農家にスキルと収入をもたらしている。
【カトマンズNepali Times=ソニア・アワレ】
日本の社会起業家が輸出市場を開拓し、コータンのピーナッツ農家にスキルと収入をもたらしている。
最高品質の紅茶といえばインドの産地ダージリンを思い浮かべるだろう。優れたビールはチェコのピルゼンで生産されている。また、カマンベールチーズはフランスの同名の村に由来する。では将来的に、ネパールのホータンが最高品質のピーナッツバターと同義となる日がくるだろうか。
日本人の社会起業家が率いる新進気鋭のビジネス・ベンチャーが、このネパール東部のヒマラヤ山脈の辺境地区を、高級天然ピーナッツバター産地として世界地図に載せようとしている。
仲琴舞貴さんは、ホータン県ハレシ市のドゥルチムを世界のピーナッツバターの首都にしようという計画を、コロナ禍で一時停止していたが、再び動かし始めた。彼女は現在、訓練した地元農民達と設立した工場を再稼働させるために戻ってきた。
仲(写真左)さんは、かつてホータンの子供たちへの慈善活動を支援していた日本のIoT企業に勤めていた。初めての訪問では、カトマンズからホータンまでの険しい山道を15時間かけて移動し、農民たちと会った。
彼女は、ホータン南部では落花生が主要な換金作物だが、例年より乾燥した天候のために不作となり、男性たちがインドや湾岸諸国へ出稼ぎに行かざるを得なくなっていることを知った。
「私は子供たちの生活を改善するためのより持続可能な方法を模索しており、そのためには単に援助を提供するのではなく、親たちを経済的に自立させることが最善だと結論づけました」と仲さんは語った。
「その時点で私はピーナッツバターの作り方について何も知りませんでしたが、日本の上司を説得しなければなりませんでした。私は支援は利益を得るためではないネパールの人々のためだと説明しました。」
その後、彼女は日本のピーナッツ専門家を訪ね有名なレシピを入手してから基本的な器具を持参してホータンを再訪し、ピーナッツバターのサンプルを試作した。日本に戻ると、誰もが、地元の小さな品種のピーナッツを使ったピーナッツバターが今まで味わった中で一番おいしいと認めた。 「その美味しさに驚きました。現地の人々に製造技術を教え、会社を設立できると確信しました。」と仲さんは振り返る。幸運なことに、工場がオープンする直前に村に電気が通った。
「日本人として、ここでの時間に対する無頓着さに慣れるのには時間がかかりました」と仲さんは笑って振り返った。
集まった農家はすべて女性で、男性の多くが出稼ぎに出ていたためだ。意図せずして、ピーナッツ事業は女性のエンパワーメントのツールにもなった。
仲さんとチームは60世帯に有機栽培のピーナッツを生産する訓練を行い、会社は中間業者よりも高い価格でピーナッツを買い取り、300人の農家が利益を得た。
「私たちの全体的なアイデアは、単にお金を渡すのではなく、スキルを提供することで生活水準を持続的に向上させることでした。」と仲さんは説明した。 次に、10人の女性スタッフにピーナッツバター作りのトレーニングを行った。
傷んでいないピーナッツを手作業で選ぶ
選別したピーナッツの外殻を取り除く
ピーナッツを丁寧にローストする
ピーナッツをきれいに洗い、2つに割る
ピーナッツをもう一度選別する
ピーナッツを混合する
輸出市場にとって品質管理は最重要事項であり、優れた原材料と加工方法によって、ホータンピーナッツバターの独特な味と風味が維持されており、タンパク質含有量は1.3%で、他の同様の製品よりも高い水準である。
仲さんは福岡で育ち、美容室チェーンを経営する父親からビジネスの基礎を学んだ。彼女はIoT企業の研究員として上京した。3年後の2017年12月に株式会社サンチャイを開業し、1年後にはホータンピーナツバターの輸出を開始した。
ネパール国内ではLe Sherpa Farmers’ Market、Local Project Nepal、Himgiri Organic Farmでの流通がパンデミック後に再開された。現在、売上の90%を日本市場が占め、シンガポール、欧州、米国市場にも関心を持つ企業が現れている。
「製品の背後にあるストーリーを人々に話すと、彼らは興奮し、さらに購入に興味を持ってくれます。私は、ネパールの農村部の人々に寄付をし、手助けをするという気持ちを抱かせるようにしています」
「私たちの取り組みは小さなものでしたが、そのおかげでホータンの女性たちに活躍の場が与えられ、彼女たちの家族の生活水準が上がり、今ではリーダーになっています。」と仲さんは語った。(原文へ)
INPS Japan/Nepali Times
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