ニュース│イスラエル‐パレスチナ│リングの中では、攻撃は平和的に

│イスラエル‐パレスチナ│リングの中では、攻撃は平和的に

【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】

試合開始のゴングが鳴り響く。ここは、エルサレム西部にある防弾シェルターを改装したボクシンググラブだ。パレスチナ人のボクサーがコーナーから飛び出して、リング内を駆け回り、イスラエル人の相手とパンチを交わした。

もし彼がノックアウトを取ったら、イスラエル・パレスチナ紛争への新しい形の癒しとなるのだろうか?2人はお互いの不和をリングの中で永遠に解決しようというのであろうか?

  実は、この場所はまったく反対の意味を持っている。民族によって分断されたこの街では、ここは奇妙な場所だ。

地下に隠れて、イスラエル人とパレスチナ人が同じ愛を共有する。平和や寛容、共存とはほとんど相容れない、スポーツの中ではもっとも暴力的なものへの愛である。

ユダヤ人、アラブ人、信仰家、世俗派、ロシア移民、外国人労働者、男に女。皆がここ「エルサレム・ボクシングクラブ」で練習を積んでいる。リングではパンチを繰り出し、生活においてはパンチなど使わなくてもいいようにする術を覚える。
 
 クラブの常連2人と会った。右は、ライトヘビー級のイスマイル・ジャアファリ(36)。東エルサレムのパレスチナ占領地である向こう町のジャベル・ムカベルでトラック運転手をしている。

左は、ライト級のアキバ・フィンケルスタイン(17)。ヨルダン川西岸占領地区のイスラエル入植地ベトエルで宗教学校に通っている。伸び盛りの選手だ。最近では、親善試合で欧州のタイトルホルダーを破った。

彼ら2人が練習ラウンドの前に吐かねばならないのは、普通に見られるような、自分の強さを誇示し自己満足をもたらすような言葉ではない。「リングの中では、僕らはみんなボクサー。出自は関係ない」とイスラエルでジュニアのタイトルを持つフィンケルスタインは言う。「ここではみんな平等だ。どんな宗教か、どんな民族かは関係ない。」とジャアファリもいう。

クラブは、ルクセンブルク兄弟によって運営されている。「すべての人間には悪の部分がある。だから敵対や暴力が起こるのです。」と兄のエリ・ルクセンブルクはいう。「情勢について新聞で目にする。頭に血が上る。そこで、ここに練習に来る。この小さな場所の内に、お前のすべての怒りを持ち込んでくるんだ……」。
 
 「でも、フェアプレイは絶対だ!争いを解決するためにみなここに来ているんじゃない。それは神の禁ずるところだ」と弟ガーションの声が響く。「俺らは子どもたちをよーくみてる。もし、ファイトの中に憎しみが垣間見えたら、そいつはリングから放り出す。俺らは単にファイティング・スピリットを養いたいだけだ。ボクサーは兵士であり、紳士でなければならん。お互いを尊重せねばならん」とガーションは釘をさす。

ルクセンブルク兄弟は1960年代初めに旧ソ連でボクシングの名声を得た。二人ともヘビー級だ。エリは2度ソ連のチャンピオンになり、ガーションはウズベキスタンのチャンピオンになった。「子どものとき、俺らはユダヤ人への嫌がらせから自分たちを守るためにボクシングを習わなきゃならなかった。要はサバイバルということです。」とエリは回想する。

1972年、はじめてイスラエルの地に降り立ったガーションは、イスラエルの不倒のチャンピオンに何度もなった。そしてまた、強烈なナショナリストでもあった。「コーチを始める前は、アラブ人はこの国の障害であり、共存できないと思っていた。でも、ボクシングがこれだけお互いを近づけるなんて、信じられないね」。

ジャアファリは、ルクセンブルク兄弟の後押しを得て、クラブで14年も訓練を積んでいる。イスラエルのチャンピオン戦ではレフェリーも務めている。彼にとっては、「スポーツは境界を越えるもの」。「グローブをはめ、政治的状況はリングの外においてくる」。

言うは易く、行うは難し―紛争がもっとも激しかったころ、イスラエルのクラブ員とぶつかってどうにもならなくなるのを避けるため、クラブには出入りしないようにしていたことをジャアファリは思い出す。

ガーションなら、彼に電話をしてクラブに出てこいというだろう。「外の政治的状況がなんだ」「俺らはここにいるんだ」「俺らは友達以上のものだ。ここは家庭のようなもの、俺らは家族のようなものだ」。ジャアファリは興奮しながらそう言う。

エルサレムでは、イスラエル人とパレスチナ人が、別々の、互いに干渉しない生活を送っている。住居や教育が分かたれ、政治的情念も分かたれ、すべてが互いへの無関心につながっている。

練習マッチを行うリングの上には、モハメド・アリのポスターが鎮座している。「版図を変えるために、国の間の戦争は行われる。しかし、貧困との闘いは、変化を生み出すために行われる」とボクシング界のこのレジェンドはかつて言ったことがある。

このイスラエル人とパレスチナ人を結びつけるものは、ボクシングへの情熱だけではなく、彼らの社会的背景だ。彼らの多くが、貧困地区の出身なのである。

若い人たちの新しい日常生活を創り出すようルクセンブルク兄弟から刺激を受けたジャアファリは、自分の住んでいる地区でボクシングクラブをやり始めた。クラブのメンバーがよくやってきて試合を繰り広げている。ジャアファリの育てたボクサーは、パレスチナのチャンピオン戦を多く勝ってきた。

別のパレスチナ人であるギト・ザカルカがウォーミングアップを先導し、リングの中をジョギングして回る。ザカルカを見ているのは、若く未来もあるイスラエルのボクサーたちだ。フィンケルスタインは、クラブの安全な境界線の外では、パレスチナ人と時間を共にすることはないことをよく知っている。

それでもなお、少しずつ、ボクシングは彼を変えてきた。「昔は、アラブ人なんて馬鹿な連中、テロリストだと思っていました。」と彼は困ったような表情で認める。「でも、ここでは、パレスチナ人と接してみて、みんないいやつだし、みんな友達です。ものの見方を手に入れるにはここはすごくいい場所です。アラブ人の悪口を言っているやつがいたら、お前はアラブ人がどんなやつか知らないくせに、といってやりますよ。」

ゴングがまた別の練習ラウンドの終わりを告げた。フィンケルスタインとジャアファリはグローブ越しの友好の握手を交わす。
 
 聖書の時代には、イスラエルのダビデ王はペニシテの巨人ゴリアテと戦った。人々は、血みどろの戦いに駆り出された。

「ダビデとゴリアテは死ぬまで戦った。ここでは、俺らはラウンドを積み重ねて、ポイントを取っていくだけです。」とフィンケルスタインはいう。

ラウンドを積み重ねてポイントを取ることは、イスラエルとパレスチナが63年間の紛争の中でやってきたことだ。彼らはゴングの音で救われるのだろうか?「これは戦争だ。そしてそこには人生がある。収めることはできるはずだ」。ガーション・ルクセンブルクは、自信をもってそう語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan
 

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