【フェズ、ウジダ、ナドール(モロッコ)IDN=ファビオラ・オルティス】
欧州に渡りたいサブサハラ地域のアフリカ住民たちがかねてより通路としてきたモロッコが、欧州連合(EU)に向けた移民の流れを制限し、依然として渡航を望む人々の希望を打ち砕く国家戦略を実行しつつある。
人々が故国を離れて移民となり、より良い暮らしを求めて危険なルートを辿り、命を危険にさらすのには、数多くの理由がある。
コートジボワール出身のアブドゥル・カリメさん(19歳)がモロッコに2013年に着いたときはまだ10代の青年だった。それ以来、フェズ市の主要駅に隣接する非公認居住地にある貧相なテントで暮らしてきた。
「貧しさから故国を離れました。お金はなかったし、支えてくれる家族もいません。一人ぼっちの私は、故郷の街を離れ、ヨーロッパに行って生活しようと思いたったのです。」とカリメさんはIDNの取材に対して語った。
読み書きができないカリメさんは、英国に行くことを夢見ている。モロッコはあくまで「通過点」だ。
モロッコでの生活は、カリメさんのような非正規移民にとっては厳しい。合法な仕事に就けないことは、移民がこの北アフリカの国に着くと直面する多くの困難のひとつだ。
「食べるものがありません。」とカリメさんは言う。「あらゆるところで仕事を探していますが、見つかったためしがありません。現金収入のためならどんな仕事だってするよ。」
カリメさんは、法的な在留資格を持たずにモロッコに住んでいる数千人のサブサハラ出身のアフリカ人のひとりだ。彼は、在留資格を申請したが、許可取得に必要な基準を満たしていなかった。
移民の通過地となり、2000年代初頭以降外国人住民の数が増えてきたモロッコは、EUへ渡る非正規移民の取り締まりを強化してきた。
国連の「すべての移住労働者とその家族の権利の保護委員会」がモロッコに関して2013年に出した報告書は、公法02-03(2003)改定の必要性を指摘している。同法は、公的には「モロッコ王国への外国人の入国および滞在、非正規出国、非正規入国」について規定するものである。
モロッコの「国家人権委員会」もまた、同国の移民政策の変更を求めている。欧州大学研究所の「移住政策センター」によれば、国家人権委員会が求める改革の中には、「非正規移民に対する警察の暴力やモロッコ国境への強制連行の停止、非モロッコ国民に対する差別の是正、司法や基本サービスの利用を認めること」が含まれているという。
移住に関するグローバルな政策がその結果として策定された。それは主に、難民や移住、人身売買、社会への統合に焦点を当てたものだった。
2014年に実行された大規模な「正規化措置」は、厳しい条件を伴うものだった。違法在留の状況にある人々は、2年以上にわたって適正な労働契約を結んでいる、或いは、モロッコに5年以上継続して居住しているといった、多くの条件を満たさねばならなかった。
カリメさんは、当局に提示できるような継続した仕事に就いておらず、彼の申請は却下された。
カリメさんとは違い、セネガル出身のカディジャ・トゥレさん(25歳)は申請が認められた幸運なひとりだが、正式な書類の発行を待っている状態だ。
彼女は夫と共に3年前にダカールを発ち、幸運にもフェズの工場で定職に就くことができた。その代り、トゥレさんは、安い宝石を街頭で売るために街中をあちこち歩き回っている。
「海を渡ってヨーロッパに行くなんて…安全に渡航する方法があるなら別だけど、どうかしているわ。インシャラー(神の御心のままに)。それより、私はここ(モロッコ)で働くための法的な権利を手に入れたい…。できれば故郷のセネガルに留まっていたかったけど、あそこでは仕事がなかったの。」とカリメさんは嘆いた。
ナイジェリア出身で2人の子どもを持つ父親ノウサ・オムシゴさん(52歳)は、イスラム過激派組織「ボコハラム」による脅迫を逃れて17年前にモロッコに移ってきてから、厳しい生活を強いられている。
オムシゴさんは、モロッコ在留のほとんどの期間を違法滞在者として過ごし、2014年にようやく正規の在留資格を得るが、それで彼が抱える問題がすべて解決したわけではなかった。
オムシゴさんは、アルジェリアとの国境に近いウジダ市で、風が強く雲の垂れ込めた寒い日にIDNの取材に応じてくれた。彼は、スーパーマーケットの入口に立ち、道行く人々に小銭を乞うていた。
「私はモロッコの在留資格を持っており、今ではこの国の市民です。しかし、ここでの生活は厳しいです。私はこうしてお金を請い、そこから食べ物を買い、家賃を払っています。私の妻もナイジェリア出身で、一緒にここに住んでいます。彼女は一度ヨーロッパに渡ろうとしましたが、スペインで捕まり、強制送還になりました。」
「ここでの生活は厳しくもう疲れはてました。国に帰りたいです。」と言うオムシゴさんは、「もしお金があったらナイジェリアに家族を連れて帰りたい。」と語った。
2014年9月までに、モロッコには8万6000人の外国人がおり、サブサハラ出身のアフリカ人がこの多数を占めていた。非正規状態にあるこれらの人びとの推計はさまざまであるが、政府による正規化措置は、約2万7600件の申請のうち、非アラブのアフリカ諸国出身者からの2万1500件の申請を取り扱っている。
「いま持ち上がっている問題は、この『正規化』段階の次をどうするかということだ。」と語るのは、首都ラバトから約500キロのウジダを本拠とする「モロッコ人権機関」(OMDH)のプロジェクト・アシスタントであるラティファ・ベナメールさんだ。
「移民を社会に統合することは大きな挑戦です。新たな移民戦略は、職業訓練のような、移民コミュニティーの特定のニーズに対応したものになっていません。」
「この場所はアルジェリア国境に近いので、毎日、人が入って来ます。アルジェリア・モロッコ国境は閉鎖されているため、彼らはブローカーに金を払わなくてはなりません。こうしたほとんどの人がヨーロッパに渡ることを夢見ています。」とべナメールさんは語った。
1979年に設立されたモロッコで最も古い人権擁護団体である「モロッコ人権協会」(AMDH)の活動家サイード・カダミさんは、新しい政策には懐疑的だ。
カダミさんは、スペインの飛地領メリリャに程近いナドールで活動している。ここでは、しばしばスペイン領に入ろうとして数百人の移民がフェンスを越えようとしている姿が見られる。
「移民政策は失敗しています。ここナドールでは何も変わっていません。」とカダミさんはIDNの取材に対して語った。「警察や政府の移民に対する扱いは相も変わらずで、逮捕が続いています。移民は警察の手で苦しんでいるのです。モロッコ政府は安全な場所や住むところを保障せず、ただ国境のフェンスから移民を遠ざけようとしているだけなのです。」
モロッコが国際社会に売り込もうとしているイメージは、「快適な滞在地」であり、「移民が定住したい場所」、というものだが、モロッコに到着する移民の目標は、ここを越えていくことであり、いわゆる「ボサ」(Bosa)になることだ。
「ボサ」とは、あらゆる障害を乗り越えてついにEUへのフェンスを越えることができたサブサハラ出身のアフリカ人を指す、くだけた言い方だ。
「私が見るところ、人々はここに留まろうとはしていません。ここには彼らの居場所がないのです。」とカダミさんは語った。(原文へ)
INPS Japan
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