【ベルリンIDN=ジュリオ・ゴドイ】
ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)が引き起こしたメキシコ湾原油流出という環境災害に何かシンボルを求めるとすれば、数十羽の油まみれになったペリカンが、我々の目の前で為すすべもなく死に絶えていく姿であろう。
原油産業界にとって今回のメキシコ湾原油流出事故は、旧ソ連原子力産業にとってのチェルノブイリ原発事故に相当するものと言われている。もしそれが本当ならば、楽観すべき理由はない。ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で起こった大惨事から25年経って、あたかも何事もなかったかのように原子力技術は利用されている。さらに悪いことに、各国の政府、国際機関、並びに電力・建設業界は挙って、原子炉をさらに建設しようと働きかけを世界各地で強めている。彼らの主張は、原子力は環境の観点から必要不可欠というものである。すなわち、原子力は温暖効果ガスを生じさせないことから、将来に亘って気候変動問題に対応していくエネルギー政策において不可欠な要素となるというものである。
事実、皮肉に聞こえるかもしれないが、今回の原油流出事故はこれまで目を背けてきた問題に正面から取組む機会を提供している。米国の環境活動家達は今回の大惨事についての議論を通じて、従来の生活スタイルに伴う様々なリスクについて市民の目を覚めさせることが出来るはずである。すなわち、原油等の化石燃料には掘削ドリルを入れた瞬間から、燃焼して煙となるまでの生産・消費サイクル全体に亘って(常にこのような惨事を引き起こす)リスクが存在していることから、一刻も早く燃焼燃料としての依存から脱却すべき等の議論が出来るはずである。
しかし少し前まで、米国市民に世界最悪の公害国として地球環境に対する責任感を持たせられるビジョンと資質を兼ね備えた唯一のリーダーとみられていたバラク・オバマ大統領は、今回の対応で、自身の先任者達と同様に近視眼的な見方しかしていないことが露呈された。
オバマ大統領は、この大災害を契機に、外洋におけるさらなる原油掘削作業を禁止し、人々に今日の生活習慣を見直すよう促すといった積極的な対策をとるどころか、むしろ、状況の推移を見守る待ちの姿勢を示している。こうしたことから、オバマ大統領は、「原油流出を止めきれないBPへの『怒り』を覚える」と表明したものの、それに説得力を持った響きはなかった。
世界各国の姿勢も似たようなものである。欧州諸国(この問題に関してはメキシコ、アンゴラもそうだが)は原油に関して独善的になる理由はなにもない。BPの破滅的な原油流出事故は石油開発と消費に関連してこれまで引き起こされた数多くの環境的・社会的大惨事の一つに過ぎない。
英蘭系石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェルは、1960年代以来数十年に亘ってナイジェリアのニジェール・デルタ地帯を、地元指導者の反対や国際機関による批判にもかかわらず、環境破壊をし続けている。それにも関わらず、シェルは世界最大の環境ネットワークである国際自然保護連合(IUCN)のパートナーとして環境保護に取組む企業イメージを謳っている。
その間も、他の欧州の原油企業は、―大西洋に毎年数万トンの原油を漏出させながら―北海での掘削を続けている。フランスの原油企業トタールは、ミャンマーのような国々で油田開発を続けている。トタールの前身で悪名高い国営エルフアキテーヌ社は、アンゴラ、コンゴ共和国、ガボンその他のアフリカ諸国で腐敗や内戦を助長した過去を持つ。
こうした欧州の原油企業は自社が油田権益を支配できる限り、そうした国々の独裁者と渉り合っていくことに良心の呵責を微塵も見せることはなかった。
多くの欧州の消費者も燃料消費ということになると良心の呵責を感じないようだ。消費者はドイツ、フランス、スペイン、英国で気候変動問題が議論される前後にライセンス発行されるスポーツ多目的車(SUV)の価格をチェックする一方、パリやベルリン、ロンドンといった都市部において、あたかも高度に発達した現代都市ではなく人里離れた僻地に住んでいる幻想にでも集団で陥っているかのように、大量のガソリンを消費する全地形対応車(ATV)を走らせている。
欧州の大半の都市において、気候変動問題を巡る議論の高まりと並行するかのようにこうした大量の燃料を消費する車が増加している現状は、燃料が手に入るうちにそうした車を運転しておきたいという人々の欲望を反映したものである。
こうした消費者の身勝手な行動は、悪名高きフランスのルイ15世がかつて放言した「わが亡き後に洪水は来たれ!」という言葉を体現しているようなものだ。ただし現代の消費者は、この王の思慮なき政策がフランスの国力を削ぎ、財政を困窮させ、王室の権威を失墜させ、ついにはフランス革命を引き起こしたという事実には目をつぶっている。
それこそが問題の本質なのだ。すなわち先進国の人々は、気候変動に歯止めをかけるためには自身の消費行動を抜本的に転換しなければならないという点を受け入れようとしない。そうした努力の結果は未来になってみないと特定できないという理由によるものである。また同様に、世代間倫理(generational justice)についての議論が活発にされているにも関わらず、多くの人々は依然として現在の仕組みを正当なものとして、(未来の世代のために)犠牲を払うということをしようとしない。こうしたことから、私たちの生活様式を考え直す教育を行うことは極めて困難な状況にある。
しかし、今回のメキシコ湾原油流出事件は、私たちの生活様式の正当性に疑問を投げかけている。従って、それは単にBPやオバマ大統領だけの問題ではなく、結局は私達全てが自らの生活様式も含めて考えるべき問題なのだ。
翻訳=IPS Japan戸田千鶴