【ベオグラードIPS=ベスナ・ペリッチ・ジモニッチ】
何十年にもわたって、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)は人間の顔をした共産主義国家であった。教育と医療は無料で、雇用は保証され、家や小規模ビジネスの個人所有が認められていた。人びとは、他の東欧諸国に比べて高いレベルの生活を享受し、ビザなしに海外にわたることができ、政府は市民に開かれていた。そして非同盟運動を率いる盟主国として、国際社会において確固たる地位を占めていた。しかし、20年前の6月25日にすべてが終わった。
この日、旧ユーゴで最も先進的なクロアチアとスロベニアの両共和国が一方的に独立したのである。両国は、(現在のセルビア共和国の外に在住する)全てのセルビア人の保護者を自認し「すべてのセルビア人はひとつの国に住む必要がある」とするスロボダン・ミロチェビッチ(当時)を悪の権化だとみなしていた。
「(90年代の内戦で)15万人もの人命を失い、莫大な経済的損失をこうむった今、旧ユーゴに住んでいた2400万人にとって独立して何の利益があったかを語るのは非常に難しい。確かに彼らは自らの国を持ったことを誇りにしています。しかし、旧ユーゴと比べれば、ほぼ全ての国に独立国としてやっていくために不可欠な要素が欠けているのです。」と歴史家のプレドラグ・マルコヴィッチは語った。
現在のスロベニア(200万人)、クロアチア(460万人)、ボスニア・ヘルツェゴビナ(420万人)、セルビア(750万人)、モンテネグロ(65万人)、マケドニア(200万人)は、かつての旧ユーゴとはかなり異なる場所である。ユーゴスラビア内戦で各国を率いた3人の指導者、クロアチアのフラニョ・トゥジマン、ボスニア・ヘルツェゴビナのアリヤ・イゼトベゴヴィッチ、セルビアのミロシェビッチはすでに死亡している。
旧ユーゴの構成国の中で欧州連合(EU)に加盟しているのは、最も経済水準が高いスロベニアだけである(2004年)。クロアチアは2013年に加盟予定、モンテネグロとマケドニアがその次の候補である。一方セルビアは、依然としてEU理事会による加盟候補国承認待ちであり、ボスニア・ヘルツェゴビナは1992円から95年に亘った内戦の被害から未だに回復していない。
「EU加盟は私たちにとって自然な選択肢でした。しかし旧ユーゴスラビア連邦時代と比べてEUにおける我々の声は小さなものと言わざるを得ません。」とスロベニアの経済学者であるジョゼ・メンシンガ-は語った。
社会学者のミラン・ニコリッチは、「1991年から95年にかけての戦争は、人命などの直接的な被害に加えて、共感や連帯、犯罪への非寛容といった価値観を崩壊させてしまいました。しかし世界も1991年から大きく変化しています。私たちは皆、未来を向いていかなければならないのです。」と語った。
旧ユーゴ解体がもたらした多くの壊滅的な結果の中でも、経済危機は特に深刻である。生産力は下がり、輸入依存の経済になってしまった。また、市場経済への転換により大量の失業者を出した。さらに世界的な経済危機が、こうした苦境にさらに追い打ちをかけている。
スロベニアの失業率は、旧ユーゴの中でもっとも低く約10%。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナでは40%にも達する。生産力は1989年のレベルにいまだ達していない。
旧ユーゴ構成国6か国の対外債務は1710億ドルで、旧ユーゴ時代の240億ドルを大きく上回っている。その内訳は、最も低いマケドニアで25億ドル、最も高いクロアチアは640億ドルにのぼっている。
(スロベニアを除いて)旧構成国における生産レベルは内戦前の最高レベルであった1989年水準(旧構成国の統計学者はこの年をベンチマークに使っている)にまで未だに回復されていない。
「もし内戦がなかったら、ユーゴスラビアはEUにとっくの昔に加盟し、発展のレベルは少なくとも1989年の2倍にはなっていただろう。」とニコリッチ氏は嘆く。
しかし、多くの人びと、とりわけ若者にとっては、こうした嘆きはほとんど意味をなさない。旧構成国の教科書の記述内容はまちまちで、きわめて皮相な歴史しか記述されておらず、若者たちはかつてユーゴスラビア社会主義連邦共和国という国があったこともほとんど知らないのが現状である。
セルビアのKraljevo出身のボジャン・スタンチッチ(22歳)は、クロアチアのアドリア海沿岸地域で最も有名な観光地について聞かれて「ドブロクニクってなに?クロアチアの街だって?それじゃあ外国の街だね。いつか行ってみるよ。」と語った。
しかしより年配の世代については、多くの人々が今でも旧ユーゴへの郷愁の念を抱いている。
クロアチアのザグレブでペンションを経営しているダラ・ブンチッチ(65歳)は、「ベオグラード(旧ユーゴの首都で現在はセルビア共和国の首都)には親族がおり、よく訪れます。ベオグラードには今でも大国の首都を思わせる輪郭が残っています。旧構成国は今は小さな独立国家になったが、友人にはベオグラードを見学にいくように勧めています。それは私たちクロアチア人が独立した祖国をいかに誇らしく思っているかという感情とは別に、ベオグラードが私たちにとっての共通の歴史の一部ということに違いがないからです。」と語った。
「20年前まで、私は2歳のとき以来毎年、2か月間を親族がいるクロアチアの海岸沿いの町で過ごしました。だから私は、旧ユーゴ時代の35年間の内、6年間という年月をクロアチアで暮らしたのです。何者もこうした事実や、古き良き旧ユーゴ時代の思い出を、私から奪うことはできないのです。」とベオグラード出身のサーシャ・ジャクシッチ(55歳)は語った。
旧ユーゴの記憶について報告する。(原文へ)
IPS Japan戸田千鶴
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