【シアトルIPS=ピーター・コスタンティーニ】
米国における移民を巡る議論に困惑している人は、あの「マジノ線」を思い出してみたらどうだろうか。
「マジノ線」とは、1930年代に、当時のフランス陸軍大臣アンドレ・マジノ(André Maginot、1877年―1932年)の提唱で、来るドイツの侵攻に備えてフランス政府がドイツ―フランス国境沿いに構築した長大な要塞線のことである。しかしナチスドイツは、第二次世界大戦初期の対仏電撃戦において、マジノ要塞の北限(フランスは中立国のベルギーとの国境にマジノ線を延長していなかった:IPSJ)をやすやすと迂回して英仏連合軍を圧倒、わずか6週間でフランスを降伏させた。
残念なことに「マジノ線」は、こうした経緯から、過去の戦略思考に基づいて作られた「無用の長物」の代名詞のように語られるようになってしまった。しかし当時マジノ氏は、少なくとも、フランスの生存を脅かす差し迫った脅威に立ち向かおうとしていたのである。
一方、我が国(=米国)の「マジノ氏ら」は、米国とメキシコの国境沿いに1130キロに及ぶ長大な壁を構築し、国境警備隊を増員(約1万8000人→3万8405人)し、(米軍がアフガニスタンで使用していた)無人偵察機(ドローン)や振動・画像・赤外線による地上無人センサー等まで配備して、「恐るべき」不法入国外国人による「侵攻(=流入)」と阻止しようと躍起になっているが、実際には米国への不法移民の入国数は2000年にピークに達しており、その後は下降線をたどっている。つまり、脅威として捉える時期はとうに過ぎ去っているのだ。
2008年に世界同時不況が始まって以来、米国からメキシコに帰国した人数は、メキシコから新たに米国に入国した人数を僅かながら上回った。そして現時点で、両国間の純移動率(特定の時期、場所における移入民と移出民の差)はほぼゼロである。また、米国における不法滞在移民の数も、2007年のピーク時と比較すると、今日では約8%減少している。
結局のところ、こうした移民の流入は、悪影響どころか、むしろささやかながら、米国の経済・社会の幅広い分野において利益をもたらしているのである。
メキシコから米国への大量の人口移動は1990年代半ばに始まるが、その背後には強力な「プッシュ要因」と「プル要因」が作用していた。メキシコでは、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)により、多くの貧しい農民が(安価な米国産農産物に対抗できず)耕作を放棄して土地を離れていった。また同年発生した通貨(ペソ)危機により、実質賃金は約20%下落した。一方、同時期の米国経済はIT分野を牽引力とする好景気(戦時下を除けば史上最長の景気拡大)を経験しており、低賃金労働者に対してさえ、賃金の引き上げが行われていた。
これほどの経済の一極集中は、将来再び起こりそうにない。現在では両国の景気循環は、より密接に連動するようになっている。現在メキシコでは、教育、就業機会が増える一方で、出生率が低下し続けており、メキシコ人を米国への出稼ぎへと駆り立てる「プッシュ要因」は、中長期的には、今後も縮小していくかもしれない。
しかし我が国の「マジノ氏ら」は、依然として幻の敵(=不法入国外国人)に対する強硬な構えを崩しておらず、費用対効果が低く、時には非生産的ですらある様々な対処策を要求し続けている。
世界で最も豊かな国と比較的貧しい国(中進国)の間に横たわる米国=メキシコ国境の全長は、2000マイル近く(=3141キロ)に及び、その大半はソノラ砂漠(日本の本州がそっくり入る)北限を通過している。つまりいかに国境線を武装化したとしても、移民の流入からこの長大な国境を完全に守りことは不可能である。また、国境警備に費やされる莫大な予算、技術、人員に対する費用対効果が疑問視されるようになって既に長い年月が経過している。
一方、米国=メキシコ国境線が「マジノ要塞化」されたことで、越境は以前よりもより危険で過酷なものとなっている。しかし、成功するまで繰り返し越境を試みようとする者たちを止めることはできない。また、米国内の不法移民労働者の30%から40%は、合法的に米国に入国し、そのまま滞在期限を過ぎで生活しているものたちである。つまり、米国への移民の流入を効果的に抑制する唯一の要因は、米国の労働市場が冷え込むか、反対にメキシコの労働市場が改善するか、である。
また国境強化措置は、想定外の悪質な結果をもたらしている。「コヨーテ」と呼ばれる悪名高い不法移民の密輸業者(越境時のガイド役)の費用が3倍に跳ね上がり、移住希望者に大きな負担としてのしかかる一方で、その追加利益は主要な国境地帯を支配している麻薬密売組織に流れ込んでいる。また、人口密集地に近い国境地帯の警備が大幅に強化された結果、越境が試みられるポイントはますます自然環境が過酷な砂漠地帯へとシフトしており、引き続き夥しい数の人々が命を落としている。
また国境の要塞化は、従来の循環型移住を妨げる結果をもたらしている。メキシコから米国への移住パターンの大半は、昔から1年か2年ごとに国境を行き来する出稼ぎ型で、最終的にはメキシコに戻ってよりよい生活を構築することが目的であった。ところが、越境に伴う費用と危険性が大きくなったため、米国での滞在期間を長くするか、あるいは、帰国を諦めてそのまま米国に永住し、家族を呼び寄せる選択をする不法移民がこのところ増加している。
不法移住は、一世紀以上に亘る米国・メキシコ両国の経済の浮き沈みを通じて、両国の文化・経済に、深く根付いてきたものである。つまり、違法ではあるが、スピード違反や駐車違反と同じように捉えられているのが実情である。
あるいは違法移住の問題は、国際的な不法侵入の一種と見ることもできるだろう。つまり、悪意なく不法侵入したものの、長期にわたって滞在し続けた場合、米国のコモン・ロー(慣習法)は、「時効取得」の概念に基づいて権利の取得を認めているのである。
不法移民がもたらす経済効果については、大半の労働経済学者が、米国生まれの労働者に総合的に恩恵をもたらしているほか、経済全般を活性化し、財政バランスの改善にも貢献しているとの見解を示している。
さらに低賃金労働者の利益を代表している労働組合やコミュニティー組織も、不法移民を暗闇から引き出して適切な法的地位を付与し、労働で連帯していくことで、米国の労働市場全体を健全化できるという考えを、圧倒的に支持している。
それでは、不法移民がいかなる罪も犯しておらず、しかも米国社会に貢献しているのならば、彼らが市民権を取得するための道筋は、どうして、移民排斥派の議員らが頻繁に言及する「恩赦」ということになるのだろうか?
私たちは、「マジノ線(=米国とメキシコ国境の壁)」をあと何マイル延長させるかという議論よりも、むしろ、全ての低所得世帯の生活水準の向上を図りながら、不法移民を米国経済に統合していく最善の方法を議論することに心血を注ぐべきである。
また、国境を武装化し罪もない移民らを収監するためにボーイングやレイセオンといった軍需産業や矯正施設運営企業に膨大な予算を惜しげもなく投入する代わりに、その予算のほんの一部でもメキシコや中央アメリカの移民送出地域に雇用、住宅、教育、医療保健対策費として送ったほうが、よっぽど支出に見合った成果を得ることができるだろう。そして私たちが圧倒的に賢明な人間でありたいと思うならば、その残りの予算を米国本国で同じように使うこともできるだろう。
米国への不法移民の数が10年前や15年前の水準に再び戻ることは、ほとんど考えられない。しかし、もし本当の意味での経済復興が実現して再び不法移民の数が増加に転じるようなことがある場合は、既に国内にいる低所得労働者を搾取することなく、適正な労働需要を満たす新たな未熟練労働者に十分なビザ(査証)を発行する移民改革が実施されなければならない。
そのような移民改革を実現するには、この問題について常に協議と調整を図れる態勢が構築されなければならない。そのための具体的な方策としては、既にコミュニケーション、貿易、金融など他の分野において実現している、移民問題に関わる全ての利害関係者(労働者、経営者、コミュニティー活動家、学識経験者)が参画した政府委員会を創設することが挙げられる。
また、真の意味で、米国=メキシコ国境に関する安全保障問題に対処するには、前アリゾナ州司法長官のテリー・ゴダード氏の主張に耳を傾けるのも悪くない。ゴダート氏は、報告書の中で、不正資金をマネーロンダリングしたり、国境を越えて不正資金や商品(麻薬など)を運搬する能力を攻撃するなど、(国境地帯に勢力を張っている)多国籍犯罪カルテルの急所を突く方策を詳細に説明している。
米国の著名なコメディアンで風刺作家のスティーブン・コルベア氏は、移民排斥派の議員が提唱している「国境のセキュリティーを強化する(Border Surge)」方策について、「それはイラクではうまく機能しましたよ。なにせ、バグダッドへの潜入を図ろうとするメキシコ人はほとんど見かけないからね。」とコメントした。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
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