【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】
2025年8月9日、世界は長崎への原子爆弾投下から80年を迎え、人類史上最も暗い日々の一つ、そしていまだに無視され続けている警鐘に思いを致している。1945年のこの日午前11時02分、広島に3日前に投下されたものよりも強力な爆弾が、一瞬にして町の一角を消し去り、およそ7万4千人を殺害した。生き延びた被爆者たちは、白血病やがんなど放射線による病に長年苦しみ、目に見えない傷を抱えて生き続けた。

今朝、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は長崎平和祈念式典に寄せたメッセージで、被爆者の証言を「世界の永遠の道徳的羅針盤」と呼んだ。その声が時とともに減っていくほどに、その真実はより鮮明になる──核兵器は安全をもたらすのではなく、破滅しかもたらさない。
私自身、彼らが警告するものを目にした。2019年、私はカザフスタンのセミパラチンスクとクルチャトフ──旧ソ連の核実験の中心地──を訪れた。(ドキュメンタリー映像はこちらへ)
研究機関や老人ホーム、孤児院の静かな廊下で、放射能汚染の代償を目の当たりにした。重い障害を抱えて生まれる乳児、がんで壊滅した村々、何十年経っても汚染されたままの大地──それは過去の話ではなく、今まさに起きている現実だった。


私はまだ広島や長崎を訪れたことはないが、長崎はいつも心の中にある。ニューヨークの国連本部で、軍縮パビリオンにある「聖アグネス像」の前を通るたびに思い起こす。長崎市民から贈られたその像の静かで悲しげな姿は、あの日の影が歴史書の中だけにとどまらず、今も私たちの現在に伸びており、行動を促していることを思い出させる。
長崎では今日、爆心地の記憶を共有するため、原爆投下以来初めて鐘の音が一斉に響いた。犠牲者の「水を…」という叫びをなぞるように、献水の儀が厳かに行われた。被爆当時3キロの地点で体験した93歳の西岡宏さんは、外傷がないように見えた人々でさえ、やがて歯ぐきから血を流し、髪が抜け、次々と命を落としていったと語った。
1946年に国連が最初に採択した決議が核兵器廃絶を求めたのは偶然ではない。それから80年経った今も、核の影は消えていない。核兵器は再び各国の安全保障ドクトリンの中心に据えられ、威嚇や強制の道具として振りかざされている。世界の軍事支出は過去最高を更新し、平和と開発のための資金は後退している。
それでも希望の火はある。昨年、広島・長崎の被爆者を代表する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、数十年にわたる活動の功績でノーベル平和賞を受賞した。2024年には、国連加盟国が「未来のための協約」を採択し、核兵器のない世界の実現への再コミットメントを誓った。
しかし、行動なき再コミットメントは裏切りである。核不拡散体制の枠組み──核兵器不拡散条約(NPT)を基礎とし、核兵器禁止条約(TPNW)によって強化された制度──は守り、拡充し、履行させねばならない。そのためには、
・ 信頼と透明性を回復するための軍縮外交の復活
・ 核実験モラトリアムの再確立と包括的核実験禁止条約(CTBT)の全加盟国による批准
・ 検証可能な合意による核兵器備蓄の削減
・ 抑止ドクトリンを廃絶への誓約に置き換えること
が必要だ。

被爆者、セミパラチンスクの犠牲者、そして長崎の人々は、同じ悲劇と警告を共有している。追悼だけで行動を伴わないのは偽善である。
長崎を焼き尽くした火炎から80年、私たちは1945年と同じ選択に直面している──核の影の下にとどまるのか、それともその影を抜け出し、核のない世界という光の中へ進むのか。
選ぶべき時は今である。そして唯一の道徳的選択肢は、廃絶である。(原文へ)
Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/80-years-after-nagasaki-the-only-moral-choice-is-abolition
INPS Japan/ATN
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