INPS Japan/ IPS UN Bureau Report|視点|スリランカと日本、 旧友の帰還(ネヴィル・デ・シルヴァ元ロンドン副高等弁務官、ジャーナリスト)

|視点|スリランカと日本、 旧友の帰還(ネヴィル・デ・シルヴァ元ロンドン副高等弁務官、ジャーナリスト)

【ロンドンIPS=ネヴィル・デ・シルヴァ】

5月24日、スリランカのラニル・ウィクラマシンハ大統領が3日間の日程で日本を公式訪問した。昨年9月に安倍晋三元首相の国葬に出席して以来、2度目の来日となる。

ウィクラマシンハ大統領にとって、岸田文雄首相との首脳会談は、安倍元首相の葬儀に合わせて行われたものに続いて2度目となるものであり、スリランカの外交政策の見直しや中国への過度の依存からの脱却における日本の重要性を示している。

また、今回のウィクラマシンハ大統領の訪問には、深刻な経済危機に陥っているスリランカ経済の立て直しに日本政府の一層の支援を求めるとともに、ここ数年、何度も嫌な思いをしてきた日本の投資家に対して、スリランカへの回帰を促す目的があった。

ゴタバヤ・ラジャパクサ前政権は、すでに着工していたコロンボの次世代型路面電車(LRT)整備計画など、日本と合意していた主要プロジェクトを事前通告なしに破棄した。また、コロンボ港の東ターミナル開発に関する日本、インド(およびスリランカ)との3者協定も反故にした。

岸田首相との会談で、ウィクラマシンハ大統領は、日本との過去の関係に遺憾の意を表明し、前政権により中止されたプロジェクトを再開する用意があると語った。

スリランカは昨年4月にデフォルト(=債務不履行状態)を宣言するなど深刻な経済苦境に陥っているが、今回の大統領訪問には、日本との経済協力復活を目指す以上のものが含まれている。スリランカは、凡庸な統治と無能なアドバイザーによって陥った、あるいは陥らされた経済の泥沼から抜け出すための救済策を国際通貨基金(IMF)に求めなければならなかった。

日本との新しい関係は、二国間関係を超えた広い範囲をカバーしている。しかし、高い税金、公共料金の引き上げ、国内物価の高騰に苦しむスリランカの人々にとっては、日々の暮らしが最優先事項である。

Anti-government protest in Sri Lanka on April 13, 2022 in front of the Presidential Secretariat/ Photo by AntanO – Own work, CC BY-SA 4.0

一方、小規模な産業や企業は、莫大な電気料金や水道料金の値上げなどの運営コストに耐えられず閉鎖され、人々は職を失っている。また、医師、エンジニア、測量士、IT・技術者などの専門職が、先進国、途上国を問わず、海外に就職したり、新たな機会を求めて国外に流出している。

日本は、IMFがスリランカに求めている債務再編について、インド・日本・先進国からなる主要債権国会議(パリクラブ)での協議を主導するなど、積極的に支援の手を差し伸べている。また日本は、ジュネーブの国連人権理事会でも、米国、英国、カナダ、一部の欧州諸国のように(タミル人に対する人権問題等を巡って)スリランカを非難する西側諸国とは一定の距離を置いた、より冷静で穏やかなアプローチをしてきた。

さらに、インド洋地域の国際政治が複雑化し、対立が激化する中で、デリケートな外交問題に巻き込まれているスリランカ政府は、インドや欧米とともに、この地域で海軍活動を拡大し存在感を増している中国に対抗する勢力として、日本を捉えている。

しかし、ウィクラマシンハ大統領が日本との関係強化を図ろうとする理由は、他にも2つある。ひとつは国家的なもの。もうひとつは、そうとは思わない人もいるかもしれないが、個人的な理由である。

国家的な動機は、ラジャパクサ政権(マヒンダとゴタバヤの両大統領)の下であまりにも近づきすぎていた中国との関係に距離を置くことである。スリランカはその地政学的位置故に、この地域への影響力拡大を企図する中国の関心を常に惹きつけており、地政学的な嵐の中に巻き込まれる可能性がある。

習近平国家主席と中国指導部は、親欧米、特に親米的とみなしているウィクラマシンハ氏よりも、ラジャパクサ兄弟が権力の座に戻ることを望んでいる。さらに、ウィクラマシンハ氏は、「スリランカにとって日本をより信頼できる友人であり、超大国の野心を持たない国だと考えている」と結論づけることもできる。

もうひとつの理由は、日本の指導者たちがスリランカに対して抱いてきた、または育んできた強い絆にある。その起源は1951年、敗戦国日本の戦後平和条約を作成するために48カ国が集まったサンフランシスコ講和会議まで遡る。

この会議でセイロン(当時)が果たした重要な役割、それはセイロン大蔵大臣(当時)のジュニアス・リチャード・ジャヤワルダナ(通称「JR」)氏の活躍によるものだったことは、今ではあまり知られていないかもしれない。

Junius Richard Jayawardana Photo: Public Domain

ジェヤワルダナ氏は、その親米的な傾向から「ヤンキー・ディッキー」と呼ばれ、1978年にスリランカ初の大統領となった人物で、ラニル・ウィクラマシンハ氏の叔父に当たる。

当時のセイロンは、英国から3年前に独立したばかりであり、日本との関係では第二次世界大戦中の1942年に首都コロンボと英海軍基地があった北部のトリンコマリーを日本軍に空襲された経験を持っていた。日本の将来を決めることになる議論がなされたサンフランシスコ講和会議で、はたして、このインド洋の小国を代表したジェヤワルダナ氏は何を語ったのだろうか。

同会議では、他の国々が日本への制裁を求め、戦時中の損害に対する補償を要求する中、ジェヤワルダナ氏は、日本が自由に未来を築けるよう独立支持を主張すると共に、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」との釈尊の言葉(法句経の一節)を引用して、日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行った。興味深いことに、スリランカと日本はともに仏教国だが、二つの異なる流派(前者が小乗仏教、後者が大乗仏教)に属している。

バンドゥ・デ・シルヴァ元スリランカ大使は、8年前に講和会議を回想した手記の中で、「ジェヤワルダナ氏の演説は大きな拍手で迎えられた。」と述べている。また当時のニューヨーク・タイムズ紙は、「(ジェヤワルダナ氏の演説は)雄弁で哀愁があり、オックスフォード訛りが残る自由なアジアの声が、今日の対日講和会議を支配した」と記している。

2002年にコロンボで開催された外交関係樹立50周年記念式典で、日本大使が述べたことが、両国の友好関係の基礎を最もよく表しているのではないだろうか。

大塚清一郎大使は、サンフランシスコ講和会議でのジェヤワルダナ氏のスピーチを想起しながら、「戦後の厳しい状況の中、日本が灰の中から立ち上がり、国を再建し始めたとき、日本の人々に真の友好の手を差し伸べたのは、スリランカ(当時はセイロン)の政府と人々でした。日本と日本国民は、スリランカ政府と国民が困難な時に差し伸べてくれた友情と大らかさに、心から感謝してきました。この精神に基づき、日本は真の友人として、またスリランカの発展のための建設的なパートナーとして、スリランカとしっかりと肩を並べてきたのです。1951年9月8日、サンフランシスコでジェヤワルダナ氏が語ったこの精神、すなわち友情と信頼によって、50年に亘る両国の二国間関係は導かれてきたのです。」と語った。

しかし、ジェヤワルダナ氏が日本の独立を強く明確に支持したことが、その後のセイロンの立場にネガティブな影響をもたらすことになったかもしれないという見方が存在する。

当時は東西冷戦が激化し始めており、ソ連は日本との平和条約について日本の行動の自由を制限するような修正を提案した。これに対してセイロン代表(=ジェヤワルダナ氏)は、「平和条約は日本国民に言論、報道、出版、宗教的礼拝、政治的意見、公共集会等の基本的自由を与えるものでなければなりません。まさにソ連が修正案で求めているこれらの自由は、ソ連国民自身が持ちたいとあこがれているものである。」と皮肉交じりにソ連の提案に異議を唱えた。

ソ連は、ジェヤワルダ氏が公の場でソ連提案を非難したことへの報復として、セイロンが英国との防衛条約があるため独立国ではない等の理由を挙げて、セイロンの国連加盟をその後何年も阻止した、という説もあるくらいだ。*1)

Japanese Prime Minister Shigeru Yoshida (1878–1967, in office 1946–47 and 48–54) and members of the Japanese envoy sign the Treaty of San Francisco./ Public Domain
Japanese Prime Minister Shigeru Yoshida (1878–1967, in office 1946–47 and 48–54) and members of the Japanese envoy sign the Treaty of San Francisco./ Public Domain

その後セイロンが1956年に国連加盟を果たした経緯は、米ソ間の取引(互いに拒否権を行使して国連加盟を阻止していた国々を互いに承認する取引)の結果である。しかし、それはまた別の話である。(原文へ

*1) ジェイワルダネ氏は、ソ連の修正案に対する反論として、「言論の自由」問題を取り上げてソ連を皮肉ったほか、米国に対して琉球・小笠原両諸島を日本に返還するよう求めたソ連提案を逆手にとって、ソ連が保有する南樺太、千島列島も日本に返還すべきであると主張した。また、インドがサンフランシスコ講和会議に参加しなかったのは「一層寛大な講和を結ぼうとしているためである。」と解説し、ソ連の不興を買ったと言われている。

ネヴィル・デ・シルヴァはスリランカのジャーナリスト。香港の「ザ・スタンダード」で要職を務め、ロンドンの「ジェミニ・ニュース・サービス」に勤務した。ニューヨーク・タイムズやル・モンドなどの特派員を歴任。最近では、スリランカのロンドン副高等弁務官を務めた。

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