ニュースなぜ米国の外交政策は大統領が変わっても生き続けるのか

なぜ米国の外交政策は大統領が変わっても生き続けるのか

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

私の人生の大半において、私は「権力とはこういうものだ」と考えてきた。指導者が語れば制度は従い、大統領が発表すれば国家機構は動く。権威は手続きに先立って、まず個人に宿る――そう理解していた。

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

エジプトで育ち、中東・北アフリカ(MENA)地域のただ中で暮らしてきた私にとって、その前提は自然だった。この地域には、権威主義体制や独裁者、専制的な君主が少なくない。政府の動きには常に警戒心が伴う。公式説明をうのみにせず行間を読み、権力が一つの地位に集中すれば、組織はどれほど容易くねじ曲げられるかを学ぶ。多くの政治体制では、指導者は単なる「権力の顔」ではない。彼こそが、体制そのものなのである。

そうした世界観は、私がエジプトから欧州、そして米国へと移り、さらに85カ国以上を旅する中でも付きまとった。政治的権威をどう理解し、リスクや信頼性、意図をどう評価するか―その基準を形づくっていた。

しかし、機能する民主主義の内側に身を置かなければ、直感的には理解しにくい事実がある。それを理解するには、時間をかけ、現場に近い距離で経験することが必要だった。
米国では、指導者は強大な権力を持つが、主権者ではない。制度が必ず押し返すのである。

この違いは重要である。今日の米国では、外交政策が、まるでホワイトハウスを占める人物の性格や気質の延長にすぎないかのように語られがちだからだ。

Donald Trump/ The White House
Donald Trump/ The White House

確かに、米国大統領は莫大な権限を持つ。軍を指揮し、外交を主導し、優先課題を定め、高官を任命し、世界に対する米国の姿勢の「トーン」を決める。大統領が発言すれば市場は反応し、各国政府は対応し、同盟関係は再調整を迫られる。その影響力は現実のものである。

米国の外交政策に関わるあらゆる重要な決定は、統治機構という巨大な仕組みに必ず直面する。議会は議論し、阻止する。裁判所は介入し、実行を遅らせる。官庁は政策を解釈し、ときに抵抗する。キャリア官僚(政権交代後も職にとどまる専門職の公務員)が、実施の在り方を形づくる。同盟国は、ワシントンのスローガンではなく、自国の利益に基づいて反応する。その結果、政策は往々にして、事前のレトリックよりも遅く、錯綜し、強く制約されたものとなる。

これは機能不全ではない。欠陥ではなく、制度が意図してそう設計されている。

権力が一つの地位に集中する政治体制を取材してきた私にとって、ワシントンを取材することは、権力の捉え方を根本から見直す作業だった。多くの国では、指導者が実行を望めば、それは即座に実現する。だが米国では、政策は交渉され、修正され、作り替えられ、時には実行に至る前に葬られる。

しばしば「政治ショー」と軽視されがちな議会は、実は外交政策において最も影響力のある主体の一つである。議会は予算を握り、制裁法を制定し、武器輸出を認可し、高官人事を承認し、行政を監視する。大統領の野心は、協力を拒む議員によってたびたび封じ込められる。これは政党間対立の問題ではなく、制度が内包する制約である。

The western front of the United States Capitol. The Neoclassical style building is located in Washington, D.C., on top of Capitol Hill at the east end of the National Mall. The Capitol was designated a National Historic Landmark in 1960.
The western front of the United States Capitol. The Neoclassical style building is located in Washington, D.C., on top of Capitol Hill at the east end of the National Mall. The Capitol was designated a National Historic Landmark in 1960.

もう一つ見落とされがちなのが、国家安全保障官僚機構だ。外交官、情報機関職員、国防関係者、行政官といったキャリア職員は、新大統領の就任とともに消えるわけではない。彼らは残り、説明資料を書き、選択肢を提示し、情報を解釈し、選挙のスローガンが消えた後も仕事を続ける。大統領が彼らに異を唱え、時に覆すことはできる。だが、何十年にもわたる制度的な思考を一夜にして消し去ることはできない。これが、選挙戦では急進的に見える外交方針が、実務では驚くほど一貫して見える理由の一つである。

司法もまた現実的な制約を加える。移民制限、非常権限、監視プログラム、制裁、大統領令(行政命令)―こうした措置は頻繁に裁判所に持ち込まれ、範囲を狭められ、実施を遅らされ、あるいは差し止められる。これはどちらの政党の大統領の下でも起きてきた。教科書上の理論ではない。現実にそう機能している。

加えて、同盟関係も制約として働く。NATO、G7、欧州連合、日本、韓国、情報共有の枠組み、地域的な連携枠組み――これらは米国の決定をただ受け取るだけの存在ではない。何が政治的・戦略的に持続可能かを形づくり、無謀な方針転換にはコストを課す。大統領が公然と同盟国を批判し、離脱をちらつかせることはできる。しかし、こうした関係の基盤は、その時々の政治よりもはるかに強靭であることが繰り返し示されてきた。

だからこそ、「米国の外交政策は特定の個人の偏見や世界観の反映にすぎない」という主張が出てきたとき、焦点は別にある。問題は、大統領が集会やインタビューで何を語ったかではない。制度が最終的に何を生み出したかだ。同盟は構造的に弱体化したのか、それとも言葉の揺れを超えて持続したのか。制裁は崩れたのか、維持されたのか。軍事的関与は消えたのか、それとも制度的惰性の中で続いたのか。敵対国は、言葉ではなく、具体的な政策によって戦略的利益を得たのか。

異なる政治文化の間で生きてきた私は、自然と比較する。私がよく知る多くの体制では、レトリックはすぐに現実になる。米国では、レトリックは制度と衝突する。この衝突は、大統領を苛立たせ、有権者を混乱させ、陰謀論を生むこともある。しかし同時に、それは権力集中に対する最も重要な安全装置の一つでもある。

ただし、居心地の悪い真実もある。制度は、外国勢力に乗っ取られなくても、その利益に奉仕してしまうことがある。**機能不全だけで十分なのだ。**分極化は結束を弱め、不信は制度を腐食させ、ちぐはぐな発信は同盟国を不安にさせる。政治的混乱は、敵対勢力にとっての機会を生む。ロシアや中国は、混乱の「作者」を支配する必要はない。その混乱が生む環境を利用すればよいのだ。

米国の外交政策は不完全で、ときに一貫性を欠き、強く政治化されている。だが、それは一人の人物の私的な記録ではない。制度、個性、法律、同盟、世論のせめぎ合いが生み出す結果である。

米国と国連を長年取材し、政府を間近で見つめ、異なる政治文化の間を行き来してきた経験を通じて、私は学んだ。この摩擦は弱さではない。権力集中に対する最後の防波堤の一つなのだ。

米国の外交政策を一人の人格に還元して語れると主張する人は、権力が実際にどう機能しているかを説明していない。彼らは、指導者が制度を支配する体制のモデルを、まさにそれを防ぐために設計された米国の制度に投影しているにすぎない。

そして皮肉なことに、その誤解こそが、権威主義体制が世界に信じ込ませたいことなのである。(原文へ

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