【ナイロビIPS=ジョイス・ムラマ】
国際新聞編集者協会(International Press Institute 〈IPI〉本部:ウィーン)の第54回総会が、世界各国のプレス関係者400人を一堂に会してケニアの首都ナイロビで5月22日より(3日間)開催されている。
報道関係者への圧力と迫害(年間に殺害された報道関係者は年々増加し2004年は78人、今年は既に25人が死亡)が強まる状況の中で、報道の自由の確保と国際的な報道内容の質向上にむけた意見交換が行われた。
近年、政府関係者を巻込んだスキャンダルが報道されている総会のホスト国ケニア、アバチャ軍事政権の下で人権侵害が横行したナイジェリア、及び1994年の虐殺報道の影を引きずるルワンダの事例について、政府及びメディア関係者双方の主張を紹介しながら、報道の自由を巡る問題点を報告する。
「報道の自由が政府によって侵されており、これは危険なシグナルと言わざるを得ません」と、IPI代表のヨハン・フリッツは語った。
政府による「報道の自由」に対する攻撃は、厳しい法規制で記者の活動を抑圧する形で行われている。ジャーナリスト達も少しずつ、そのような圧力が自らに飛び火してくる危険性を感じつつある。IPIによると、今年に入って既に25人の記者が勤務中に殺害されており、昨年は78人、2003年は64人、2002年は54人と被害に遭うジャーナリストの数は増加傾向にある。
総会の開会式で演壇に遭ったホスト国ケニアのキバキ大統領は、「ケニア政府は『報道の自由』を守るため全力を尽くしている」と語り、「我々は『報道の自由』を守りつつ、同時にその自由がプレスと一般国民双方にとって責任をもって執行されるような予防措置を伴う適切な法的枠組みを構築すべく、協議を重ねているところです」と会場の参加者に語りかけた。
しかし、最近のケニアにおけるメディアを取巻く状況を見れば、大統領の演説を聞いてもあまり明るい未来が想像できないのが現状である。今月初めにも、ルーシーキバキ大統領夫人が報道カメラマンを攻撃して物議を醸し出したばかりである。
キバキ婦人は彼女の家族に関する記事について、報道内容がフェアでないとして抗議していたが、皮肉なことに、(報道カメラマンを襲った)事件は世界報道自由デー(5月3日)の前日に起こり、大きな注目を浴びる結果となった。
また昨年には、メディアがキバキ政権内の不正疑惑を報道したのを契機に、公務員に対してメディアに対する緘口令がひかれた。その報道は、パスポート印刷機械導入と司法施設建設事業に関して、ある外国企業に数百万ドルの予算が割当てられたスキャンダルに、キバキ政権の複数の閣僚が関与していた内容を報ずるものであった。
2005年4月、世界各国の「報道の自由」度をモニターしている米国に拠点を置くフリーダムハウスは、ケニアの現状に関して「自由でない:Not Free」の評価を付けた。ちなみにケニアの昨年における評価は、「一部自由:Partly Free」であった。
今回のIPI総会では、ナイジェリアにおける「報道の自由」の現状についても注目された。ナイジェリアの著名な活動家でノーベル文学賞受賞者のウォレ・ソインカは本総会に提出した報告書の中で、故サニ・アバチャ軍事政権(1993年~98年)下でいかに多くのジャーナリストが迫害の対象にされ、拷問にさらされたかを詳しく報告した。
そしてソインカは、「アフリカのジャーナリスト達は、アフリカ大陸で横行しているメディアに対する抑圧に、もっと非難の声をあげるべきだ」と訴えた。
一方、総会に参加したポール・カガメルワンダ大統領は、「外国のメディアはアフリカ大陸のネガティブな側面にのみ集中して報道している」として、欧米のメディアを非難した。
「アフリカ諸国が外国からの直接投資を受けれない要因の一つに、欧米のメディアがアフリカに関して常にネガティブな報道をし続けている現状がある」と、カガメ大統領は「欧米メディアによるアフリカ報道」と題した論文の中で語った。
カガメ大統領は、そのメディア・バイアスの事例として、欧米メディアのルワンダ報道は1994年の大量虐殺時(少数民族のツチ族約80万人と穏健派フツ族住民が犠牲となった)のものに圧倒的に集中しており、その後10年に亘る国の再建に向けたルワンダの取組みは、ほとんど報道されていない点を挙げた。
「私達ルワンダ人は、世界に対して内戦の灰塵から再び立ち上がる意志と決意を示しているのです。……ルワンダは400万人近い難民の本国帰還と定住を成し遂げました。しかし、残念なことに、このような事実は、欧米メディアの目には留まらない(記事の対象にならない)ものなのでしょう」(原文へ)
翻訳:IPSJapan 浅霧勝浩