ニュースアーカイブウクライナにおけるロシア軍の1週間の死者数はアフガニスタン侵攻時のソ連軍を上回る

ウクライナにおけるロシア軍の1週間の死者数はアフガニスタン侵攻時のソ連軍を上回る

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

この記事は、2022年3月9日に「The Strategist」に初出掲載されたものです。

【Global Outlook=アミン・サイカル】

ロシアは、ウクライナ侵攻の最初の6日間に死傷したロシア兵の数はごくわずかだと主張しているが、ウクライナは戦死者数が5,000人以上、負傷者はそれをはるかに超えると発表している。どちらの主張も立証することはできないが、たとえロシアの公式な数字に基づくとしても、1980年代の10年間にアフガニスタンで戦死したソ連兵の数に比べてはるかにハイペースである。これにより、ウラジーミル・プーチンが指揮するロシア軍の能力と有効性について、ソ連時代の前任者たちが指揮を執ったアフガン戦争時の軍隊と比較した場合、深刻な疑念が生じる。(原文へ 

アフガニスタンとウクライナには多くの違いがある。アフガニスタン侵攻時のソ連軍は、険しく危険な地形の国で戦わなければならなかった。彼らは、山、川、砂漠が困難な障壁として立ちはだかるまったく見知らぬ土地で、進路を切り開いていかなければならなかった。ソ連の戦略は主に、その脆弱な傀儡政権であるアフガニスタン人民民主党政権を維持するために、カブールと他の主要都市、入境地点などの戦略的地点、主要な通信手段を守ることに重点が置かれていた。ソ連軍は、アフガニスタン人のイスラム抵抗勢力(ムジャヒディン)と主に地方で戦った。その過程で、当初はソ連空軍が優勢となって、ムジャヒディンは守勢に立ち、特にパキスタンと国境を接する州で抵抗勢力と市民の死者数が増えていった。

しかし、1986年から米国と英国が抵抗勢力にそれぞれ「スティンガー」と「ブローパイプ」ミサイルを提供したことで、状況は一変した。肩撃ち式ミサイルのスティンガーは、ムジャヒディンが何としても必要としていた防空手段を提供した。その結果、彼らは、1986~1987年に平均で2日に1機のソ連機を撃墜することが可能になった。これによりソ連が払う戦争の代償は大幅に増大した。ソ連指導者のミハイル・ゴルバチョフは、すでにアフガニスタンを「血の止まらない傷」と評していたが、ついに1989年5月に屈辱的な軍事的撤退を余儀なくされた。結局、ソ連が発表した戦争犠牲者の総数は、戦死者が約1万5千人、負傷者が約3万5千人であった。

ウクライナの場合、ロシア軍の1週間あたりの死傷者はソ連軍のそれよりはるかに少なく抑えられるはずだった。ウクライナの地形は比較的平坦で、ドニエプル川、ドニエストル川、南ブーフ川、セヴェルスキードネツ川、カルパチア山脈といった、数少ない比較的容易な自然の障壁しかない。モスクワは、最初の1週間の戦闘による戦死者を約500人、負傷者を約1,600人と公式に発表した。これらの数字は、アフガニスタンにおける同様の時期に平均で約28人だったソ連軍の戦死者を上回る。ロシア軍の戦死者がこのペースで増え続け、戦争が今後何週間も何カ月も長引けば、ウクライナにおけるロシアの軍事実績は、アフガニスタンにおけるソ連軍の軍事行動を大幅に下回ることになる。

ウクライナの抵抗が力を維持し、NATO加盟国が引き続き情報と武器、中でも重要なスティンガー・ミサイルの供給を保証するなら、それが現実になるかもしれない。たとえロシア軍がキーウや他の主要都市を制圧しても、ウクライナ人は、特にドニエプル川西岸地域から、ムジャヒディンの抵抗と同様、実効性のある抵抗運動に従事することが十分にできるだろう。アフガニスタンでは、米国とその同盟国が、パキスタンを経由していくつかのムジャヒディンのグループに武器や資金を供給していた。パキスタンは、2,640キロメートルにわたってアフガニスタンと国境を接しており、ソ連はそれをコントロールできなかったのである。米国も、2001年10月から2021年8月まで20年間のアフガニスタン介入で同じ轍を踏んだ。

ウクライナも、西側の長い国境をNATO加盟国と接していることから、同様の優位性を持つ。ウクライナ人は、いかなる犠牲を払ってもロシアの侵略に対抗しようという強い決意を示している。問題は、米国とNATO同盟国が、戦闘以外の面でウクライナの抵抗を支援し続けることについて、同程度の決意を示すことができるかどうかである。ロシアへの厳しい経済制裁と併せることで、ウクライナはプーチンにとって、アフガニスタンがソ連の指導者たちにとってそうだったように、血の止まらない傷になるかもしれない。

別の可能性としては、プーチンがウクライナを征服し、そこを足掛かりにソ連時代のサラミ・スライス戦術を駆使して、ソ連の東欧衛星国だった残りの国々の不安定化を狙うことも考えられる。プーチンは、主に二つの事柄に駆り立てられている。ロシアにおける自身の圧倒的な独裁的地位とその維持、そして、ロシアの西側国境の安全保障に関する深い懸念である。これらはまさに、彼以前にも帝政ロシア時代とソ連時代の指導者たちの気を揉ませた要因である。

最後に、もしロシアが勝った場合、あるいはいかなる形であれ戦争が長引いた場合、最も多くを失うのは民間の人々である。アフガニスタンの場合、100万人以上が死亡し、300万人以上が国内避難民となり、500万人以上がパキスタンやイランで国外難民となった。これは甚大な悲劇であり、ウクライナの人々が今直面していることなのである。

アミン・サイカルは、西オーストラリア大学で社会学の非常勤教授を務めている。共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、共編に“Afghanistan and Its Neighbours After the NATO Withdrawal” (2016) がある。

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