【ベオグラードIPS=ヴェズナ・ペリッチ・ジモニッチ】
コソボ問題でロシアがセルビアを擁護し、2国間の政治的友好関係がクローズアップされている。しかし両国民の交流は90年前にさかのぼる。
当時セルビアは「セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国(Kingdom of Serbs, Croats and Slovenes )」として徹底した反共産主義であり、1917年のボルシェビキ革命を経たロシアとは一切交流がなかった。そこへ共産主義を逃れたロシア人が多数流入した。
およそ35,000人のロシア移住者は中流階級の教育を受けた専門家がほとんどで、正教派の宗教、スラブ語系の言語を共有するセルビア社会に適応。現代医学、高級建築、専門技術などで大きく貢献した。1930年代にはベオグラード大学の教授陣の3分の1がロシア人であり、とりわけ医学、農業分野では2分の1を占めた。
しかし、ロシア人を逆風がおそった。第2次世界大戦後に当地が共産主義化すると多くのロシア人がセルビアを離れた。1948年になり指導者チトーがソ連と袂を分かつと、残ったロシア人はさらに窮地に立たされ、さらに流出が進んだ。
セルビア人との婚姻関係で同化が進み、ロシア人として残る者は現在500人に満たない。多くのベオグラード市民にとって、ロシア移民を思い起こさせるものはタシュマイダン公園のロシア正教教会だけである。
セルビア社会に貢献のあったロシア移民の歴史について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩