【ニューヨークIDN=ビク・ボーディ】
釈迦は、どのような問題であれ、それを解決しようとするならば、根底にある原因を取り除く必要があると説いた。釈迦自身はこの原則を、生きていくうえでの苦しみを終わらせることに適用したが、私たちの生活の社会的・経済的次元で直面している難題の多くに対応する際にこの同じ方法を使うことができる。
人種的な不公正であれ、あるいは経済的な格差や気候変動であれ、これらの問題を解決するには、表層の下へと掘っていって、問題の根っこから断たねばならない。
オックスファム・インターナショナルが最近出した報告書『飢餓とコロナの増幅』はそうしたアプローチを世界の飢餓に応用したものだ。新型コロナウィルスのパンデミックにより、飢餓の問題は私たちの視野の端っこに追いやられてしまったが、この報告は、新型コロナ感染による死者よりも多くの人々が飢餓によって日々亡くなっていると指摘している。新型コロナウィルスによる死亡は毎分7人であるが、飢餓による死亡は毎分11人だと推定されている。
新型コロナウィルス感染症の拡大により、飢餓による死亡率は以前より高くなった。同報告書によると、2020年、コロナ禍によってさらに2000万人が極度の食料不足に陥り、飢餓に似た状況下で暮らす人々の数は52万人以上と、従来の6倍に増えた。
報告書は、飢餓による死亡の究極の原因を3つのCに求めている。すなわち、紛争(Conflict)、新型コロナウィルス(COVID-19)、気候危機(Climate crisis)である。紛争は世界の飢餓の最も潜在的な原因となっており、23カ国の約1億人が危機的な食糧不足、さらには飢餓状態に追いやられている。
紛争は農業生産を寸断するだけではなく、食料の入手を不可能にする。消耗戦になると、紛争当事者が敵方を粉砕する武器の一つとして飢餓状態を意図的に作り出すことがよくある。人道支援の供給を阻止したり、地元の市場を爆撃したり、農場を焼き払ったり、家畜を殺したりすることで、人々を飢えさせ、とくに不幸な境遇にある民間人が食料や水を得られないようにする。
世界の飢餓を加速させている第二の主要因である経済的困難は、コロナ禍によってこの2年間悪化してきた。世界各地でロックダウンが実施され、貧困レベルが上がり、飢餓が急加速した。昨年、貧困レベルは16%増え、17カ国の4000万人以上が深刻な飢餓に直面した。食料生産が減少して、世界全体で食料価格が40%近く上昇したが、これはこの10年で最大の上げ幅であった。
その結果、食料があっても、多くの人にとって入手困難なものとなった。女性や移住を強いられた人々、非正規労働者らが最も厳しい境遇に直面している。その一方で、企業のエリート等はコロナ禍を奇貨として未曽有の利益を上げている。2020年、世界で最も裕福な10人の富は4130億ドル増えた。そして特権的な数カ国に富が集中する傾向は今年も続いている。
世界の飢餓の第三の要因は気候危機である。昨年、気候変動に関連した極端な気候現象が、最悪の被害を引き起こした。前記の報告書によれば、暴風雨や洪水、旱魃といった自然災害によって、15カ国の約1600万人が危機的なレベルの飢餓に追いやられた。報告書は、それぞれの災害が人々を一層厳しい貧困と飢餓に追い込んでいると指摘する。悲劇的なことに、気候変動の衝撃を最も被っている国は、化石燃料消費が最も少ない国々だ。
仏教の観点からこの世界の飢餓という問題を見た時、オックスファムの報告書で指摘された3つの原因の背後に、究極的には人間の心に発するより深い原因の根っこがあるのではないかと考えている。紛争と戦争、極端な経済的不平等、ますます深刻化する気候災害の基礎には、貪瞋癡(とんじんち)という「根元的な3つの悪徳」、そしてそこから派生する多くのものを見て取ることができるだろう。
人間が心にもつこうした暗いものが、世界全体で完全に消えてなくなることは望みにくいが、飢餓と貧困という相互に結び付いた問題を解決しようとするならば、少なくとも十分な程度に、それらがまとまって表面化することを防がなくてはならないだろう。
究極的には、世界で飢餓が続くのは、誤った政策のせいであるだけではなく、道徳上の過ちでもある。世界の飢餓を大きく減らすには、賢明な政策だけではなく―もちろんそれもきわめて重要だが―経済的不公正や軍事主義、経済破壊の根底を貫いている私たちの価値観を根本から再編成する必要があるだろう。そうした内なる変革なくしては、政策を変えても影響は限定的なものとなり、それに対抗する者たちによって弱められてしまうだろう。
私は、貧困と飢餓をなくすための取り組みの中で、2つの内なる変革が最も重要であると提起したい。一つは、共感を広めること、すなわち、生きるための厳しい闘いに日々直面しているあらゆる人たちへの連帯感を持つ意志。そしてもう一つが、長い目で見た時の「善」とは何かを知的に把握することである。すなわち、私たちの本当の共通善は狭い意味での経済的指標をはるかに超えるものであること、そして、あらゆる人々が輝く条件を作りだした時に初めて誰もが輝くことができることを認識する英知である。
私たちはすでに、オックスファム報告書で示された世界の飢餓原因のそれぞれに対処する方法を持ち合わせている。私たちに必要なのは、先見の明と共感、十分な規模でそれらを実行し促進することのできる道徳的な勇気である。
共感は不可欠である。そしてそのためには、アイデンティティの感覚を拡大すること、つまり、日々困難に直面している人々を、(統計、あるいは遠くの「他者」といったような)単なる抽象的な存在としてではなく、それぞれ固有の尊厳を備えた人間として尊重することを学ぶ必要があろう。そういった人々を、まるで自分のように考える。そして、生き、楽しみ、自らの社会に貢献したいという基本的な欲求を共有する。私たちは、自分達の命が大事であるのと同じぐらい、彼らの命もまた、彼らにとって、そしてまた彼らを愛する人々にとって大事なものあると考えなければならない。
しかし、共感それ自体では十分ではない。地球に共に生きる種として、私たちの真の長期的な善とは何かを明確に知っておかねばならない。つまり、成功の尺度として利益や株価だけを見ることを越えて、グローバル政策の目的として、急速な経済成長や投資の回収以上の基準を取らねばならない。代わりに私たちは、社会的連帯や地球の持続可能性といった価値を優先しなくてはならない。
そこには、少なくとも、全ての人に対して経済的安全感を提供し、人種やジェンダーの平等を追求し、自然環境を野放図な搾取や商業的利益による破壊から守ることが含まれる。
世界の飢餓への対処法となる政策や事業を支持し続けなければならないのは確かだ。しかし、そうした政策や事業の背後では、自分たちの物の見方や態度に変化が起こっていく必要がある。つまり、人間の善に関する正しい理解、この地球を共有している全ての人々の幸福に対する広いコミットメントである。
自分たちの視野を広げることによって、誰もが輝ける条件を作った時に初めて自分も十分に輝くことができると分かるだろう。広い共感を持って、誰も飢えることのない世界を作る努力をしていきたい。(原文へ)
※著者のビク・ボーディは「仏教グローバル救援」の創始者。ニューヨーク、ジェフリー・ブロックで1944年に生まれる。米国上座部仏教の僧であり、スリランカで仏門に入る。現在、ニューヨークやニュージャージーで活動している。
翻訳=INPS Japan
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