【パミール山脈IPS=ゾルタン・ドゥジジン】
ソ連の崩壊によって、タジキスタン東部は忘れされられた土地になった。ソ連のなかでもっとも貧しい共和国から、世界でもっとも貧しい国のひとつになってしまったのである。独立国家になったことで、国家所有の農場や灌漑施設、鉱山、交通網、エネルギー工場は失われ、人々はふたたび遊牧生活を余儀なくされている。
東部のパミール高原があるゴルノ・バダクサン県は、国の半分の土地を占めているにもかかわらず、人口はわずか3%程度。
パミール高原は、19世紀には「世界の屋根」と呼ばれていた。かつて、シルクロードを利用する商人たちが通過し、のちには、この地をめぐって地政学的な角逐を繰り広げるロシアと英国のスパイたちが通り過ぎていった。
パミール高原を通っている唯一の道路は、1930年代初頭にソ連軍が建設したパミール・ハイウェイである。この道路は現在かなり老朽化が進み、使っているのは、アフガン北部からケシやヘロインを運ぶ業者ぐらい。なかには、かつてのシルクロードを「ケシ・ハイウェイ」と呼ぶ者もいるぐらいだ。
半遊牧民生活をしているアジズさんは語る――「ソ連時代にはいろんな食べ物が店にあったし、燃料も安かったし、バスや道路の状況もよかった」。傍らでは、アジズさんの妻が、ヤクのミルクで作ったバターとヨーグルトをごく粗末な機械を回しながら作っていた。
「スターリンが好きだったってわけじゃない。でも、みんなソ連時代を懐かしんでるんだ。信仰の自由はなかったけど、食べ物と仕事はあった」。
遊牧民の生活が営めるのは夏だけだ。寒い冬には、近隣の街に退避して暮らす。しかし、この間買うことができるのは、法外な値段で売っている輸入のクッキー、パン、チョコレートバー、魚や肉の缶詰(たいていは賞味期限切れ)ぐらいだ。
エネルギー不足も深刻である。そのために、運営できなくなる学校や病院も相次いでいる。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan