【コーンケン(タイ)IPS=マルワーン・マカン・マルカール】
彼女が歌ったステージは、自分のコンサートとは呼べないような場所だった。バンコクで行われたこの
ステージの様子を、そこから450km離れたコーンケンで、人びとはラジオを通じて聞いた。聞いていたのは、このタイ北東部の農村地帯にルーツを持つ「モルラム」( mor lam )というジャンルの歌だ。
歌い手のワニダ・ピンディード(Wanida Pimdeed)が立っていたのは、首都バンコクで広がっている反政府運動の用意したステージであった。抗議活動の参加者たちは、反独裁民主統一戦線(UDD)の支持者たちであり、彼らはその格好から「赤シャツ」と呼ばれている。観客の中には、イサーン(タイ北東部の総称)の出身である人たちが多かった。
「私の歌は全て私のようなイサーンの人々と私たちの苦難について歌ったものです。」と、普段は農作業と家畜の世話をして生計を立てているワニダは語った。
「私は観客とイサーン語で話をします。イサーン語は、草の根の言葉、社会の底辺で暮らす人々の言葉なのです。」と、ワニダは付け加えた。イサーン語はタイ東北部で使われている方言でバンコクで話されているタイ標準語よりはむしろ隣国のラオス語に近い。
しかし、このステージはアピシット政権が赤シャツ隊を蹴散らすことに成功した5月20日をもって終わりを迎えた。13日から20日にかけてのデモ隊と政府部隊との衝突によって、54人の死者が出た。
しかし、タイ東北部のユニークな文化アイデンティティーに詳しい専門家たちは、UDDのデモ隊が、バンコクで東北部出身者に舞台を提供した点に注目している。イサーンの人口は6600万人のタイ人口の実に3分の1を占めている。
オーストラリアのマクワリー大学でタイの大衆文化について研究しているジェイムズ・ミッチェル氏は、「モルラムはソム・タム(パパイヤサラダ)と並んで、イサーンやラオスの人々にとって自分たちのアイデンティティーを最もよく示すものだといって差し支えありません。しかし、バンコクのエリート層は、モルラムを地方の低級な田舎音楽とみなしてきました。従って、「モルラムがバンコクのテレビやラジオで流されることは今でも殆どありません。」と語った。
イサーンに対する意識の覚醒の歴史は、20世紀初頭にさかのぼる。当時発生した農民暴動の中で、イサーンの人々は、タイ(当時はシャム)中央のエリートから蔑まれていた。現在でもその構造は続いている。バンコクのエリートは、UDD支持者を「無知な人々」だとみなしている。そのようなエリートの差別感が、モルラムへの熱狂を生んでいるのである。
タイの政治・大衆文化における「モルラム」の役割について考える。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
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