この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。
【Global Outlook=ラメシュ・タクール】
戦争で原子爆弾が初めて使用されたのは、1945年8月6日の広島である。最後に使用されたのは、その3日後の長崎だった。1980年代には米国とソ連の保有弾頭数がピークに達し、数万発に上ったにもかかわらず、1945年以降80年間、核兵器が再び使われなかった最も単純な理由は、それらが本質的に「使えない」兵器だからである。

現在、核兵器は9か国に拡散しており、さらに多くの国の指導者や科学者がその「魔力」に魅了され続けている。その根底にはいくつもの神話があり、最初の神話は、第二次世界大戦の太平洋戦線で連合国が勝利したのは原爆によるものだというものである。政策立案者、分析家、論評者の多くは、日本が1945年に降伏したのは広島と長崎への原爆投下によるものだと信じ込んできた。
ロバート・ビラード氏は最近、当時の米国の複数の政策立案者や高級軍人が、原爆投下は戦争終結において軍事的価値が疑わしく、極めて非倫理的であると考えていたことを簡潔にまとめている。とはいえ、重要なのは米国人がどう考えたかではなく、日本の政策決定者が何に動機づけられて降伏したかである。別の分析枠組みによって、原爆が日本の降伏の決定的要因ではなかったというビラード氏の見解が強く裏付けられている。原爆投下に加えて、ソ連は8月9日に日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。東京は8月15日に降伏を発表している。
原爆投下と日本の降伏の時系列が近いのは偶然だった可能性が高い。8月初めの時点で、日本の指導部は敗戦を認識していた。無条件降伏の決め手は、ソ連が防備の手薄な北方から参戦し、降伏しなければスターリンのソ連が占領国となるという懸念であり、米国に先に降伏することでそれを回避することだった。この運命的な決断が、日本をどの国が占領するかだけでなく、冷戦終結まで続く戦後太平洋の地政学的地図全体を決定づけた。

第2の神話は、冷戦期の緊張を核兵器が維持したというものである。しかし、冷戦期においてソ連陣営もロシアと北大西洋条約機構(NATO)も互いを攻撃する意図を持っていたが、相手の核兵器によって抑止されたという証拠は存在しない。冷戦期の平和をもたらした要因として、核兵器、西欧統合、西欧の民主化のいずれがより重要だったのかは検討に値する。だが確かなのは、米国が原子力を独占していた1945~49年の間に、ソ連が赤軍の支配下で東欧・中欧に大規模に勢力を拡大したこと、そして戦略的均衡を得た後にソ連が崩壊し東欧から撤退したことである(もっとも、均衡達成が直接の原因ではない)。
冷戦後も、双方の核兵器保有は米国がNATOの国境をロシアの国境まで拡大することを止めず、ロシアが2014年にクリミアを併合し、昨年ウクライナに侵攻することも防げなかった。また、それはNATOによるウクライナ再武装や、ウクライナがロシア本土奥深くを攻撃することも阻止できなかった。
第3の神話は、核抑止が万全とはほど遠いというものである。世界がこれまで核惨事を回避できたのは、賢明な管理と同じくらい「幸運」による部分が大きい。1962年のキューバミサイル危機はその最も顕著な例である。ロシアとNATOの戦争は5つの潜在的核紛争の1つに過ぎず(ただし最も深刻な結果を伴う可能性が高い)、残る4つはすべてインド太平洋地域(米中、印中、朝鮮半島、印パ)である。北大西洋における二国間の枠組みをそのまま多層的なインド太平洋の核関係に当てはめるのは分析的に誤りであり、安定管理の政策面でも危険を伴う。
核による平和を維持するには、抑止と安全装置が常に100%機能しなければならない。だが、核による終末は一度の破綻で起こりうる。抑止の安定は、常に全ての側で理性的な指導者が政権にいることに依存しているが、金正恩、ウラジーミル・プーチン、ドナルド・トランプの時代において、それは心もとない前提条件である。さらに、暴発、人的ミス、システム障害が一度も起きないことが必要だが、それは不可能に近い。実際、誤解や誤算、偶発的事態によって、世界は何度も核戦争寸前まで迫ってきた。
第4の神話は、核兵器が核による脅迫からの必要不可欠な防御であるというものだ。核兵器がなければ得られない強制的交渉力を国家にもたらすという信念も、歴史的証拠に乏しい。核攻撃の明示的または暗黙の脅しによって、非核兵器国が行動を変えた明確な事例は一つもない(ウクライナも含む)。
核兵器は、史上最も無差別かつ非人道的な兵器であるため、非核兵器国に対して使用すれば政治的代償が大きすぎ、補うことは不可能だ。米国民の間で、この兵器使用に対する規範的禁忌が弱まっているとする研究もあるが、核政策に関わる世界の意思決定者の間では依然として強固な禁忌が維持されているとの見方が根強い。
核保有国は、ベトナムやアフガニスタンで非核兵器国に敗北しても、核使用による戦闘エスカレーションは選ばなかった。領土が非核兵器国に侵攻された例もあり、1980年代のフォークランド紛争や最近のウクライナによるロシア・クルスク州侵攻がそれにあたる。北朝鮮の挑発に対して最大の抑止要因となっているのは、核兵器ではなく、ソウルを含む韓国の人口密集地を攻撃できる強力な通常戦力と、中国の反応への懸念である。
第5の神話は、核抑止の絶対的効力を神聖視するものである。相互確証破壊が成り立つ二次攻撃能力を持つ核保有国同士では、核兵器は防衛手段として使用できず、相互破滅をもたらすだけである。実際、核・中堅・小国のいかなる組み合わせにおいても、抑止は必ずしも成立しない。核兵器保有は、相手国による核使用やその脅威のハードルを上げるかもしれないが、完全に排除することはできない。核保有国イスラエルが、イランの核兵器取得を存亡の脅威とみなすのはそのためだ。逆に、核抑止の論理を信奉する者であれば、中東の平和と安定のためにイランの核武装を支持するはずである。

結論として、核兵器の極端な破壊力は軍事的・政治的有用性には直結しない。むしろそれは、他の兵器とは質的に異なる政治的・道義的性格を持ち、事実上「使えない」ものにしている。核兵器使用を容認不可能で非道徳的、かつ状況によっては違法とするのは抑止ではなく規範であり、この規範的障壁は2017年の核兵器禁止条約(TPNW)によってさらに強化されている。(原文へ)
INPS Japan
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