「核兵器の保有は、国際紛争の発生を防ぐどころか、紛争の危険度を高めます。核戦力を警戒態勢に置いても安全は得られず、逆に事故の可能性が高まります。核抑止の原則を標榜しても、核の拡散に対応することはできず、兵器を保持したいという欲求が高まるだけです。」―潘基文国連事務総長
【ベルリン/ウィーンIDN=ザンテ・ホール】
約1000人の人々がウィーンの荘厳なホーフブルク宮殿の会議室に集って、「核兵器の人道的影響」という、筆舌に尽くし難く想像を絶するテーマについて丸2日間に及ぶ議論を行った。国際連合の枠外で国が主催して行われた一連の国際会議の3回目であり、最初の2回はノルウェーとメキシコで開催された。
会議への参加国数は回を追うごとに増えてきており(127ヵ国→146ヵ国→158ヵ国)、このことは、核兵器がいかに容認しがたいものであるかについて意識を高め、核軍縮に向けた圧力を強める意味において会議参加が効果的であることの証拠だと考えられている。
一貫して参加を拒否しているロシアとフランスにとっては困ったことに、今回の会議には158か国が代表を送り、米国と英国が今回初めて参加した。会議の最後にオーストリアが、核兵器の禁止と廃絶につながるような「法的ギャップ」を埋める努力をすると誓約し、他国にもそれに参加するよう促した。
オーストリア外務省はこの会議のために最大限の努力を払った。開会セッションにおいて若きセバスチャン・クルツ外相(28歳)は、グローバルな核軍縮を具体的に進展させる新たな推進力を生み出すよう呼びかけた。
国連事務総長やローマ教皇ら影響力のある人びとからのメッセージが、会議の雰囲気を決定付けた。フランシスコ法王は核兵器の被害者らに対して、「彼らが私たちと文明を滅ぼす核兵器の危険性を世界に自覚させ、人類をより深い愛と協力、友愛に導く声となるように。」と励ました。
数多くの著名人がオーストリア外相に書簡を送り、核兵器によるリスクは過小評価されており削減されねばならないとの考えを明らかにした。赤十字国際委員会の会長は、最新の研究によって、「核爆発が起きれば適切な支援や救援は不可能」との既に出されている結論が改めて確認された、と述べた。
サーロー節子氏は、被爆者としての喪失と苦難の体験を語り、会場全体が彼女と悲しみを共にした。
Aは原子(atom)、Bは爆弾(bomb)、Cはガン(cancer)、Dは死(death)
開会セッションでは会議の主要なテーマが紹介され、その後のセッションで、核爆発の影響や核実験、核爆発のリスク、そのシナリオについて詳しく議論された。
科学的なプレゼンテーションの合間には、「風下の人々」(核実験の被害者)による証言があった。米国ユタ州セントジョージの団体「ヒール」(HEAL)から参加した車椅子のミシェル・トーマス氏は、(ネバダ核実験場で50年代から60年代にかけて実施された)100回以上の地上核実験による放射性物質の中でいかに生き、自分たちのコミュニティーが癌、甲状腺障害、白血病等の疾病にいかに侵されてきたかについて熱く語った。生まれた年の核実験で母親の胎内で被爆し現在は4種類の癌を患っているトーマス氏だが、幼少期は「自分たちに原爆被害と死をもたらしているのが冷戦時の敵ではなく、自国の政府であることが理解できず」、核実験に抗議していた母親の行動を恥ずかしく思っていたことを打ち明けた。今では母親の遺志を継いで核実験の被害と政府の責任を追及しているトーマス氏だが、人々から「政府をそれほど厳しく批判して怖くはないのか?」と尋ねられるという。そんな時彼女は、「すでに私は殺されていますから」と答えることにしているという。
女性ら3人による土地や生活、健康の破壊に関する被爆証言に続いて行われた質疑応答の時間で、米国のアダム・シャインマン大統領特別代表(核不拡散問題担当)は重大な判断ミスを犯した。議長が各国の代表に対して、翌日までは発言しないようにと明確に念を押していたにもかかわらず、米国代表は、あえて発言に踏み切ったのだ。その際米国代表は、核実験の被害者に謝罪しなかったばかりか、核軍縮への推進力を生み出すために米国が独自に設定している「やるべき仕事(to do list)」を今後変更するつもりはないと会場の全参加者に対してあえて明言したのである。
あまりに残酷で容認できない核兵器
会議の2日目に行われた国際人道法に関するパネルでは、核兵器の使用に関して明確に禁止する条約はないものの、既存の国際人道法や環境法には違反するとの結論が出された。オスロ大学の林伸生氏による発表は、倫理的・道徳的次元まで議論を掘り下げ、拷問と同じく(12月9日に米国上院報告書が発表された際に誰もが思ったように)、核兵器は「あまりに残酷で容認できない」ものであると主張するものだった。「自らの生存のために自身を人質に差し出さなくてはならないと人類が考えていたような時代を私たちはもはや生きているわけではないのだから、今こそこの不必要な苦難から自らを解き放つ好機です。」と林氏は語った。
政治的な意見表明の時間は、100か国の代表が、各々の主張や結論を発表したため、休憩なし、時には通訳なしでも実に5時間を要した。この退屈に時間が経過しがちな雰囲気は、時折市民社会の発表によって破られた。なかでもジュネーブを拠点にした核軍縮イニシアチブ(通称「野火」)の「主席煽動官」を自称しているリチャード・レナン氏の発表が最たるもので、非核兵器国に対して、「いつまでも泣き言をいうのは止めて、自ら核兵器禁止に踏み出すべきです。」と訴えかけた。
いわゆる「イタチ国家」(米国の核の「傘」の下にある国々:原文「weasel states」のweaselには「ずるい人」という意味もある:IPSJ)の代表らは、休憩のためにロビーに出てくると、巨大なイタチ(=米国代表)に迎えられた。レナン氏は、核兵器に「保有されている(憑りつかれている)」核兵器保有国をアルコール依存症の患者に例え、非核保有国に対してそうした習慣を支持しないよう訴えた。また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)オーストリア支部のナジャ・シュミット代表は、ICANの声明を発表し、その中で核兵器禁止につながるような、「誰に対しても開かれ、誰によっても妨害されない」プロセスの開始を呼びかけた。
人道的なアプローチは、核兵器使用がもたらす影響を国家安全保障上の利益よりも議論の中心に置くものであり、一連の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、この目的を達成するうえで概して効果的であった。
しかし、ウクライナは現在の(ロシアとの)紛争に囚われており、箱の中から飛び出すことができなかった。その代りにやったことは、ロシアに対する口を極めた言葉の攻撃であった。
英国は、核兵器が人間に及ぼす影響は1968年には既に明らかになっていることであり、核兵器の禁止や廃絶のスケジュールを設定することは戦略的な安定性を損ねるとさえ語り、「必要な限り」核ミサイルを維持し続ける意向を明らかにした。
「オーストリアの誓約」が、この会議の主要な成果文書である。これが、核兵器の禁止と廃絶につながるようなプロセスを開始する用意を各国が示すためのツールになる。
これ以上のことが2015年春の核不拡散条約(NPT)運用検討会議の前に達成できたとは思えない。しかし、今回のNPT運用検討会議で何の成果もなければ(成果があることを予想している人は少ないが)、オーストリアは、核兵器保有国の参加があろうとなかろうと、「オーストリアの誓約」を通じて固められた支持を利用する形で、[核兵器を禁止する]条約の交渉を開始することになるかもしれない。広島・長崎への原爆投下から70年を迎える2015年は、核兵器禁止の交渉を開始するのに適当な年と言えるかもしれない。(原文へ)
※ザンテ・ホールは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部の軍縮キャンペーン担当。
翻訳=IPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
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