米国が近い将来の核実験の実施を検討していると囁かれている。米上院に提出された法案を見れば、それが単なる口先だけの脅しでないことが見て取れる。最近の修正案の文言には「必要ならば核実験の実施に要する時間を短縮することに関連した事業を行う」となっている。こうした脅しは、この種の動きが政治的、技術的に引き起こす困難について、まったく理解を欠いているとしか言いようがない。
核実験が必要と見なされる可能性があるとすれば、備蓄核兵器に解決すべき問題があるか、新システムの開発を迫られている場合だろう。そうでなければ、敵を脅し、核拡散を勧奨し、軍備競争を再び煽る政治的な威嚇になってしまう。
包括的核実験禁止条約(CTBT)は未だに発効していない。米国は署名したが未批准のままだ。他にも批准を済ませていない国々があり、CTBTは長らく無視された状態にある。しかし、1990年代中盤以来、核兵器5大国は自発的に核実験停止を続けている。CTBTを実際に発効させるよりは、この状況を無期限に続けることが望ましいと考えているかのようだ。
他の4核保有国(英国・フランス・ロシア・中国)は、緩い意味で非公式の核実験停止を守っている。ただ、世界で唯一、北朝鮮だけは21世紀に入ってから6回の核実験を行っている。
実際の核実験は、単なる「テスト」ではない。それは、極めて複雑な核の実験なのだ。単に大爆発を起こして優越性を主張するための政治的なショーでないのであれば、準備に数年の期間と数百万ドルの費用がかかる。核実験とは、科学の名においてなされるものだ。
科学的実験を嫌悪しているトランプ政権の姿勢を考慮すると、同政権が核実験に関心を示していることは皮肉と言えよう。核実験を実施すればするほど問題が起きることは歴史が証明している。複雑な核実験を行うには、数百人の熟練労働者と技術者、それに、安全保障や広報いった部門からの支援が必要だ。
もし米国がそうした措置を取ることを決めるならば、まずは、何の実験をするかを決めなくてはならない。米国には、2つの優秀な核兵器研究所がある。それぞれが、米国の核備蓄の半分ずつを担当しており、実験をするとすれば、いずれかの研究所にある「永続的貯蔵弾頭」から核爆発装置を造ることになるだろう。
備蓄核兵器に何か問題があるとは報告されていない。だとすれば、核実験の再開は、2つの研究所と米政府との間で競合する利害関心の問題を解決し、理由をこじつけるものとなるだろう。米エネルギー省が、実験の遂行も含め備蓄核兵器の維持に完全な責任を負っている事実は、見過ごされやすい。
国防総省は軍務遂行のために核兵器の管理責任を負っているに過ぎない。2つの省庁と米議会は、実験をするとすればそれは何の実験なのかを明確にする必要が出てくる。エネルギー省ではなく国防総省に1000万ドルの予算を追加するという上院の動きは、この基本的な組織構造に関する無知をさらけだしている。
永続的貯蔵弾頭の大半の爆発力は150キロトンを超える。これは新たな問題を引き起こす。米国は、地下核実験における最大核出力を150キロトンに制限する地下核実験制限条約(TTBT)を締結しているからだ。
米国の備蓄核兵器の大多数は、もし100%の爆発力で実験しようとするならば、150キロトンを超えてしまう。非公式の合意から離脱するのとは異なり、これは批准した条約に実際に違反してしまうことを意味する。
核実験の再開に備えることが、すでに米国の優先事項になっている。エネルギー省は、1993年の大統領決定指令(PPD)15号によって核実験を実施する能力を維持することが義務づけられている。毎年数千万ドルが、かつてネバダ核実験場と呼ばれた「ネバダ国家安全保障施設」を運用する業者に支払われている。
私は1990年代末、この核実験場を運営する管理チームの一員であり、24~36ヶ月以内に核実験を行う能力を維持することが任務であった。例えば、物理的な準備として、砂漠における実験用坑道の設置、核装置を地下で接続する機器とケーブルの設置、国立研究所が核装置を設置し爆発させるのを支援するための考えうる限りあらゆる作業が挙げられる。
当時最も重大なステップの1つは、厳密に封印された実験用坑道深くに核装置を据えることで、放射能漏れを防ぐようにすることであった。この点に関する技術については相当の経験があるにもかかわらず、国立研究所は放射能漏れゼロの達成に常に成功してきたわけではない。この問題点は、冷戦期の思考であれば、必要なコストとして容認されただろうが、2020年代には認められないであろう。
1970年の地下核実験「ベインベリー」は実験用坑道を吹き飛ばし、放射性物質を含んだ大量の塵を噴出させた。ネバダ核実験場から発生したこの放射能雲は、共和党の地盤である東方の地域に流れていった。風下に住む有権者らが、1960年代や1970年代と同じように、2020年代においても放射性降下物を引き受けるモルモットの地位に甘んじるだろうか。
トランプ政権は、数億ドル規模の巨大プロジェクトを決まった予算とスケジュールの範囲に収めることができないという、米エネルギー省のこれまでの経歴を考慮に入れていない。
核実験を行う日が発表されたその日から、遅延とコスト増は始まる。もしエネルギー省が期限を守ろうとして手順を飛ばすなら、大惨事が起きかねない。でなければ、新政権が2024年に誕生するまでに実験が再開されることはありそうもない。
1997年当時、経験豊かな科学者・技術者・地質学者のチームをもってしても、24~36ヶ月の準備期間で核実験を実施することは楽観的過ぎると感じていた。ましてや当時と異なり、21世紀の今なら核実験に対する市民(とりわけ、核実験が1963年に地下に移行する以前にネバダ実験場で行われた地上実験で多くの犠牲者を出したユタ州の「風下住民」達)から起こるであろう抗議も考慮に入れなければならない。
ネバダ実験場の入口には隔離された2つの留置所がある。反核実験デモを防ぐ目的で1990年代に設置されたものだ。21世紀の今、これらの施設は大幅に拡張し、警備員も増やす必要があるだろう。
実験は多国間協力も促進しうる。米国は、英国がオーストラリアの核実験場を失ってから、同国のための実験も行ってきた。フランスとの緊密な協力もある。イスラエルの科学者に、同国の装置を実験させるか、あるいは米国の実験への参加を認める可能性もあるが、これは今日の米国の外交政策とも整合している。
思慮を欠いたトランプ政権には別の方策もある。同政権は1963年の部分的核実験禁止条約に意図的に違反するかもしれない。同条約は、大気圏内・宇宙空間及び水中における核爆発を禁じている。
地下核実験制限条約やCTBTの非公式な遵守に違反することを厭わない米政権にとって、大気圏内核実験を行うという選択も些細な無分別に過ぎない。もし核実験を実施する目的が純粋に政治的なものならば、カメラの前で分かりやすく爆発を起こして見せることはプラスになるだろう。飛行機から核爆弾を投下するか、太平洋の真ん中でミサイル実験か爆発実験を行えば、非常に目立つ。環境への被害は機密扱いされるだろうが、こうした核実験は世界のマスコミに取り上げられるだろう。
実験がどのような形で行われたとしても、それは他国に攻撃力を印象付けて威嚇するように仕組まれた政治的な発言に他ならない。もし実験内容が、本当の意味で、兵器が抱える深刻な問題を検証したり新兵器を開発したりするためのものならば、政治家らは、科学者らが既に知っていることを知らなくてはならない。
実験と試験は時として、予期した結果を生まない場合がある。仮に実際の核実験を手掛けたことがないアマチュアによる実験をオブザーバーに観察させて、何も起こらなかったらどうなるか。あるいは、爆発力が予想を超えたために、隣接する州やより広範な地域に放射性降下物が拡散する事態になったらどのような反応が起こるか想像してほしい。
トランプ大統領には他にも決まりの悪い難題が待ち受けている。核実験を実施すると大統領が発表した途端に、実際にそれを実行するまでには数年かかることに気づくことになるのだ。しかもこの決定は同時に、ロシアや中国に対しても、同じように核実験を行う自由を与えることになる。民主主義や環境という制約に縛られない両国の場合、科学者に対して予定を繰り上げて実験を行うよう要求できるだろう。プーチン大統領や習国家主席がこうした核実験競争でトランプ大統領を打ち負かす事態を想像してほしい。
トランプ政権は、その任期を通じて、軍備管理協定を積極的に破棄してきた。中距離核戦力(INF)全廃条約や新戦略兵器削減条約(新START)、領空開放(オープンスカイ)条約からの脱退には一つの共通点がある。短期的には、見た目に何の変化もないということだ。査察や委員会の会合、協力的なやり取りの終了が、戦争のリスクの拡大と予算の縮小とあいまっても、一般市民の目には見えない。市民が気づくような形で近い将来に何かが変わるということはない。
しかし、自発的な核実験停止から離脱するとなると、そうはいかない。事態は大きく展開することになるだろう。実際に核実験を行うには、数億ドルの予算を確保し、支出しなくてはならない。また、多くの科学者や技術者を新たに雇い、28年間も実行されてこなかった複雑な実験を行うことになる。
一方、政治的な効果を持たせるには、実験について広く宣伝がなされねばならない。そうでなければ意味がない。しかし核実験を強行すれば、大規模な抗議活動やデモ、活動家による核実験場への侵入、逮捕を誘発する反対運動が目に見えて高まるだろう。この場合、市民の目から遠く離れたところで、旧来の義務からそっと離脱するのとはわけが違う。核実験の実施は、極めて高くつき、大きな注目を浴びる一方で世論の分断を招くこととなる。
核実験の実行は極めて複雑なプロセスであり、実行までには紆余曲折がある。この力技を唱える政治家らは、自分たちがどんな世界に足を踏み込もうとしているのかを理解していない。外交の世界と包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会では、核実験に反対する議論が多く起こされることになるだろう。
レーガン政権とブッシュ政権が英知と抑制を見せて以来、世界をより安全にしてきた軍備管理協定を毀損するという点から、核実験には反対論が噴出することだろう。トランプ政権は、科学的な利点が実質ゼロであるにも関わらず、はっきりと目に見える失敗の可能性が表面下に潜んでいるような下り坂を滑り落ちようとしている。
もちろん、核実験の再開は、とりわけ5つの核兵器国の思慮深く経験豊富な外交官たちが30年近くにわたって瓶の中に封じ込めてきた「魔神」を解き放つことになる。核実験の再開は、非常に高くつく行為であり、「核の平和」を維持する観点からは不毛な試みであり、使用可能な核兵器が戦場に戻ってきたことを明確に示すものとなる。軍備管理にとっての悲しい日がまたやってくることになる。(原文へ)
※著者のロバート・ケリーは、米エネルギー省勤務時代、国際原子力機関(IAEA)に派遣され、1992年と2001年の2度にわたってイラクの核査察を陣頭指揮した。現在はウィーン在住。20カ国以上で任務を果たしてきた。
INPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
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