【東京IDN=石田尊昭】
毎年春になると、ワシントンDCのポトマック河畔に咲き誇る桜並木が話題になる。この桜は、今からちょうど100年前、当時東京市長を務めていた尾崎行雄(号は咢堂。議会制民主主義の父)が東京市参事会に諮り、市から日本国民の「日米友好の証」として公式に寄贈したものである。といっても、尾崎一人の「想い」で実現したわけではない。その背景には、当時の日米両国におけるさまざまな人たちの強い想いと尽力があった。その一端を紹介したい。
1909年、ヘレン・タフト米大統領夫人は、ポトマック河畔の景観整備を検討していたが、それを絶好の機会と捉え、夫人に日本の桜の植樹を勧めた人がいた。米国ジャーナリストで女性として初めてナショナルジオグラフィック協会の役員にもなったエリザ・シドモア女史である。1884年に来日したシドモア女史は、桜を愛でる日本人の心と文化に深く感銘を受けるとともに、桜の美しさに魅了された。帰国後も、その美しさを忘れることができず、なんとかして日本の桜をワシントンに植樹したいと考えるようになった。その後24年間にわたって、植樹のための募金活動や、当局への働きかけをしていた女史にとって、今回の整備計画は逃すことのできない千載一遇のチャンスだった。
また、米農務省にいた植物学者デヴィッド・フェアチャイルド博士も、種苗の研究調査団の一人として1902年に来日して以来、日本の桜の美しさに心を惹かれた一人である。その想いは強く、米国の土地で日本の桜が生育可能かどうかを研究するためメリーランド州チェビー・チェイスの自邸に若木を植栽するほどだった。博士は、親交の深い昆虫学者チャールス・マーラット博士とともに友人たちを招いて観桜会を開催したが、友人の招待客の中にシドモア女史がいた。女史と両博士はその場で意気投合。両博士の賛同と協力を得たシドモア女史は早速、大統領夫人に桜植樹を提案しに行った。実は大統領夫人も1905年に来日し桜の美しさに触れていたことから、この提案を快く受け入れ、ポトマック河畔への桜植樹計画が動き出した。
もう一人は、ニューヨークに在住していた著名な化学者で実業家の高峰譲吉博士(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者。在留日本人会初代会長)である。対日感情の改善と日米親善に長年取り組んでいた博士は、自身も桜並木をつくる計画を持っており、ニューヨーク市に陳情し続けていた。
タフト大統領夫人の意向を知った博士は、今回のポトマック河畔への桜植樹計画に対し、日本から桜2千本を寄贈することを提案し、さらに、その費用は自分を含む在留日本人の有力者たちで分かち合うことまで提案した。それを聞いた水野幸吉・ニューヨーク総領事は高峰博士の発想を高く評価するとともに、桜は東京市の名義で寄贈されるべきとの提案を行った。そしてタフト大統領は、日本からの桜2000本寄贈の提案を受け入れた。
その後、水野総領事や高平小五郎駐米大使らによる調整の末、桜は日本の首都・東京市から公式に寄贈すべきということになり、外務省から東京市に打診があった。尾崎東京市長は以前から、日露戦争(1904~05)の際に好意的だったアメリカへの感謝の気持ちを何らかの形で表したいと考えていたため、これを好機と捉え快諾した。そして1909年8月、東京市会は、桜苗木2千本をワシントンDCへ寄贈することを決定した。
しかし、翌年1月にワシントンDCに到着した桜は、検疫官によって害虫が発見されたため、ハワード・ウィリアム・タフト大統領は、これらの桜の木すべてを焼却処分にせざるを得なかった。それを知った尾崎市長は、健全かつ優良な苗木を育成し、再び贈ることを市参事会に諮り、同年4月に決定した。そして1912年3月、害虫も病気も無い桜の苗木3千本がワシントンDCに到着し、無事ポトマック河畔に植樹された。ちなみにその苗木は、当時の専門家が驚くほど優良で、完璧な出来栄えだったという。
また、桜寄贈から3年後の1915年には、その返礼として米国からハナミズキの苗40本が贈られ、東京市内の公園や植物園に植栽された。日本国民への返礼の花にハナミズキを選定したメンバーの一人に、上述のフェアチャイルド博士もいた。彼は、米国の子供達が日本の桜を愛でるとき、日本の子供達にも米国のハナミズキを観て喜んでほしい、そうすることで日米友好の絆を深めてほしいという強い想いを持っていた。
ポトマック桜について、もう一つ忘れてはならないことがある。1938年、ポトマックに隣接するタイダル池に米国建国の父の一人トーマス・ジェファーソン第3代大統領の記念堂が建設される際、358本の桜の木を切り倒すことが計画された。しかし伐採の当日、ワシントンDCの婦人団体が、自分の体を木に縛り付け抵抗し、270本の桜の命を守り抜いた。
ヘレン・タフト大統領夫人、エリザ・シドモア女史、デヴィッド・フェアチャイルド博士、チャールス・マーラット博士、高峰譲吉博士、尾崎行雄東京市長、そしてワシントンの婦人団体…。もちろん、このほかにも、多くの有名無名の人たちの努力があったことは言うまでもない。特に、二度目の桜寄贈に向け、国の威信をかけて健全な苗の培養に取り組んだ専門家や職人、地域の人々の苦労は計り知れない。ポトマック桜は、そうした先人たちの想いと尽力によって実現し、守られてきたものである。
その桜のもとで、今年もまた「全米桜祭り(National Cherry Blossom Festival)」が3月20日から4月27日の5週間にわたって開催されている。祭りでは、昨年から今年にかけ、さまざまなプログラムを通じて昨年3月11日に発生した東日本大震災の被災者支援の取り組みが行なわれている。特に今年は、被災地・福島の小中学生による太鼓演奏やパレード参加などが予定されている。100年の時を経て、今また両国民による新たな「想い」が、日米友好の「絆」を深めているように思える。(原文へ)
IPS/IDN-InDepth News
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