地域長崎からウィーンへ:核兵器のない未来を目指す若者たち

長崎からウィーンへ:核兵器のない未来を目指す若者たち

【ウィーンIDN=髙橋光宣】

2026年NPT再検討会議第1回準備委員会が、7月31日から8月11日まで、オーストリアのウィーン国際センターで開催されました。国連でこのような国際会議に出席するのは初めてでした。命がけで声を上げてきた多くの長崎の被爆者の思いと、核兵器のない世界の実現に向けて、たゆまぬ努力を続けてきた多くの人々の願いを胸に、私はウィーンに到着しました。

The Preparatory Committee for the 2026 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (NPT) took place from 31 July to 11 August at the United Nations in Vienna. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of IDN-INPS.
The Preparatory Committee for the 2026 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (NPT) took place from 31 July to 11 August at the United Nations in Vienna. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of IDN-INPS.

過去2回のNPT再検討会議では、締約国間の意見の相違から最終文書を採択できなかったため、今回の準備委員会は、現在の議論の流れを変えるための重要な節目となることが期待されていました。しかし、2週間にわたる熱心な議論の末、議長総括を国連の公式文書として採択する合意が得られないまま、第1回準備委員会は終了しました。

私は、グローバル・ヒバクシャや若者の声を、もっと世界に広めるべきだと感じました。

準備委員会2日目、私はカザフスタンのセメイ市(旧:セミパラチンスク)の出身で、核実験被害者3世であるドミトリー・ヴェセロフ氏と出会いました。カザフスタンがソビエト連邦(ソ連)の一部だった頃、セミパラチンスク核実験場では、450回以上の核実験が行われ、150万人が影響を受けています。ヴェセロフ氏と会った際、私は固く握手を交わしました。彼は私の手を自分の肩に置き、骨が欠けていること、生まれてくる子供に影響が及ぶことを心配して、父親になることを諦めたことなどを話してくださいました。

核実験の被害者と会って話をしたのは初めてでした。大きな苦しみを強いられながらも、核兵器廃絶に向けて自らの体験を国際社会に伝え続けようとする、彼の決意に心を動かされました。私は彼との出会いを通して、核兵器の開発・使用によって被害を受けた「グローバル・ヒバクシャ」の経験や思いを、私が住む長崎の地域から、もっと広く伝えていかなければならないという強い責任を感じました。

From L to R: Mitsunobu Takahashi, Dmitriy Vesselov, a third-generation victim of nuclear testing in Semey City, and Alimzhan Akhmetov, the Founder-Director of the Center for International Security and Policy. Credit: SGI.

8月7日、SGIは、「グローバルユースとの対話:被爆体験の継承」と題した関連行事を、青年に焦点を当てている他団体とともに開催。はじめに、参加者は被爆者である小倉桂子さんの英語による証言を視聴。(※小倉さんの被爆証言映像は、こちらよりご覧になれます。)

次に、地域や背景の異なる若者たちとのパネルディスカッションに参加させていただきました。ディスカッションでは、特に若い世代の間で、核兵器問題に対する認識を高めるにはどうすれば良いかについて意見を交わしました。他地域の若者たちが、核兵器の廃絶への責任感を元に、様々工夫して取り組んでいることが、とても印象的でした。

広島・長崎の被爆者の平均年齢が85歳を越え、直接話を聞く機会が減ってきています。その意味で、被爆の実相や被爆者の証言を次の世代に伝えていくことが難しくなっています。

Group photo of speakers at the Side Event. Photo Credit: SGI
Group photo of speakers at the Side Event. Photo Credit: SGI

私が所属する創価学会長崎平和委員会では、1974年から2020年までに計10冊の被爆証言集を発行し、計314名の証言を収録。また、87名の被爆証言映像の撮影も行いました。これらの証言を集めるために、中学生、高校生などの若い世代が中心となり、インタビューを行いました。当初、被爆者の方々は、自分が体験した惨禍を思い出したくないと、証言することをためらっていました。しかし、若者たちの真摯で真剣な態度に、やがて被爆者の方々は、自分の体験を語るようになっていったのです。この取り組みは、若い世代への平和教育の重要な機会となりました。

ほかにも、長崎創価学会青年部として、”ピースウォーク “という教育活動を行っています。この活動は、子どもたちが親と一緒に被爆遺構や平和公園、長崎原爆資料館を訪れる機会を提供することを目的としています。また、大学生の有志が集まり、人類のゴミである核兵器をなくすため、まずは身近なゴミを無くそうと、長崎平和公園周辺の清掃活動も実施しています。

私の魂を揺さぶった被爆証言のひとつは、長崎で被爆された橋本トヨミさんのご証言です。1982年6月、橋本さんは、国連総会第2回軍縮特別総会に出席するためニューヨークを訪れました。その際、核兵器開発に携わった科学者たちと出会い、マサチューセッツ工科大学(MIT)のバーナード・T・フェルド教授に、アメリカ人を恨んでいるのかと問われ、橋本さんは、次のように答えました。 「それはそれは怨みました。こんなに苦しいことはないというくらい苦しみました。でも今は、どこの国の人にも、あなたたちアメリカ人にも、あんな思いはさせたくないと思って行動しとります」と。こうした被爆者の方達の思いに触れ、私も核兵器の廃絶を訴えるようになりました。

今日の若者たちは、広島と長崎の被爆者の高齢化のため、直接、被爆体験を聴くことができる最後の世代です。現在でも、核兵器の開発と使用によって引き起こされた、永続的な影響に苦しんでいる被害者がいます。私は世界中の若者と連帯し、(広島・長崎の)被爆者やグローバル・ヒバクシャの精神を受け継ぎ、継承していくために、周囲の人々との対話、長崎の若者たちとの取り組みを続けていきたいと思います。(原文へ

2026年NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議第1回準備委員会の関連行事で、長崎県の髙橋光宣氏が講演した。タイトルは、「グローバルユースとの対話:被爆体験の継承」。 この関連行事は、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、核時代平和財団(NAPF)、ニュークリア・ユリカ、リバース・ザ・トレンド、創価学会インタナショナル(SGI)、Youth for TPNWが共催した。

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