INPS Japan/ IPS UN Bureau Report|視点|ガザは無法のジャングルと化すのか?(ティサラネー・グナセカラ政治評論家)

|視点|ガザは無法のジャングルと化すのか?(ティサラネー・グナセカラ政治評論家)

【コロンボIPS=ティサラネー・グナセカラ】

2013年にスリランカを訪問したナビ・ピレイ国連人権高等弁務官(当時)は、戦死者を追悼するために花輪を捧げたいと考えていた。「私は(どこの国であれ)訪問先の国で犠牲者を追悼したいと考えています。国軍兵士かタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)に関わらず、すべての犠牲者や家族を悼みたいのです。」とピレイ高等弁務官は説明した。

High Commissioner Navy Pillay at the 26th session of the Human Rights Council.
High Commissioner Navy Pillay at the 26th session of the Human Rights Council.

しかし、マヒンダ・ラジャパクサ政権(当時)はこれを拒否し、ピレイ高等弁務官に対する嘘のキャンペーンを開始した。「情報筋によれば、ピレイは当初、LTTEのテロリスト指導者ヴェルピライ・プラバカランに献花したいという希望を伝えていた。」とデイリーニュースが報じた。

ラジャパクサ兄弟は、LTTEを壊滅させた2009年の最後の攻勢は民間人の犠牲者を伴わない人道的なものであったとしている。政権側にとって民間人の犠牲を認めることは、LTTE側の論理に巻き込まれることに等しかった。従って「悼む」ことは犯罪であり、国軍を批判することは裏切り行為であり、この内戦の根本原因に言及することはLTTEの残虐行為を正当化することになりかねないという懸念があった。この「敵か味方か」の論理では、ピレイ女史がLTTEを「殺人組織」と非難したところで、政権側にとって何の意味もなさなかった。

ピレイ高等弁務官の要請は、国連機関や人道支援組織と同様、国際人道法(IHL)に基づいていた。IHLは、非戦闘員に対する攻撃の禁止や不必要な苦しみを与えることの禁止(比例性などの原則)を含む、正当な戦争遂行(jus in bello)の概念を前提としている。この内戦を主導したラジャパクサ兄弟はIHLの真逆を実践した。

ラジャン・フール教授が記しているように、「2006年以降、スリランカ政府は87年以降には考えられなかったようなことを始めた。激しい砲撃とタミル人住民の強制移住は、軍事戦略に不可欠なものとなった……(ヒマル-2009年2月)。最終的な攻撃を開始する前に、ラジャパクサ兄弟はすべての国連機関、国際NGO、メディアに戦闘区域からの退去を命じた。

Soundus, a young girl being treated in hospital for injuries from Israeli shelling of Gaza (August 2014). Credit: Khaled Alashqar/IPS
Soundus, a young girl being treated in hospital for injuries from Israeli shelling of Gaza (August 2014). Credit: Khaled Alashqar/IPS

2014年のガザ侵攻では、『エルサレム・ポスト』紙のベンヤミン・ネタニヤフ首相支持派のコラムニストが、イスラエルの首相に対し、スリランカの「断固とした軍事力行使」の前例に学び、ハマスに「ふさわしい大打撃」を与えるよう求めた。

今日、イスラエルはガザで全面戦争を展開している。この戦争では、これまでに3000人以上の子どもたちが殺害されている(15分に1人の割合で子どもが殺害されている)。セーブ・ザ・チルドレンによると、ガザで3週間に殺害された子どもの数は、過去4年間の世界的な紛争で殺害された子どもの数(2022年2985人、21年2515人、20年2674人)を上回っている。オックスファムは、イスラエルが飢餓を戦争の武器として使用していると非難している。国連は、ガザの飢餓と絶望が社会の崩壊につながると警告している。

イスラエルが安心するために、あるいは西側諸国がもう十分だと納得するために、パレスチナの子どもたちは何人死ななければならないのだろうか。ハマスによるイスラエル市民への攻撃は野蛮な行為だった。ガザの全住民に対するイスラエルの報復戦争も、それに劣らず野蛮である。国際刑事裁判所のカリム・カーン主任検察官が述べたように、「イスラエルでユダヤ人として生まれた子どもであろうと、ガザでキリスト教徒やイスラム教徒として生まれた子どもであろうと、彼らは子どもである。私たちは人道的な感覚を持つべきであり、彼らに対して正しく接する法的、倫理的、道徳的責任を負うべきなのだ。」

しかしハマスとその支持者にとってイスラエルの子どもたちが子どもでないように、イスラエルとその西側支援者にとって、パレスチナの子どもたちは子どもではないのだ。現実を見れば、ハマスもイスラエルも戦争犯罪を犯している。そして、国際人道法の守護者を自任する西側諸国は、イスラエルによる戦争犯罪を許容しているのだ。ガーディアン紙は、「アンソニー・ブリンケン米国務長官が、イスラエルのガザ空爆に関する『アルジャジーラの報道内容を穏便にするよう』カタール政府に要請するほど落ちぶれてた。」と報じている。

「正当な戦争遂行」の放棄がもたらす影響は、世界的かつ長期的なものになるだろう。世界は、戦争中であれば何でも許された時代に逆戻りしかねない。国連や国際人道組織はまったく無意味な存在になりかねない。法制度の信頼性は、その公正な適用にかかっている。法律が選択的に適用されれば、その正当性は失われる。ある法律は味方のために、別の法律は敵のために適用されるようになれば、世の中は弱肉強食の無法地帯(ジャングル)と化してしまう。

イスラエルが国際人道法(IHL)に違反することを黙認しつつ実際にそれを手助けすることによって、米国と西側諸国は完全な無法と不正の世界への扉を開いているのだ。彼らはテロリズムを終わらせるのではなく、より陰惨な形でテロリズムを産み出そうとしている。

第二次世界大戦中、連合国はホロコーストを阻止するために何もしなかった。軍事的価値のないドレスデンは爆撃されたが、アウシュビッツへの鉄道路線は爆撃されなかった。この文明の失敗から、「二度と繰り返すな(ネバー・アゲイン)」という叫びが生まれた。しかし、連邦議会議事堂近くの反戦デモに参加したユダヤ人参加者が言ったように、「ネバー・アゲインとは、誰にとっても二度と繰り返さないという意味だ。

世界はイスラエルとハマス、ロシアとウクライナに対して、国際人道法の公平な適用を必要としている。それができなければ、人類は、ほとんどの人間の生活が孤独で、厄介で、残忍だった時代に逆戻りすることになる。

地獄の連合

Map of the conflict area around the Gaza strip. Public Domain.
Map of the conflict area around the Gaza strip. Public Domain.

「コンセプション」とは、パレスチナ人を分断し弱体化させるためにハマスを利用するという、ネタニヤフ首相の数十年来の政策につけられた名称だ。2019年3月、リクード党のクネセット(国会)議員を前に、ハマスに好意を寄せカタールに資金提供を許可する根拠について、「パレスチナ国家に反対する者は誰でも、ガザへの資金提供を承認しなければならない。なぜなら、ヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治政府とガザのハマスを区別し続けることは、パレスチナ国家の樹立を妨げることになるからだ。」と説明した。

ハマスとは、ハラカト・アル・ムカワマ・アル・イスラミヤ(イスラム抵抗運動)の頭文字をとったもので、イスラエルの生存権を認めず、パレスチナの全土にイスラムのカリフ制を敷きたいと考えている。このような組織は、神権的で非多元主義的な大イスラエルというイスラエル右派自身の計画にとって、最高の口実となるだろう。

ヤイール・ゴラン退役将軍が指摘したように、ネタニヤフ首相は「パレスチナ自治政府が弱体である限り、ヨルダン川西岸地区を併合することが最善であるという全体的な認識を演出できる状況を作り出した。われわれは協力できるはずの組織を弱体化させ、ハマスの力を強めたのだ。」(『ニューヨーカー』誌2023年10月28日号)。これに基づき、武器がガザ国境から持ち去られ、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植者に渡されたと伝えられている。

ネタニヤフ首相の戦争がアラブ世界をハマスの温床に変えるのと同様に彼の構想は、ハマスの10月7日の攻撃につながる間接的な要因となった。パレスチナの哲学者サリ・ヌッセイベが言うように、「ハマスが異質な存在だと考えるのは間違いだ。他の要因によって大きくなったり小さくなったりする。ハマスを動かしている連中を排除することはできても、完全に排除することはできない。パレスチナとイスラエルの紛争がある限り、ハマスという存在はひとつの考え方、思想として残るだろう。」(同誌)。

オスロ合意がうまくいっていれば、独立した民主的なパレスチナ国家が存在していれば、ハマスが疎外されていたかもしれない。オスロ合意の大失敗と、その結果生じた平和的解決策への幻滅(西岸地区におけるファタハの無能で腐敗したやり方は言うまでもない)は、皮肉にもハマスへの支持を高める要因となった。ハマスの創設者であるシャイク・アフマド・ヤシンがかつて言ったように、「抑圧が強まると、人々は神を探し始める。」

イスラエル人入植者とイスラエル軍による低強度の暴力を用いて、ヨルダン川西岸を断片的に民族浄化する計画は、欧米の無関心を背景に続いている。人権弁護士ラジャ・シェハデが書いているように、オリーブ摘みのような日常的な活動でさえ、パレスチナ人のオリーブ摘み取りを攻撃し、彼らの土地に到達するのを妨げ、時には収穫物を盗むユダヤ人入植者によって政治化されている。

Israeli West Bank barrier near Mount Zion in 2009/ By Kyle Taylor from London, 84 Countries - Israel - Jerusalem - Mount Zion - 03, CC BY 2.0
Israeli West Bank barrier near Mount Zion in 2009/ By Kyle Taylor from London, 84 Countries – Israel – Jerusalem – Mount Zion – 03, CC BY 2.0

ヨルダン川西岸のデイル・イスティヤ村では、オリーブの収穫を終えて帰宅した人たちが、車のフロントガラスのワイパーの下に「ナクバ大祭を待て、さもなくば強制立ち退きだ」と書かれた通知を見つけたと、イスラエルのコラムニスト、ハガー・シェザフが10月27日付のハアレツ紙に寄稿している。

大イスラエルの追求は、パレスチナのキリスト教徒にとっても脅威である。ユダヤ入植者の中で拡大主義を信奉するものたちは、キリスト教徒がほとんど、あるいはまったく居場所のないユダヤ人国家の建設を望んでいる。2012年、過激派の入植者たちはラトルンのトラピスト修道院を襲撃し、ドアに火をつけ、壁にイエスは猿であるなどの反キリスト教的な落書きをした。エルサレムの十字架修道院も襲撃されている。

2012年にも、イスラエルの政治家マイケル・ベン・アリがクネセトで新約聖書を破り、忌まわしい書物だと非難した後、ゴミ箱に捨てた。もう一人の議員は聖書を燃やすことを望んだ。どちらも公式には承認されなかった。

聖地カストディアンのピエルバティスタ・ピザバラ神父が指摘したように、「イスラエル政府は、一部の超正統派ユダヤ人学校において、公衆の面前で出会った聖職者を罵倒することが教義上の義務であるとしている問題に対処していない。」

スリランカでも、政治僧、過激派政治家、退役軍人らが、民族的・宗教的緊張を煽るキャンペーンを激化させている。クルンディ寺院を巡る対立が政府によって無力化された今、これらの雑多な仏教徒右派勢力は、(イスラム教徒やヒンズー教徒が多い)バティカロアに焦点を移している。彼らは仏像さえも悪用し、紛争の武器や領土所有の目印として使っている。ドラマの端役で出演していたオマルペ・ソビタ・セローは、「バティカロアのような場所に仏像を置くことができないのなら、別の国が誕生したのだろうか。」と述べている。

ディウルパタナ・テレドラマの主役で悪名高いアンピティエ・スマナラタナ・テロは、明確な警告を発した。「国は憤り目覚めつつある……彼らはラニル・ウィクラマシンハ大統領やシャナキャム・ラサマンニカム議員、センティル・トンダマン知事に応える準備ができている。誰が大統領を選出したのか、タミル人がこのスリランカで伝統的な財産を持っているなど知ったことではない…これらの財産は2500年以上の歴史がありシンハラ人の伝統的な財産なのだ…。」

マヒンダ・ラジャパクサが大統領になり、タミル戦争が終結したとき、こうした過激勢力は権利を取り戻した……彼らはマイトリパラ・シリセナが大統領になったときに権利を失い、ゴタバヤ・ラジャパクサが大統領になったときに再び権利を取り戻し、ゴタバヤが追放されたときに再び権利を失った。ラサマンニカムのような政治家がこう叫ぶのは、ラニル・ウィクレマシンゲが政権を握ってからだ……」。政府が目をそらし、野党がこの問題を避けている間、こうした右派の僧侶や信徒たちは平然と過激な行動をしている。こうしたなか、穏健な人々は、過激な両勢力の板挟みになっている。

理性的な抵抗

 “Hands up! Don’t shoot!” signs displayed at Ferguson protests Photo: Jamelle Bouie, CC BY 2.0 Wikimedia Commons.

2014年、米国のファーガソンで警官が丸腰の10代の若者マイケル・ブラウンを射殺したとき、大規模な抗議デモが発生した。まるで戦場のように武装した警官に直面し、当時一部のデモ参加者は自分たちとガザの人々を比較した。多くのパレスチナ人は、実践的なアドバイスをツイートすることでこれに応えた(例えば、ヨルダン川西岸のマリアム・バルグーティは、「催涙ガスを浴びているときは、常に風に向かって走るように/冷静さを保つように、痛みは過ぎ去る、目をこすらないで」とツイートした)。アメリカのソーシャルメディアユーザーがファーガソンとガザを比較することに異議を唱えると、別のユーザーが「誰もファーガソンとガザを比較しようとはしていないと思う; 重要なのは連帯と正義だ。」とツイートした。

肝要なのは、ガザをはじめとするあらゆるパレスチナ人、人質、愛する人を失ったイスラエル人、イスラエルの爆撃で妻、娘、息子を殺されたパレスチナ人ジャーナリスト、ワエル・アル・ダフドゥー、ハマスに殺害されたドイツ系イスラエル人のタトゥー・アーティスト、シャニ・ルークの母親…立場に関わらずすべての犠牲者との連帯と正義だ。パレスチナ人との連帯が道徳的、政治的な力に成長するためには、ハマスに代表される暴力的で神権的なパラダイムから脱却する必要がある。その拠り所はイスラムでもアラブでもなく、グローバルなものであるべきだ。

問題なのは、暴力的抵抗をする権利ではなく、その有効性である。アラブやイスラムの指導者たちは、イスラエルを非難することはあっても、同国との国交を停止することはおろか、たとえガザ全土が廃墟と化しパレスチナ人が瓦礫の下で殲滅されたとしても、イスラエルに対して戦争を仕掛けることさえしないだろう。現状を脱する唯一の道は、ベトナムから南アフリカまで、かつての民族解放運動が実践してきたように、(非暴力的な手段で)国際社会において道徳的優位を獲得することだ。

イスラエルへの抵抗が、ハマスとその同じく忌むべき暴力によって支配されているのであれば、イスラエルの政策と行動に嫌悪感を示すことはできない。大イスラエル化計画を支持することなくイスラエルの生存権を支持することが可能であるように、野蛮の深みにはまることなくイスラエルの占領と拡張に抵抗することは可能である。その根本的に穏健な道を見つけるために、パレスチナがなすべきことは、自らの歴史を振り返ることだ。

ヨルダンと聖地のルーテル教会の名誉司教であるパレスチナ人の聖職者ムニブ・ユナンは先月、「私たちはずっとユダヤ人とともに生きてきた。ユダヤ人は欧州で迫害されたが、パレスチナでは迫害されなかった。反ユダヤ主義は欧州で作り上げられたものだ。」と指摘した。反ユダヤ主義を容認することは、イスラエルによる殺人的な攻撃を前にしても、道徳的に間違っており、戦略的にも逆効果である。スリランカにおけるタミル人の闘争が過激主義に屈していなかったら、LTTEがシンハラ人やイスラム教徒の市民やタミル人批評家を標的にしなかったら、完全な敗北を喫することはなかっただろう。

10月7日のテロが起きている間、ハマスはヨルダン川西岸のパレスチナ人に対し、イスラエルの入植者たちに対して暴力的に立ち上がるよう呼びかけた。ヨルダン川西岸のパレスチナ人は、その致命的な呼びかけに耳を傾けることを拒否した。イスラエル国外、そしてイスラエル国内においても、一部のユダヤ人はガザでの停戦を求める世界的な声の高まりに賛同している。

先週、「平和のためのユダヤの声」NYのメンバーである数百人のユダヤ人を中心としたデモ隊が、グランド・セントラル駅のメインホールを占拠し、ガザ空爆に抗議し、「パレスチナ人は自由になる」と叫んだ。若いデモ参加者の一人が語ったこの言葉は、迫りくる暴力的な無法のジャングルから抜け出す道を垣間見せてくれる: 死者を悼め。そして生者のために必死に戦え。原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

ティサラネー・グナセカラはコロンボを拠点とするスリランカの政治評論家。

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