ニュース視点・論点|視点|コフィ・アナン―価値と理想のために犠牲を払った人物(ロベルト・サビオINPS評議員、Other News代表)

|視点|コフィ・アナン―価値と理想のために犠牲を払った人物(ロベルト・サビオINPS評議員、Other News代表)

【ローマIDN=ロベルト・サビオ

この原稿の執筆にとりかかった段階で既にコフィ・アナン元国連事務総長の死から1カ月が経過していた。既に多くのことが書かれているので、今さらアナン氏の平和と国際協力への取り組みについて想起する必要はないだろう。むしろそれよりも、故人をより重大な文脈、つまり、大国がいかにして、国連事務総長の人格を損ない続け、国連システムの独立性を保とうとした人々にいかにして高い犠牲を払わせようとしたか、という文脈に置いて考察した方が意味があるだろう。

まずは、国連が、米国の強力な後押しを得て誕生した組織であることを忘れてはならない。第二次世界大戦に勝利した米国と連合国(米国の41万6800人の兵士と1700人の民間人の死者に対して、ソ連は2000万人以上の兵士と民間人を失った)は、あらたな世界的紛争の再来を避けることを願った。米国は、廃墟と化した世界の平和を通じて、自身の経済的・軍事的覇権の維持を可能とするような多国間システムの構築をめざした。国連予算の25%を負担することを約束し、その本部を国内に置くことを引き受け、前例のない程度の主権譲渡も認めた。

Official Portrait of President Reagan 1981/ Public Domain
Official Portrait of President Reagan 1981/ Public Domain

こうした国連に対する特別扱いに対して、初めて痛撃を加えたのがロナルド・レーガン米大統領であった。レーガン大統領は、1981年の就任まもなくしてメキシコ・カンクンで開催された南北サミットにおいて、国連は米国の国益を拘束するものだとの見方を示した。米国には他国と同様に1票しかなく、(しばしば途上国による)多数決によって米国の政策とはかけ離れた道をたどらねばならないことは受け容れがたい、と述べたのである。それ以降の米国の政策は、国連の政治的な重みを変えようとするものだった。そのために、米国の政治的な重みを考慮に入れる「マネージャー」として国連事務総長を常に確保しようとしてきた。

本性的にも、そして意識的にも対立を避ける物静かなペルーの外交官ハビエル・ペレス・デ・クエヤル氏クルト・ヴァルトハイム氏(カンクンの南北サミット時の国連事務総長)を引き継いでから、米国は国連から手を引き始めた。しかしこの流れには、保守穏健派のジョージH.W.ブッシュ大統領の登場で歯止めがかかった。ブッシュ大統領は、米国の力を発揮する場所として国連をより前向きに受け止めたのである。

それからベルリンの壁が崩壊し、国連総会が社会主義ブロックによって濫用されることがなくなった。デ・クエヤル氏の後を継いだのはエジプトの外交官ブトロス・ブトロス=ガリ氏だった。米国はガリ氏を支持した。エジプトは伝統的に米国の同盟国と見なされていたからだ。

Boutros Boutros Ghali at Naela Chohan's art exhibition for the 2002 International Women's Day at UNESCO in Paris./ By Naelachohanboutrosghali, Public Domain
Boutros Boutros Ghali at Naela Chohan’s art exhibition for the 2002 International Women’s Day at UNESCO in Paris./ By Naelachohanboutrosghali, Public Domain

ガリ氏はその後、国連事務総長として驚くほど独自の立場を取るようになる。国連を再起動する広範なキャンペーンが始まった。気候から人口、人権、ジェンダー平等に到る幅広いトピックで世界会議が開催され、コペンハーゲンでは社会開発サミットが開かれた。これらの会議では強力な公約が発せられた。ガリ事務総長は、「平和へのアジェンダ」「開発へのアジェンダ」を発表し、米国が対応できないようなその他多くの取り組みを行った。結果として、1996年に米国が拒否権を発動したことでガリ氏は2期目に就任できなかった(しかし安保理の他の14カ国は賛成票を投じた。ガリは1期しか任務を果たせなかった唯一の国連事務総長となった)。

ビル・クリントン氏が米大統領に就任したとき、彼の方向性はそれほどはっきりしていなかった。彼は明らかに国際派であり、ルワンダ内戦に関して、米外交政策の利益にならない平和維持活動を米国は禁ずると公式に語っていた。彼はまた、貯蓄銀行を投機銀行と隔てていた1933年のグラス=スティーガル法を廃止した大統領でもあった。その結果として投機資本が膨張し、市民の貯蓄が資本を拡大するために利用され、金融資本が経済と政治を凌駕することとなった。

国連大使としてガリ事務総長と闘った実績もあって国務長官に就任したマデレーン・オルブライト氏を擁するクリントン政権は、ガリ氏への拒否権発動によって、ひとつのシグナルを送ることを意図していた。つまり米国は、米政府の声を無視する国連事務総長は追い出す用意がある、というメッセージだ。オルブライト国務長官の提案は受け入れられ、尊敬を集めていたガーナの高官コフィ・アナン氏が、安保理によってガリ氏の後継に指名された。

アナン氏の偉大さが前面に現れたのはこの時である。米国とつながっているとみなされていた男が、国連をより透明で効率的なものにするために、行政改革に取り組むのである。彼は、2001年に国連とともにノーベル平和賞を受賞するが、その理由は「よりよく組織され平和的な世界」の実現に努力したということであった。最高位における彼の名声と権威を確証づけるものだった。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

しかし、2001年、ジョージ・W・ブッシュが米大統領に選出された。彼の目標は、変化する世界において米国の優勢を保つことであり、それはレーガン精神を多分に受け継いだものであった。アナン事務総長をよく知るものであれば誰もが、当時ブッシュ大統領がアナンの抵抗にも関わらず、いかに国連事務総長の無条件の支持を望んでいたかを聞にしただろう。

ブッシュ大統領は、職務開始にあたり米国の警告を無視してかつてクウェートを侵略したイラクのサダム・フセイン大統領の排除を決定した。2003年、イラクが大量破壊兵器を保有しているとの十分な証拠がなかったために国連安保理からの支持が得られず(米政権に対するフランスの拒否感は強いものだった)、ブッシュ大統領は、英国のトニー・ブレア首相の支持を得て「有志連合」なるものを編み出した。米国はこうして、国連からの授権がないままにイラクに侵攻したが、その帰結は、私たちが既に知っているとおりである。

アナン事務総長は侵略を非難し、2004年、これは違法行為であると断じた。これに対する米国の報復は、素早かった。

2005年、ある支援事業が立ち上げられた。国連が、イラクの民間人に食料と医薬品を供給するために、同国の石油を売却するという枠組みだった。メディア王のルパート・マードック氏からの圧力の下、米国の右派はひとつのスキャンダルを捏造した。国連とアナン氏(彼の息子を通じて)をターゲットとし、国連の信頼性を傷をつけようとするものであった。米連邦準備制度理事会のポール・ボルカー元理事長を座長とする調査委員会は、米英の企業やサダム・フセイン本人が違法な取引によって利益を得たと結論づけたが、これは役に立たなかった。そのころまでには、国連のイメージが修復不可能なまでに傷つけられていたからだ。

アナン事務総長は比類なき自尊心をもって2006年に職を辞し、平和と国際協力のための行動を起こした。アラブ連盟と国連が2012年2月にシリア内戦の調停をアナン氏に依頼したのは、彼の人格を象徴する出来事であった。彼がその職を辞したのは5カ月後のことだった。紛争が国際化したが誰も和平に関心を持っていない、というのがその理由だった。

2007年から2016年までは韓国の外交官・潘基文が事務総長職にあった。「もっとも無害な人物を選べ」というのが米代表部に対するブッシュ大統領からの指示だったという。2009年、ブッシュ政権の後を、米国外交の基本方針として国際協調と緊張緩和を信奉するオバマ政権が引き継いだが、潘基文時代の国連はほとんど何の遺産も残すことができなかった。

今日、国連はある種の「スーパー赤十字」状態にある。経済や金融のガバナンスに影響を与えることはしないが、難民や教育、保健、農業、漁業といった分野の政治には関与する、という意味である。グローバル化の二つの巨大なエンジンである貿易と金融は、人類のための討論とコンセンサスの場であることを止めた国連の埒外にある。今では、ダボスの世界経済フォーラムには、国連総会よりも多くの参加者がある。

国連危機の背後には多くの要因があるが、多国間主義から米国が徐々に離脱しつつあることが、最大の問題だ。「アメリカ・ファースト」だけではなく「アメリカ・アローン」(アメリカ単独)の政策をめざすドナルド・トランプ大統領の下で、米国はもはや国連を必要としていない。ロナルド・レーガン氏、ジョージ.W.ブッシュ氏と並んで、ドナルド・トランプ氏は、国連にとって第3の「おくりびと」だ。

現在の事務総長アントニオ・グテーレス(ポルトガル出身)は最高位での政治的キャリアを持ち、同国の首相も務めた人物である。彼は、国連総会によって選出され(これは前例のないことだった)、安保理に押し付けられたのである。国連から米国を脱退させるというトランプ大統領の公約に縛られて、グテーレス事務総長は、これ以上の国連の衰退につながるような立場を回避せざるを得なかった。

多国間主義の危機とナショナリズムへの回帰は国際的な現象だ。米国だけではなく、中国やインド、日本、フィリピン、ミャンマー、タイ、そしてイタリアを含む一部の欧州諸国が、古い罠にふたたびはまりつつある。神の名において、国民の名において、そしていまや「カネ」の名において、ナショナリズムや外国人排斥、ポピュリズムを動員して欧州のプロジェクトから脱退しようというのである。

「流される」ことをよしとする今の時代にあえて抵抗しようとする人々の議論に市民を引き寄せるために、政治的利益にこだわらず、自らの立場に未練を見せることもなく、価値と理想に何よりも重きを置くコフィ・アナン氏のような人物がこの世からいなくなりつつあると言ってしまうのは、果たして妥当だろうか。(原文へ

Surrounded by family, former Secretary-General Kofi Annan’s widow Nane pays final respects to her late husband in Accra, Ghana on 13 September 2018. Credit: UN Photo/Ben Malor.
Surrounded by family, former Secretary-General Kofi Annan’s widow Nane pays final respects to her late husband in Accra, Ghana on 13 September 2018. Credit: UN Photo/Ben Malor.

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