【オスロIPS=ヘルジュ・ルラス】
英国のウェールズで9月4日から5日にかけて開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議において、ロシアからの直接的脅威とNATOがみなすものを抑止する新たな軍事的措置が決められた。その数日前、バラク・オバマ大統領はエストニアでバルト3国の大統領と会談し、「NATO加盟国1国への攻撃は全体への攻撃とみなす。決して孤立させることはない」と有事の際にバルト3国を守る決意を述べた。
2014年初頭以来、ウラジミール・プーチン大統領は、西側首脳が控えるよう事前に警告していた行動をことごとく実行に移している。ロシアは、ウクライナ南部のクリミア自治共和国を占領したうえで併合した。そしてウクライナ東部の親ロシア派分離主義者をけしかけ、実質的な支援を与えている。さらに、ロシア軍の兵士や機材が、ウクライナ軍とますます公然と衝突するようになっている。
しかし、西側のロシアへの警告はウクライナ関連に止まってはいなかった。すでに数か月前の段階で、NATOの主要人物やメディアが、ウクライナの事態を(ウクライナと同じくロシアと直接国境を接し国内にロシア系住民を抱える)バルト3国やポーランドの状況と直接結び付けて論じ始めていた。NATOは、非加盟国であるウクライナに対するロシアの攻勢に対して、憶測のみに基づいて、ロシアの脅威を受けているとNATOが主張している加盟国の領域に軍事的資源を移動させるという対抗策をとったのである。
しかしNATO首脳会議参加者の中で、自己充足的預言をNATOが発することになるかもしれないと警告した者はいただろうか? あるいは、ロシアとエストニア、ラトビア、リトアニア間の緊張が、ロシアの脅威を誇張した結果として強まるかもしれないと考察するような先見の明を持つ者はいなかったのだろうか?民族主義が高まっている今日の世界においては、明確な理由なくして、敵対的な意図を想定すべきではない。
西側諸国の指導者の中には、自らを、ひいてはNATOを、平和や人権、民主主義を求める理想的な勢力だと見なしている者がいることは疑いの余地がない。しかし現実には、NATO諸国、すなわち西側諸国は、通常戦力・核戦力双方の意味において、世界で最も強力な軍事力を備えている。
NATOはこれまで他の核武装国と直接対峙したことがなく、自らの政治軍事的な拡大傾向を温存したまま今日に至っている。しかし、ロシアが相手となると、西側の自己に関する誤った認識が、破滅的な総力戦を引き起こしかねない。
東西冷戦が終結して以来、西側諸国は、東欧の旧ソ連圏のかなりの部分を公式にその影響下に組込んできた(右下の「NATOの東への拡大図」を参照:IPSJ)。この間、覇権主義的な考えを持つようになった西側指導者は、こうしたNATOの東への拡大を、もはや過去の遺物となったロシアとは関係のない、当然のこととみなしてきた。
NATO拡大が90年代に始まった当時、人類の未来とは、自由と、民主主義、そして自由市場に基礎を置く「西側諸国が理想とする未来」を意味するものだった。その一方で、「勢力圏」などという考え方は、「反動的」で、ロシアのプーチン政権のような権威主義的な勢力に代表されるような、「他者の特質」とみなされた。彼らの認識によると、「西側の影響」とは、「勢力圏」の概念には当てはまらない別のカテゴリーであり、天賦のものとまでは言えないにしても、当然の帰結だと考えられたのである。
ロシアでは、西側が「プロパガンダ」とみなす報道をとおして、西側諸国に対するある先入観(=バイアス)が明確に広がりつつある。一方西側では、ロシアにおいてほどメディアに直接指示を与える必要性はないものの、ある種の文化的な教化を通じてロシアに対するバイアスがかけられている。つまりそれは「西側は、明らかに正しい価値の擁護者であり、因果関係などというものはなく、悪はどこからともなく湧いて出るもの。」という示唆である。つまり西側メディアによれば、ロシアの全ては悪であり、欺瞞的であり、信頼に値しない存在として描かれる。一方、ロシアにおいては、このことが否定しがたい被害妄想をロシア人の心理に増幅させているのである。
西側の指導者は、宗教的寛容の雰囲気の中で、(急進的な)イスラム教の中心的な教義を理解しようと懸命に努める一方で、プーチン氏を認知的不協和を生じさせてきた「容認できる」ブギーマン(気になる恐ろしい人物)と見なしてきた。一方、西側の「リベラル派」と言われる人々は、少なくともひとつの文化的な産物を、正当な憎しみの対象として例外化してきた。それが、ロシアの政治文化であり、その土壌から生み出される独裁者のイメージである。
問題は、ロシアとNATOの指導者は、文学者の集まりで慣れない拳を交わして病的に殴り合う酩酊詩人とは明らかに異なるという点だ。彼らはそのように行動しているかもしれないが、実際には、(核兵器で)人類の文明全てを瞬時にして消滅させることができる、現実に組織化された政治支配体制の「顔」となっている人々なのである。
西側の指導者は、間違いなく自らの権力が徐々に弱まってきていると感じていることだろう。今日の世界では、遠く離れた国で自国の国益のために、新たな国家建設を企図するなどということは、もはやできなくなっている。全能、或いはパラダイムの終焉は、明らかにトラウマを残すものであり、冷静に現実を受け入れることは難しいものだ。しかも、西側の政治力の衰退は、軍事力そのものの弱体化を伴ったものではない。
この状況は、NATOをして(リチャード・ニクソン政権がベトナム戦争末期に外交方針として採用したとされる)「狂人理論」に走らせる誘因となっている。つまり、挑発されれば、自ら被る損害を顧みず、圧倒的な反撃を行うことを厭わないと(=合理的な判断に対して狂ったような行動をとる)と敵に思い込ませることで、敵の譲歩を引き出そうとする外交理論である。
しかしウクライナに関して言えば、西側よりもロシアのほうが国益にとって遥かに大きなリスクを抱えている。従って、これまでの動きが示している通り、ロシアが既得権益を手放すことや、自国や同盟勢力(ウクライナの親ロシア派)の敗北を許容することは決してありえない。バルト諸国についても、米国やその他のほとんどのNATO諸国よりも、ロシアにとってより多くの利害がかかっている。
というのも、ポスト冷戦期においては、ロシアはナショナリズム以上のイデオロギーを保持していないからだ。ロシアのもっとも野心的な領土的主張は、たとえ反対に遭わなかったとしても、ロシア民族国家の地理的な外縁でとどまっている。
だからといって、ロシアのナショナリズムが、ウクライナを越えて(ロシア系住民を抱える他の国々における)不安定要素にはならないということではない。確かに紛争の種は潜んでいる。ロシア系人口を一部に抱えるバルト諸国は今やNATOに加盟しており、NATOは「狂人理論」が制度化した一形態である。従って、NATOとロシア双方が相手側の反応を見誤る危険性は、十分にある。
現在進行中の駆け引きがいかに危険なものであるか西側が理解しているとする意見は少ない。NATOとロシアは、ともに核武装した勢力/国家である。かつて東西冷戦期には、双方の分別ある指導者が等しく理解していた暗黙のルールがあった。つまり、核保有国同士は、決して互いに戦争をしてはならず、仮に紛争が勃発したとしても双方の代理国間の紛争に止めておかなければならないというものである。今日双方の指導者は、こうした(冷戦期の)知恵を再認識しなければならない。
NATOは、ロシアとの対立を収め、ウクライナに関して妥協し、米国が熱心に進めようとしている政策に従わない方策を見出すことに集中すべきだ。米国は、紛争をエスカレートさせ、NATOブロックを通じて防衛予算を増大させ、バルト諸国により多くの兵を送り出そうとしている。たとえNATOが宥和政策を打ち出したとしても、そのスタート地点が愚かな拡大主義だったとすれば、美徳にも悪徳にもなりうる。
既に、軍事的手段が、NATO・ロシア間の紛争において機能し始めている。そしてさらなる軍事介入を求める声さえある。ロシアをこれ以上望ましくない方向―民族的拡張主義―に押しやってしまう前に、西側の政治家は、双方の軍事力において核兵器が最終手段であることを想起しておかねばならない。
幸運なことに、プーチン大統領は相当分別があるようで、西側指導者の多くに対してより理性的な対応を見せている。従って、プーチン大統領とアドルフ・ヒトラーナチスドイツ総統を無責任に比較することは多くの点において誤っている。それは、ヒトラー総統が原爆を保有していなかったということだけが特別な理由ではない。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.
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