フィンランドの環境活動家兼科学者で、小説が数か国語に翻訳されているTähtivaeltaja賞受賞作家のリスト・イソマキ氏はこのコラムで、世界中に現存する核施設に備わっている、実際には想像を超える破壊能力について述べ、核技術を元のパンドラの箱に戻すという不可能に挑戦すべきだと論じている。
【ヘルシンキIPS=リスト・イソマキ】
冷戦たけなわの頃、世界全体の核兵器の爆発能力は、広島型爆弾の300万発分にも相当した。米国だけでも広島型の160万発分の破壊能力を保有していた。
それ以来、こうした兵器の多くが解体され、数千発の核爆弾に含まれていたウランは原子炉用燃料に転換された。
将来の歴史家たちは、20世紀の諸政府が数兆ドルにのぼる莫大な費用を投じてガス遠心分離器で天然ウランを兵器級ウランにまでいかにして濃縮し、そしてその兵器級ウランを希釈して再びいかにして天然ウランに戻したかについて、あまり積極的にコメントしようとはしないだろう。
このような傾向から、多くの人びとや諸政府は、核軍縮はもはや重要な問題ではなくなったと考えるようになってしまった。
確かに核戦争が勃発する可能性は、1962年のキューバミサイル危機の時や、冷戦期のその他の身の毛もよだつような危険な瞬間よりも、現在では相当に低くなっている。
にもかかわらず、核戦争の危険が永遠に過ぎ去ったと考えるのは重大な誤りである。
私たちはまだ悪の魔人(ジニー=核兵器)を瓶の中に戻すことに成功したわけではない。米国とロシアが依然として保有している核戦力は、広島型原爆8万発相当の威力を有しているとみられている。これは、冷戦期の軍拡競争の最中と比べると約40分の1に過ぎないが、それでも世界を破壊するのに十分すぎる量である。
世界の核戦備蓄量は以前より小さくなっているが、(破棄されずに)残っている核兵器は以前よりも命中精度が高く、総じて小型化されている。これによって、いつの日か核兵器が使用されるハードルが下がることになるかもしれない。
さらに、あらゆる種類の核兵器の破壊能力を私たちはひどく過小評価してきたようだ。
広島でも長崎でも、核爆弾は大規模な火災を引き起こし、その半径内に入った人間を全て焼き殺した。しかし、米軍の科学者は、火災による影響は予測不能とみなし、50年間にわたって爆風の影響ばかりを分析してきた。
これは、スタンフォード大学国際安全保障協力センターのリン・エデン博士が『全世界が火の手に(Whole World on Fire):組織、知識、核兵器による破壊』という重要な書物の中で明晰に述べているところだ。
2002年、パキスタンとインドとの間に核戦争が勃発する可能性があると危惧した米国は、両国に対して、南アジアの核戦争で1200万人が死亡する可能性があると警告した。
しかし核爆発の爆風のみを考慮に入れて出されたこの「1200万」という数字は、ばかげたほど低いものだ。近年の研究によれば、核爆発によって引き起こされる火災の半径は、爆風の影響を受ける半径よりも2~5倍長いとされている。従って実際には、爆風の影響を受ける地帯よりも火災によって破壊される地帯は4~25倍広いということになる。
第二次世界大戦時の広島や長崎、ハンブルク、ドレスデンでの大火災は、極めて強力な上昇気流と、火の周縁から中心に向けたハリケーン並みの速度の強風(火災旋風)を生み出した。
近代都市における核爆発は、都市がアスファルトやプラスチック、油、ガソリン、気体の形で大量の炭化水素を含むため、より激しい大火災を引き起こす。
ある研究によれば、ニューヨークのマンハッタンで小さな広島型の核爆発があった場合に起きる火災でも、毎時600キロメートルという、火に向かって吹く強力なスーパーハリケーン並みの風が発生する。ほとんどの高層ビルは、毎時230~250キロの風に耐えられるようにしか設計されていない。
最悪のシナリオは、地上から遠く離れた高高度で核爆発が起きるケースである。米国議会の設置したいわゆる「電磁パルス(EMP)攻撃による米国への脅威評価委員会」(EMP委員会)によれば、米本土の上空160キロメートルでメガトン級の核兵器を爆発させた場合、1年以内に米人口の7~9割が死亡する可能性があるという。
核爆発は常にきわめて強力な電磁パルス、より正確に言うと3種の異なった電磁パルスを発生させる。これらは、見通せる範囲内にあるすべての防護されていない電子機器を透過する。160キロメートルの高度からだと、米本土のあらゆるものが見通せる範囲にある。あらゆるものが電気で作動しており、実際には電磁パルスから防護されているものなどない。
言い換えれば、一発の核兵器が、とりわけ、医療や水供給、下水処理施設、農業生産、医薬品・ワクチン・肥料を製造する工場・研究所を破壊しつくす可能性があるということである。
欧州も同様に(核爆発が引き起こす電磁パルスに)脆弱であり、インドや中国のようなその他多くの国々も、旧来からの工業先進国が既にそうであるように「脆弱な国」になるべく専心している最中である。
EMP委員会によれば、電子機器を電磁パルスから防護するために強化してもその価格は3~10%上昇するだけであり、電器製品のうち主要な10%を防護するだけで、組織化された社会の主要機能を保護するのに十分だという。しかし、実際には、どの国においても、このような対策はとられていない。
私たちは核軍縮のことを忘れるわけにはいかない。なぜなら、それは依然として最も重要なことであるかもしれないからだ。
核戦力をさらに削減し、原子力発電へのよりよい代替案を生み出すために、比較的平穏な時代をできるだけ効率的に利用するのがおそらく賢明というものだろう。さもなくば、没落する大国と勃興する大国との間での緊張がいつか再び新たな核軍拡競争を生み、壊滅的な結果を生むことになるかもしれない。
原子炉の拡散もリスクを増している。原子炉を建設する能力を獲得した国はいずれも、核兵器を製造する能力を獲得したことになる。
原子炉は元々、核兵器のための原料をうまく作るために開発されたものだったが、あらゆる原子炉は、毎秒ごとにプルトニウムを製造している。
核爆弾に使用される兵器級ウランは、原子力発電所用の燃料を製造するのと同じガス遠心分離器によって濃縮されている。
第四世代原子炉、すなわち増殖炉を私たちが製造し始めたら、危険はより増すことになるだろう。増殖炉の場合、原子炉の一部として、15%、20%、あるいは60%にまで濃縮された容易に核分裂する放射性同位体を含んだ核燃料を必要とする。この種の燃料は、さらに濃縮することなしに初歩的な核兵器製造に使用しうる。
いったん技術が開発されてしまったら、「パンドラの箱」の中にそれ(=核兵器)を戻すことはできないとよく言われる。しかし、核技術に関しては、それをやってみなければならないのだ。人類の長期にわたる生存は、この選択にかかっているのかもしれない。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
translated by Katsuhiro Asagiri, Japanese editor of IPS and its partner (IDN) articles, providing additional information of relevance for Japanese readers.
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