地域アフリカ|リビア|裏路地(Zenga Zenga)に追い詰められているのは誰か?

|リビア|裏路地(Zenga Zenga)に追い詰められているのは誰か?

【アブダビWAM】

「ムアンマール・カダフィ大佐がリビア国内の革命勢力を家から家に、路地裏から路地裏(Zenga Zenga)へと徹底的に追い詰めると脅迫しているテレビの映像(記事の下に添付したYoutube映像参照)は決して忘れないだろう。」とあるアラブ首長国連邦(UAE)紙の編集長は語った。

事実、この映像はウィルスのようにソーシャルネットワークやユーチューブを通じて急速に世界に広まった。そして政治的イベントとしては前例のないほど、歌や映像クリップに加工されて大々的に扱われたのである。もちろん、カダフィ大佐の言っていることを真に受けるのではなく、あくまでもジョークとして軽いノリで扱われたのは言うまでもない。そしてこのようなイメージこそが、アラブ地域や国際社会が捉えているカダフィ大佐の真の姿を投影したものである。カダフィ大佐はピエロのような存在とみなされてきた。人々がアラブサミットの中継番組を見るためテレビの前に座り、カダフィ大佐の演説に耳を傾けたのは、このピエロが次に何を言うか、一種の娯楽として関心を払ったにすぎない。従って誰も、とりわけこの20年間について、カダフィ大佐の言動を真面に受け止めたものはいない。

 「そしてピエロがいれば、舞台と観衆がつきものである。カダフィ大佐には常に観衆がいた。そしてその中には、事実、彼が独裁者になるのを助けた世界の指導者たちがいたのである。彼らは自分たちが支援している人物がテロリストであり、リビアを暗黒時代に率いていくのを認識していた。」とガルフニュースのアブドゥル・ハミド・アーマッド編集長は8月31日の論説の中で述べている。

こうした指導者たちは、カダフィ大佐がロッカビー事件(パンアメリカン航空103便爆破事件)への関与を認めた(リビア公務員の関与を認め事件の責任を負うとした:IPSJ)にも関わらず、数十億ドルの賠償金支払(総額27億ドルの補償に加えて米国人遺族への補償として15億ドルを米国政府に支払った)や、(イラク戦争勃発後の)核計画放棄を評価し関係の修復を図り、カダフィ大佐が「ピエロ的な栄光の座」に居座り続けるのを助ける役割を果たした。

英国、フランス、イタリア他の国々の指導者達は、カダフィ大佐のもとに外交使節を派遣し、様々な取引を持ちかけプロジェクト契約をとりつけた。その間、暗闇に覆われているリビア国民のことは完全に忘れ去られていた。この状況は、かつてのサダム・フセインの場合と類似点はないだろうか?-実に酷似しているのである。

しかし今は、「家から家に、路地裏から路地裏(Zenga Zenga)へと」隠れているカダフィ大佐に話を戻そう。カダフィ大佐は、もしリビアからの脱出に成功していないとすれば、遅かれ早かれ捕まるだろう。その状況もサダム・フセインが穴に隠れているところを発見されたのと類似したものになるかもしれない。もしそうして捕えられたとしたら、カダフィ大佐が最近の演説で連発していた「ネズミ」とは、リビア民衆ではなく、彼自身ということになるだろう。

革命勢力は生死にかかわらずカダフィ大佐の身柄の確保を目指しており彼の首に170万ドルの懸賞金をかけた(ちなみにサダム・フセインの懸賞金は2500万ドルであった)。ではカダフィ大佐の額はどうして170万ドルしかないのだろうか?それは経済危機が影響しているのかもしれない。サダム・フセインは裁判にかけられた。リビア暫定国民評議会ムスタファ・アブドゥル・ジャリリ議長はカダフィ大佐の生死を問わないとしているが、それでは単なる復讐であり、正義の執行にはならない。カダフィ大佐が自殺でもしない限り、フセイン同様に法の裁きを受けさせるべきである。

ピエロに話を戻そう。カダフィ大佐は西側諸国の銀行口座に2000億ドルの資産を残した。一方、リビア国民の5分の1は貧困ライン以下の生活を強いられており、10人に1人は文盲である。そしてカダフィ大佐の長年に亘った革命と恐怖政治の下でどれほどの命が奪われたかは神のみぞ知るである。

他のアラブ指導者と異なり、カダフィ大佐には、自国を国民にとって真の楽園にするチャンスがあった。リビアは世界屈指の豊富な石油資源(アフリカ最大)に加えて人口が600万人余りと比較的少なく、さらに輸出先市場となる欧州に隣接していることから輸送コストも安価に抑えられる立地を備えており、カダフィ大佐はその気になればこの国を先進国へと変貌させることも可能であった。よく知られているように、カダフィ大佐が国民にもたらしものは騒乱と暗黒時代だった。にもかかわらず、リビア国民にためになる改革を行うようカダフィ大佐に圧力をかけようとする動きは国際社会に見られなかった。

それどころか国際社会が当時とった方針は、カダフィ大佐が西側諸国の欲望を十分満足させる限りにおいてカダフィ大佐と取引をするというものだった。つまり誰が本当のピエロだったのか、どちらがどちらを笑っていたのか本当のところは分からない。ただし私が確信を持って言えることは、少なくとも、カダフィ大佐は自らの利益と政権を守ることにのみ執着したピエロであり、世界は彼の観衆であったということである。そして、誰の目にも明らかなとおり、リビア国民はそうした彼の圧政の犠牲者であった。

西側諸国はリビア国民の人権、民主主義、自由について完全に忘れていた。どの国々もカダフィ大佐が独裁者であることは知っていたにもかかわらず、リビア国民が払わされる代償を顧みることなくカダフィ大佐を受け入れたのである。

こうした中、カダフィ大佐は益々大胆、横柄かつ残虐さの度合いを増していった。この段階になると、もはや倫理など存在しなかった。もし政治に倫理が伴わなければ、そこに生まれるのはカダフィ大佐のようなピエロ達である。カダフィ大佐というピエロと彼の観衆たちによって解き放たれた騒乱に翻弄されてきたリビア国民が、今後は路地裏から路地裏(Zenga Zenga)へと追われるようなことにならないよう願うばかりである。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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