SDGsGoal4(質の高い教育をみんなに)|国際女性デー|忘れられているボスニアの性的暴行被害者

|国際女性デー|忘れられているボスニアの性的暴行被害者

【ベオグラードIPS=ヴェスナ・ペリッチ・ジモニッチ

産まれたときは、娘の姿など見たくもなかった・・・でも出産の翌日娘をこの胸に抱いたときこの世で唯一かけがいのない美しい存在であると実感し、手元に置き育ててきた」 

サラエボの若き映画監督ヤスミラ・ジュバニッチの心揺さぶる映画『グラバビツァ(Grbavica)』の中で、ボスニア人ウエートレスのエマは13歳の反抗期の娘サラを手元に置いて育てた経緯をこのように話す。映画は、今年のベルリン国際映画祭で最優秀映画に与えられる金熊賞に輝いた。

 医学生であったエマは、1992年、ボスニア紛争最中のサラエボのグルバビツァ地区にある自宅でセルビア人兵士に暴行され妊娠した。しかしエマは、娘のサラには、父親はボスニア人イスラム教徒で、殉教者「シャヒード」としてサラエボを守って亡くなったと話していた。 

しかし、サラが学校の遠足代免除のために父親の死亡証明書が必要となった時、恐るべき真実が明らかとなる。母子は打ちのめされ、言い争い、しかし暗い秘密に苦悩しながらも絆を取り戻す。 

だが、ボスニアの現実は映画のようにハッピーエンドではない。2月18日ベルリン映画祭最高賞を受賞したジュバニッチ監督は「ボスニアの性的暴行の被害者の試練は決して終わっていない」とベルリンの聴衆に語った。 

集団レイプの被害者は、家族からも友人からも疎んじられる。被害者のほとんどは、事実が知られると、白い目で見られ、社会から疎外される。 

レイプで生まれた子どもは、大半がボスニアや隣国のクロアチアの養護施設に送られる。まれであるが養子に迎えられる子もある。だがどの子も、両親について知らずに大きくなる。 

ボスニアのトゥーズラやゼニツァ、クロアチアのウラディミル・ナゾルやGoljakにある養護施設では、子どもたちの出自や居所を追跡していない。 

ジュバニッチ監督は、3月6日夜、セルビアの首都ベオグラードの地元映画祭の上映会で「今回のベオグラードでの上映が悪循環の終わりの始まりとなることを願っている。このシナリオの土台は、実際のところ、この地で書かれたのだから」と聴衆に語った。 

ボスニアのセルビア人勢力はベオグラードの支援を受け、イスラム教徒を中心とするボスニア人による独立の動きに抵抗する3年に及ぶ内戦の中で、イスラム教徒の女性に対し組織的な性的暴行を行なったと告発されてきた。セルビアではこの問題はタブー視され、そのようなことは起こらなかったと広く否定されている。 

「ボスニアの戦争の真実を知るため、率直に解明していく必要のある問題だ」と、人権活動家Natasa KandicはIPSの取材に応えて述べ、「数字の操作は真相解明に役立たない」と指摘している。 

1993年の戦時中のボスニア政府の文書では、性的暴行被害者は2万から5万人とされている。 

性的暴行は「人間としてもっとも恥ずべき退廃であり、屈辱的暴力行為であり、セルビア人の侵略政策」であると記されている。 

性的暴行被害者について、EU主導の委員会や国連(UN)報告書などの国際的な報告書は、大きく異なる数字を挙げている。EUは1993年に2万人と報告している一方で、1994年の国連報告書は150人未満としている。 

この国連報告書の数字は、ボスニア紛争における残虐行為を否定するセルビア人民族主義者によってしばしば引用されている。 

旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)は、イスラム教徒女性の収容所を設けていたボスニア東部の町フォツァおける性的暴行に対する罪で、ドラゴリュブ・クナラッチ、ラドミール・コヴァッチ、ゾラン・ブコヴィッチの3人に合計60年の禁固刑の判決を言い渡した。 

しかし年月とともに、問題は脇に追いやられ、数字は選択的に引用されるものの、被害者は完全に忘れられている。 

レイプ被害者の恐怖の生活について、Seada Vranicが『Breaking the Walls of Silence(沈黙の壁を破る)』を著わしている。Vranicは、レイプは10件に1件の割合でしか報告されていないと推論している。 

また、ボスニア中部のNGO、Medica Zenicaは、レイプ被害者の1~4%が妊娠したと1997年5月の調査報告書で述べている。 

Sarajevo Society for Endangered Peopleの責任者Fadila Memisevicは、現地メディアの取材に応えて「女性たちは2度にわたって被害者となっている。レイプされた時と忘れ去られた時」と語っている。 

ボスニアのメディアがこの話題を取り上げたのも、映画『グルバビツァ』がベルリン国際映画祭で受賞してからのことだ。 

「問題は今(映画以降)一気に注目を集めるだろう」と、クロアチアの新聞Vecernji Listの取材に応えたMemisevicは言い、「毎日レイプ被害者や子どもと面談しているが、子どもに真実を話している母親はいない。ここに社会が果たすべき役割があるが、ボスニア社会は明らかにその準備ができていない」と述べている。 

Memisevicは、問題にどう対処すればよいか、母親にアドバイスできる心理学者のチームもいないと指摘する。 

「労働社会福祉省は、そうした生まれの子どもが何人いるかも把握しておらず、母子とも社会ケアの対象とは考えていない」とMemisevicは言う。「昨年そうした子どものリストを作成しようとしたが、断念するに至っている」 

サラエボの確かな情報筋がIPSに語ったところによれば、昨年7月国連児童基金(ユニセフ)は、ボスニアでの性的暴行によって産まれた子どもたちに関する報告書を依頼したが、理由は不明のまま出版されなかった。 

結局のところ、戦争中の残虐行為は広く知られるようになったものの、性的暴行の被害者の多くは孤独だ。国に捨てられ、その経験に傷ついているだけでなく、貧困に喘いでいる。 

社会から疎外され、多くの場合夫に見捨てられ、その多くは働き口も見つからない。被害者は、悪夢、肉体的損傷、精神的障害などの苦悩に苦しみ、そうした苦難に対する補償を得ている者はほんの一握りしかいない。 

「現実の世界では、『グラバビツァ』のようなハッピーエンドはない」とMemisevicは言った。(原文へ)

翻訳=IPS Japan 浅霧勝浩 

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