【IDN東京=石田尊昭】
尾崎行雄の三女・相馬雪香さんと出会ったのは、1996年。
日本のNGOの先駆けとなった「難民を助ける会」の創設者であり会長、そして尾崎行雄記念財団では副会長(会長は時の衆議院議長)として指揮を執り、メンバーの精神的支柱でもあった相馬さんは、私にとって「雲の上の人」でした。
当時、相馬さんは84歳、私は24歳。
政界の御意見番のごとくテレビや新聞に登場し、時には国会議員を直接呼んで「叱咤激励」していた相馬さん。かたや、学業を終えたばかりで社会経験もろくに無く、口を開けば青臭いことばかり言う、孫ほど歳の離れた小僧・・・。
しかし相馬さんは、そんな私といつも正面から向き合い、真剣に議論してくれました。相手が大臣であろうが、小僧であろうが、相馬さんが投げかける「民主主義と平和」への強い思い、言葉は全く同じものでした。
相手が誰であろうと、分け隔てなく、「良いもの良い。悪いものは悪い」と真剣に語るその姿勢。それはまさに父・尾崎行雄がそうであったように「誰が正しいかではなく、何が正しいか」を常に考える相馬さんの強い信念からくるものでした。
出会った当初、「雲の上」の相馬さんにいつも緊張し、遠慮し、思ったことをなかなか口に出せなかった私に、相馬さんは痺れを切らして怒鳴りました。
「石田さん、言いたいことがあったらハッキリ言いなさい! あなたは私の『教え子』じゃなくて、日本の未来と、財団のやるべきことを一緒に考える『パートナー』なんですよ! わかってますか!」
それ以来私は、生来の気性もあってか、相馬さんに対して、言いたいこと、言うべきことは遠慮せずに言う、強く言う、強過ぎるくらい言うようになりました。すると、相馬さんから「倍返し」。私もまた「倍返し」――毎日のように「白熱した議論」をしていました。(他のスタッフからは、二人は「喧嘩」しているように見えていたそうです)
そんな日々が2年ほど続いた1998年。
いつものように相馬さんと、ああでもない、こうでもないと議論している時、なんとなく以前から(ぼんやりと)考えていたアイデアを口にしました。尾崎行雄の雅号・咢堂(がくどう)の名を冠した「咢堂塾」です。
相馬さんはすぐに興味を示してくれて、「具体的に聞かせて!」と言ってくれたのですが、「なんとなく」「ぼんやり」としか考えていなかったので、口ごもってしまいました。するとまた相馬さんの怒声が。
「石田さん、本当に大事なことは、思いつきで(思いついたまま)口に出すもんじゃありません! 自分の頭でよく練って、考え抜いて言葉にしなさい。そして、言葉にしたら、行動しなさい!」
その年、第1期「咢堂塾」が開講しました。
あれから20年。多くの支援者・協力者、講師陣、そして累計550名を超える塾生たちに支えられ、咢堂塾は今年「成人式」を迎えます。
不偏不党の咢堂塾。
異なる意見・主義主張にも触れながら、「誰が正しいかではなく、何が正しいか」を自分の頭でしっかりと考え抜く。
「独り善がり」や「思い込み」でないか――常に自らの信念を見つめ直し、磨き、強くしていく。
そして日本のため世界のために何ができるか――自ら志を立て、「できることから始める」。
尾崎行雄と相馬雪香の「心の力」「言葉の力」「行動する力」を身につけ、有権者として、地域リーダーとして、政治家として、NGOとして、会社員として、学生として、それぞれの立場・分野で、「できることから始める」。
相馬雪香さんの遺志・哲学をしっかりと受け継ぎ、この5月から第20期「咢堂塾」が始まります。
INPS Japan
*石田尊昭氏は、尾崎行雄記念財団事務局長、INPS Japan理事、「一冊の会」理事、国連女性機関「UN Women さくら」理事。
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