尾崎行雄は、1890年の国会開設とともに衆議院議員に選ばれ、以後、連続当選25回。没する前年まで国会議員を務め、生涯現役を貫きました。軍国主義が一世を支配するに及んでも、平和の信念を曲げず軍縮を説き続け、命を狙われたことも一度や二度ではありません。
その尾崎が残した言葉――「人生の本舞台は常に将来に在り」。
これは、憲政記念館(旧尾崎記念会館)に建てられた石碑にも刻まれています。尾崎は76歳のとき、三重を遊説中に風邪をこじらせ中耳炎を併発。心身共に疲弊する中、この言葉が浮かび上がったといいます。「昨日までは人生の序幕に過ぎず、今日以後がその本舞台。過去はすべて人生の予備門で、現在以後がその本領だと信じて生きる」―という人生観です。
尾崎曰く、「知識経験は金銀財宝よりも貴い。しかるに世間には、六、七十歳以後はこの貴重物を利用せずに隠退する人がある。金銀財宝は、他人に譲ることが出来るが、知識経験は、それが出来ない。有形の資産は、老年に及んで喪失することもあるが、無形の財産たる知識経験は、年と共に増すばかりで、死ぬ前が、最も豊富な時である。故に最後まで、利用の道を考えねばならぬ。」(1935年「人生の本舞台」より)
知識や経験は、年を重ねるたびに増えるものです。そして昨日までに得たものを、今日以後に生かす。昨日は今日のための、今日は明日のための準備・訓練期間だということです。たとえどんなに大きな悲しみ、後悔、迷い、悩みであっても、考え方・生かし方ひとつで、次の一歩を踏み出すための大きな「糧」となります。
この度の震災で被害に遭われた方々に対して、このような言葉を今の段階で軽々しく持ち出すべきでないことは重々承知しています。まずは、心の整理と癒しが必要でしょう。しかし同時に、常に明日を見つめ、そこに希望の光を見出すことで人は強くなれると信じています。今この瞬間は、明日のため、未来のためにある――その前向きな思いこそが、被災地の復興と日本の再生に向けた一歩に繋がるのではないでしょうか。
石田尊昭(IPS Japan理事)
*原文は月刊『世論時報』5月号(世論時報社)に、「明日への希望」というタイトルで掲載されたものです。
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石田尊昭ブログ「永田町の桜」
今年もまた、桜の季節がやってきました(原稿執筆時は4月6日)。この時期、毎年ニュースになるのが、米ワシントンにあるポトマック河畔の桜並木です。1912年、当時東京市長を務めていた尾崎行雄(憲政の神。1858~1954)が、ヘレン・タフト米大統領夫人の要望を受けて寄贈したものです。日米友好の証として、ワシントンの春を彩る3000本の桜は、来年で100年を迎えます。
今、日本は未曽有の大震災に見舞われ、社会全体が大きな不安感に覆われています。被災地の惨状と、避難所で厳しく辛い生活を強いられている方々を思うと、胸が苦しくなるばかりです。このような非常時に、いきなり桜の話題を持ち出すなど「不謹慎」と思われるかもしれません。
しかし、桜を贈った尾崎の信念に触れて頂くことが、被災地の方々をはじめ、社会全体が少しでも元気を取り戻せる一助になるのではないかという思いから、あえて取り上げました。