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|タイ|製薬大手が供給を拒む新エイズ薬

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール
 
タイのエイズ患者にとって暑さと湿度はもうひとつの敵である。エイズ薬は冷蔵しなければならないからだ。そのため熱帯の常温である30度でも保存できる新薬開発のニュースは喜ばしいものだった。だがタイのエイズ患者はまだその薬を入手できないでいる。

国境なき医師団(MSF)によると、ロピナビル/リトナビルの新薬を開発した米国の製薬大手アボット・ラボラトリーズ社が問題となっている。「アボット社はタイには旧薬があるとしてタイへの供給を拒否しているが、欧州と米国では新薬を旧薬に交換するというダブルスタンダードを用いている」とMSFで医薬品入手を担当するネイサン・フォード氏はIPSの取材に応じて語った。

 MSFはアボット社がエイズ問題に取り組む姿勢を批判し、かつて南アでエイズの第一選択薬を安価に入手できるようにしたように、タイでの新薬入手を可能にしようとしている。フォード氏は「新薬を製造する会社が一社だけで、ジェネリック医薬品がないことが典型的な問題だ」という。タイのエイズ支援組織も、「第一選択薬が効かなくなり第二選択薬に期待するしかない患者も多いため、アボット社の新薬の入手か、政府製薬機構(GPO)による製造を認めてほしい」と訴える。

タイはエイズ拡大を食い止めることに成功し、患者の治療が進んでいる国のひとつである。GPOが安価なジェネリック医薬品を製造しているため、患者の治療費は1ヶ月当たり1200バーツ(約3500円)である。一方で第一選択薬に耐性ができてしまったために求められる高価な新薬の価格は患者1人当たり年間35万円となる。

世界保健機関(WHO)バンコク事務所のウィリアム・オルディス氏は、「新薬への切り替えでタイ政府のエイズ治療プログラムのコストは年間3800万ドルから5億ドルへと跳ね上がる」という。国連合同エイズ計画(UNAIDS)によると、エイズの第二選択薬の問題はタイだけではなくエイズに取り組む他の国にも共通し、今後広く議論していかなければならない。

新薬は保存が容易というだけでなく服薬量が少なく食事制限を伴わない。この新薬が利用できれば、多大な効果をあげるだろう。現在のところ入手の難しい新しいエイズ治療薬について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan


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|ネパール・インド|「性産業」犠牲者の声なき声:売春宿から1人でも多くの犠牲者を救いたい 

【カトマンズAPIC=浅霧勝浩、ラムヤッタ・リンブー】

私は当時22歳で、長距離トラックの運転手をしている夫と生後数カ月の娘の3人家族で、慎ましいながらも幸せな生活を送っていました。当時の夫の仕事は、荷物を遠くカトマンズやインドのダージリンにまで運送するものだったので、一度の仕事で、数日は家に帰ってこられませんでした。私は、娘の面倒を見ながら、道端に屋台を設けてお茶を商っていました。

そんな私達の日常が突然狂わされたのは、夫が仕事で留守中のある日のことでした。幼い娘が突然肺炎に罹り、村のクリニックに連れていったところ、抗生物質がないので、何とかカトマンズの病院まで行くしかないと言われたのです。私の村からカトマンズまではバスで7時間の距離でした。途方にくれていると、夫の運転手仲間と知人が「カトマンズよりもインドのパンタにいい病院がある。望むなら子供をすぐに乗せていってあげよう」と申し出てくれました。

私達親子は藁にも縋る思いでその運転手の車に乗せてもらい、インドを目指しました。ところが、国境を越えるとその人物は豹変し、私達親子を人買いに売り払ったのです。私達はその仲買人に、インド国境の町からムンバイのKamatipura地区にある売春宿まで連れて行かれ、そこで親子で約200ドルで転売されました。ムンバイは私には初めての土地だったし、ネパール語しか話さない私は、自分の存在を証明するものを何も持っていませんでした。 

 売春宿に到着するとすぐ私は愛する娘から引き離されました。売春宿の男達は「娘を返して」と必死に抵抗する私を殴りつけ、強姦したうえで、「借金を返すまで『性奴隷』としてここで働くか、娘の命を諦めるか好きなほうを選べ」と脅迫してきました。娘の命を守るため、売春婦になる道を選択するしかありませんでした。

売春宿で私に与えられた仕事場兼住居は、染みだらけの等身大のマットレスより若干大きなスペースのみで、病院のカーテンのようなものでかろうじて仕切られた空間で客をとらされました。そこには当時13人の少女達が監禁されており、皆私のように騙されて連れてこられたネパール人の少女達でした。生き地獄の中で、同郷の彼女達に囲まれていたことが唯一の心の慰めでした。

それから2年間、「Pleasure:快楽」という名の下に、毎日20人近くの男性を相手に、言葉では説明できないような行為を強制されました。最初のうちは、売春宿のオーナーに「なんとか娘に会わせてほしい」と繰り返し懇願しました。しかし、その話を持ち出すと、必ず激しく怒鳴られ、殴りつけられました。私はそのうち懇願するのをやめ、代りに、娘の笑顔を心に思い浮かべながら「きっとこの地獄を生き抜いて娘を取り戻す日がくる」と自分に言い聞かせることにしました。

その後、私を逃がしてくれるという客が現れたこともありましたが、娘の身の上を考えて断りました。そんなある日、通りで皿洗いをしている女性が親しく声をかけてくれるようになり、私の娘を探し出してくれると約束してくれました。私はひたすら日々の生活を耐え、祈り続けました。 

そしてこの地獄から解放される日がやってきました。「MAITI NEPAL」というNGOが、警察と合同で私達のいる売春宿に踏み込んでくれたのです。そしてその日は、奇しくもあの皿洗いの女性が約束を守って、私の愛する娘を連れてきてくれた日だったのです。2歳半になっていた娘は、体中傷だらけで皮膚病に犯され、まだ話すこともできませんでした。でも、生きて再会することができたことを、神に心から感謝しました。MAITI NEPALは私達親子をシェルターに受け入れてくれたほか、私達に代って夫を探してくださり、お陰で数カ月後に、カトマンズで親子3人再会を果たすことができました。

私はその後、MAITI NEPALのフルタイムスタッフとして夫と共にムンバイに戻ってきました。私達はMAITI NEPALのスタッフや心あるインドのボランティアと共に、かつての私達親子が経験した境遇にある娘達を見つけ出し、救出するために日々活動しています。娘は、今は6歳になり、私の故郷で母に育ててもらっています。娘には4~6カ月おきに会いに行っています。

私がムンバイに敢えて戻ってきたのには多くの動機付けがありましたが、その中でも最も大きなものは娘の存在でした。彼女はMAITI NEPALのお陰で、今は母の下で普通の人生を夢見て生きていくことができます。しかし、私達のように救出を待っている人達はまだたくさんいます。彼女達の娘達には、売春宿で育ち、いずれは売春宿のオーナーに母と同じ「性奴隷」として引き渡される運命が待っているのです。

私が売春宿で出会った不幸な娘達–14歳までに12回も堕胎手術を受けさせられた娘、わずか8歳で売られてきた娘、売春宿のオーナーに接客を拒否して陰部に硫酸を撒かれて拷問をうけた娘、激しい拷問と殴打で酷い姿にされた娘、胸や乳首に煙草の火を押し付けられて接客を強要された娘–世間は私達を売春婦として軽蔑し無視する。彼女達の痛みがわかる私達が立ち上がらなければ、世界の誰も彼女達を助けてはくれないもの。

Maiti Nepal/ photoby Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan
Maiti Nepal/ photoby Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan

私は決して「犠牲者」として見られたくはありません。私は、この人間の尊厳を踏みにじる人身売買を根絶するためにはいつでもこの命を捧げる覚悟をもつ「Activist:活動家」、あるいは人身売買の「生き残り」としての気概を持ってこの問題に取り組んでいくつもりです。


Kamatipura:
世界有数の歓楽街で、地元では「Cages:かご」と呼ばれている。ここで売春婦達は施錠された檻の中での生活を余儀なくされており、外から見ると「かご」に見えるところからその呼称がついたと言われている。マイリは、肌の白いネパール人少女達が多く売春を強要されていると言う。 

マイリ親子の場合、救出後、夫との再会を果たせたが、MAITI NEAPLが保護した少女達の中には、家族に引き取りを拒否され、村に帰ることもできない娘達も少なくない。ましてや、配偶者が受け入れるケースは極めて稀である。


(ネパール取材班:財団法人国際協力推進協会浅霧勝浩、ラムヤッタ・リンブー)

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レバノンの激震に動揺広がるシリア

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【ダマスカスIPS=ダール・ジャマイル】

イスラエルとレバノンの民兵組織ヒズボラとの報復合戦が激化する中、シリアの人々はイスラエルのレバノン空爆に怒りを向けている。

「ガザ、西岸そして今はシリアでのイスラエルの行動を非難しないシリア人は見つからないだろう」とIPSの取材に応えて語ったのは、60歳の元ジャーナリストで広告コンサルタントのIbrahim Yakhour氏だ。彼は、シリアの政党はこの30年間中東の平和的政治プロセスを呼びかけてきたが、「人々が侮辱され、攻撃され、殺害されれば、過激な反応が起き、政治的プロセスは阻害される」と述べた。

 ダマスカスの人々は、また、地域戦争がシリアにも広がることを恐れている。45歳の文芸評論家Emad Huria氏は、「今や地域全域が巻き込まれている。すべてのアラブ人はイスラエルのレバノン侵攻に非難の声を上げるべきだ」と述べた。

ダマスカス市内の時計店に働く35歳のMaher Skandyran氏は、「イスラエルに収監されているパレスチナ人の95%は女性や子どもを含む罪のない一般市民だ。これについてもの言う人はいない。しかしイスラエル兵3人が拘束されたら、これは重大犯罪で、皆が激怒している。これが正義なのか」と言い、イスラエルのダブルスタンダードに人々が憤慨しているのだと述べた。
 
 55歳の商人Faez Ashoor氏はIPSの取材に応え、「今起きていることはすべて、イスラエル人がパレスチナに侵攻・占拠し、土地を奪取しているという重大問題を浮き彫りにしている。このような状況が終結すれば、平和が訪れる」と述べ、レバノン問題の根はパレスチナの占領にあると示唆した。

さらには怒りを必然的に米国に向ける人もいる。ダマスカス市内で携帯電話販売店を経営する26歳のHamad al-Khatib氏は、「レバノン、イラク、パレスチナなど隣国への攻撃に憤慨している。イスラエルは国際法などおかまいなしだ。アメリカは平和な国だと思っていたが、女性や子どもを殺しているイスラエルを支持するアメリカをどう思えと言うのか」と語った。

6年ぶりのイスラエルのレバノン侵攻に、自らについても不安を深めているシリアの市民の声を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|ケニア|農産物に価値を付加して収入確保

【ナイロビIPS=ジョイス・ムラマ】

東アフリカのケニアでは、政府統計によると国民の8割が生活の糧を直接農業から得ている。しかし、農作物に価値を付加することができないため、思うような収入を上げることができずに困窮する農民も少なくない。

「アフリカ人造り拠点」は、このような農民の苦難を克服するために技術支援を行っている。これはケニア、ウガンダ、タンザニアの3カ国と日本政府が支援する独立行政法人国際協力機構(JICA)の合同プログラムである。

AICADはケニアの首都ナイロビの北ジュジャ(Juja)所在のジョモケニヤッタ農工大学に本部を置き、技術開発によるアフリカの貧困削減を目的に活動している。

 AICADは付加価値の技術研修を昨年11月より始めている。今までにケニア、ウガンダ、タンザニアの農業従事者に研修を行い、現在2回目の研修を計画中。AICADの研修責任者ジェーン・ケンボ(Jane Kembo)氏によれば、各国から30人ずつがプログラムに参加した。

農産物の付加価値は、より値段が高く、品質保持期限の長い製品に加工することであり、生産者の収入増加が見込まれる。たとえば、牛乳をチーズやバターなどの製品に加工する。

開始間もないAICADプログラムは、すでに利益を生んでいる。

「2度にわたる調査活動で、6割の農家が3割以上の収入増を記録している」とケンボ氏はIPSの取材に応えて語った。

「成功談は多い。サヤエンドウなどの農産物加工研修を受けた農家の中には、1回の収穫から120万ケニア・シリング(16,200ドル)を得た者もいる」

しかし一方で、成功は新しい問題をもたらす。

ケニアのエガートン大学テゲメオ農業政策開発研究所(Tegemeo Institute of Agriculture Policy and Development at Egerton University)のジェームズ・ヌヨロ(James Nyoro)所長は「農作物に価値を付加すると農家は生産者ではなく加工者となり、地域のみならず世界中から輸入される製品との競争に巻き込まれる」と指摘。

ヌヨロ氏はアフリカ東部の道路、鉄道網の不備を挙げ、「ケニアではインフラストラクチャと通信技術が不備なため、農家は価値不可に要する高額な電力、輸送費を負担しなければならずビジネスのコストが高い」と説明する。

ケンボ氏も「農家には生産を支えるインフラが必要。増産を促しておきながら、農場で作物を腐らせるようなことがあってはならない」と言う。

この問題を回避する1つの方法は、農家が協同組合を作って加工所を設立し、集団で電力・輸送費を負担することである。

これを実践しているのが中部ギツンガリ(Githunguri)の酪農協同組合。組合指導で幾つかの農家集団が低温殺菌牛乳、ヨーグルト、チーズの加工工場を設立し、製品を国中のスーパーマーケット・チェーンで販売している。

しかし、電力・輸送費問題を克服しても、生産者には重税政策の難題が降りかかる。

「価値を付加したとたんに加工業者とみなされて、工業化関連政策の重税の対象となる」とヌヨロ氏は指摘する。

内閣には価値付加を奨励する政策が求められるようになり、ケニア当局もこれに応える意向。

昨年ナイロビで開催された農産物への価値付加に関するワークショップに提出された政府報告書では、加工に使用される輸入品の免税、工場機器への投資支援を検討している。

製品加工の立ち上げに必要な信用を得ることができない問題も指摘されている。一方、豊かな国の農業補助金も問題である。アフリカの農家は製品に価値を付加しても、先進国の農産加工品と同程度まで価格を下げて競争することは困難である。

「アフリカの農家にのしかかる製造コストは高く、自国の農家に補助金を与える欧米諸国の製品と競争することはできない」とヌヨロ氏は言う。

ドーハ・ラウンドでは豊かな国が農業補助金の排除を拒否し、合意形成の大きな障害となっている。

開催中のジュネーブの閣僚会議でも先進国と途上国は農業保護政策で対立を続け、6月29日には、アメリカが大幅な補助金削減に応じない限りインドが離脱も辞さない姿勢を示した。

2001年にカタールのドーハで始まったドーハ・ラウンドは、途上国の経済成長促進を主要目標の1つとして掲げている。当初2004年に終了の予定が、本年末まで延長されている。 (原文へ

翻訳=IPS Japan

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【リオデジャネイロIPS=マリオ・オサヴァ

1年間の南米の旅が1人の日本人大学生・定森徹さんの運命を変えた。数十年前のエルネスト・チェ・ゲバラの有名な南米旅行を思い起こさせる。定森さんは帰国し、電子工学学士号を取得したが、彼の夢にはもはやソニーや松下電器への就職は含まれていなかった。

南米と裕福な日本や米国とのあまりに対照的な状況、そして南米の町に溢れるストリートチルドレンの姿は、1950年代にペルーのアマゾン流域にあるハンセン病コロニーで医療に当たったチェ・ゲバラが受けたと同じ衝撃を定森さんに与えた。

しかし、アルゼンチン人のゲバラが南米の社会政治改革を目指して武器をとったのに対し、定森さんはまったく別の道を選んだ。サンパウロの貧民街での平和的な社会活動である。当初1年であった彼のブラジル滞在はいまや14年目に入り、この3年間は、アマゾンの奥地マニコレ市で過ごした。

11年間サンパウロや貧しいブラジル北東部の州セアラでデイケア・センターや巡回診療所の設置、孤児や母子家庭のケアに携わった定森徹さんは、日本のNGO、 HANDS(Health and Development Service)に雇用され、マニコレ市の地域保健向上プログラムの運営に当たった。

IPSの取材に応えたマニコレ市のエルヴィス・ロベルト・マトス保健局長によれば、この3月に2年半の事業を完了したこの地域保健向上プログラムで、総数150人のコミュニティ保健ワーカーが、住民に基礎保健サービスを提供するための研修を修了した。

衛生、幼児の健康、水処理などのテーマを取り上げた研修は、毎月2日間の期間で実施された。このような短期集中方式がとられたのは、広く分散しているコミュニティ保健ワーカーがマニコレ市に集まることもひとつの大きな課題であったからである。彼らの3分の2は遠隔地に暮らしており、交通手段は船しかなく、研修に参加するには「ほぼまる1日かかることもある」と保健局長は説明した。

HANDSがリソースを提供したこの研修プログラムは、日本の国際協力機構(JICA)の支援のもと、マニコレ市当局と共同で開発されたものである。

さらに、およそ60人が、ブラジル各地で25万人近くのボランティアを所管するカトリック団体Pastoral for Childrenのコミュニティ・リーダーとして研修を受けた。保健と栄養の分野での同団体の活動は、幼児の死亡率の大幅削減に貢献している。

「HANDSプロジェクトはとても重要です」と、Pastoralの地方コーディネーターを務めるシスター・ルイサ・デ・ソウサはIPSの取材に応えて述べ、「研修に加えて、保健ワーカーと子どもたちの世話をする人達の協力で、ケアも改善し、リソースの節約と有効活用につながっています」と語った。さらに、「遠隔地のコミュニティに市当局の人が行く時には、私たちが同行しています」とも語った。

54年にわたりブラジルの北東部およびアマゾン地域で社会事業に献身してきた76歳のこのシスターは、「働けるかぎりこの活動を続けて行きたい」と述べている。シスターは定森さんの活動について、「すべてコミュニティに尽くすためのものであり、自分のためではない」と、「人間愛溢れる」その活動を賞賛した。

マニコレ市の面積は48,282平方キロ、オランダあるいは九州の面積より15%広く、人口は公式の統計では38,000人とされているが、新たな大豆フロンティアである市の南部における農業の拡大によって今年人口は5万人にも達する可能性がある、とマトス保健局長は述べている。小規模農家が市の人口の半分以上を占める。

地域の収入基盤は、果物やマニオカなどの農作物で、次いで金鉱採掘、天然ゴム、ブラジルナッツ、木材である。

アマゾン流域で二番目に大きいマデイラ川流域に位置するマニコレ市は、水資源に恵まれている。しかし、住民は汚水やゴミで汚染された水路の水を飲料に使用しているため、この豊富な資源自体が、下痢や寄生虫など数々の子どもの病気の原因となっている。

水処理に関する研修が保健ワーカーの研修でなによりも不可欠、と定森氏はIPSの取材に応えて語った。たとえば、「味が悪い」として、塩素処理などなくてもやっていけると主張し、塩素処理を拒んできた住民たちだが、母親たちが徐々に理解するようになり、今では塩素が子どもの下痢の減少に役立つことを認識するようになったという。

プログラムの効果についてHANDSが実施した事前事後調査によれば、プログラム実施前には、家族の健康に保健ワーカーが重要な役割をしていると答えた人は、都市部の住民が12%、農村部の住民が74.3%であったのに対し、実施後はそれぞれ79%と94.9%に増大した。

また、保健ワーカーによる血圧測定が行なわれていると答えた回答者は、都市部では10%から75%に、農村部では51.5%から93.94%に増大した。

都市部の住民の数字が低いのは、社会基盤の相違にその訳がある。都市部の住民は病院や保健センターに行く傾向にあり、したがって保健ワーカーをそれほど重視していなかった。だが、こうした考え方が変わりつつあるということである。これに対し、農村部の住民は、ボランティアであるか政府の資金供与によるものであるかを問わず、「唯一の保健医療の提供者」として保健ワーカーへの依存が大きい、と定森さんは説明している。

定森さんは、現在、ヘルスケアを一層推進し、生活の他の側面にも積極的にかかわっていく新たなプロジェクトを進めたいと、HANDSの承認を待っているところである。そのプランとは、無線通信網を整備し、広く分散して暮らす住民が抱えるアクセシビリティの課題の一部に取り組もうというものだ。

市立病院に中央局を置き、農村のコミュニティに30台の送受信機を備える計画である。そのシステムを医師や看護師が利用して、基礎知識以上のものが必要とされる場合に保健ワーカーを指導したり、あるいは患者を都市に搬送する必要があるかどうかを判断する。

プロジェクトでは、また、患者輸送船用に3台の動力装置を供与し、マニコレ市の3カ所の「戦略的ポイント」に配備、緊急医療が必要な患者の搬送に活用する計画である。

マニコレの女性と結婚し、息子1人がいる定森さんは、また、農村部の教員に特別訓練を施し、正規の学校教育に保健科目を導入したいと計画している。

定森さんは、マニコレの経験を活かし、アマゾン地域の他の市町村にも同様のプログラムを普及したいと願っている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|タイ南部|マレー系住民への抑圧続く

【バンコクIPS=マルワン・マカン-マルカール】

仮にタイ政府が、情勢不安のタイ南部においてマレー系ムスリムの人心を掌握しつつあると考えているのならば、ルソー地区の警察署敷地外で7月20日に起こった抗議活動をまずよく見て、自らの夢の達成まではまだまだ道のりが長いということを認識すべきだ。 

サロ村から来た50名以上の人びとが、マレーシア国境に近いタイ最南端・ナラティワート県の同警察署前に集い、デモ活動を行った。報道によれば、同日早くに警察に拘束された4名の村人の釈放を要求するためであったという。その中には、ウスタッド(イスラム宗教の教員)である、アブドゥル・ラフマン・ハマさん(31)もいた。 

警察は、ハマさんの逮捕に50万バーツ(1万2,500米ドル)の懸賞金をかけていた。2年前にこの地域において起こった発砲事件に関連があるというのが警察の言い分である。南部に住む平和活動家ソウリヤ・タワナチャイさんはいう。「その発砲事件のことは聞いたことがありますが、本当の話かどうかわかりません。もっと情報が必要ですね。この地域では無実の人々が捕まることがありますから」。 

「こうした公然としたデモは、ムスリムの村人たちがいかに警察に対して不信感を持っているか示すものです」と語るのは、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)に勤めるタイ人研究者スナイ・ファスク氏だ。「以前にもこうした逮捕に対して同じような人々の激しい反応がありました」。 

南部3県において人口の約80%を占める、タイ最大のマイノリティのマレー系ムスリムと、タイ政府との間で溝が広がっている。現地で拡大する暴力を封じ込めるためにタイ政府が厳格な緊急事態命令を発してから1年が経った。 

タクシン・チナワット暫定政権は、2005年7月19日に施行された同命令の効力を延長する決定を今週下したが、この決定が強い批判を招いている。こうした命令は逆効果であり、すでに不安定な情勢をさらに悪化させるというのだ。 

「法外・略式・恣意的な処刑に関する国連特別調査官」のフィリップ・アルストン氏は、声明の中で、「治安部隊による暴力に対する免責は、タイにおいて継続している問題である。しかし、緊急事態命令によってさらに事態は押し進められ、免責がまるで公的な政策になってしまったかのようだ」「緊急事態命令によって兵士や警官が殺人の罪を逃れることができるようになってしまっている」と述べている。 

この厳しい法のまた別の望ましくない側面に関する批判もある。「ヒューマン・ライツ・ファースト」(本部:ワシントンDC)は、緊急事態命令1周年に合わせて発表した報告書で、次のように書いている。「命令は、容疑者による弁護士選任権と、逮捕された事実を家族に知らせる必要性という憲法上の保障をないがしろにしている」「命令によって、当局は容疑者を逮捕後、起訴せずに30日間収監できるようになった。これは、戒厳令下の7日間、一般刑事手続法における48時間よりもはるかに長い」。 

人権侵害を生み出すこうした風土に対する批判があやまりでないことは、タイ軍のある陸軍将官が4月に行った次の告白を見ればわかる。すなわち、マレー系ムスリムは、進行中の反乱行為の影にいる容疑者の名前を載せた当局作成の「ブラックリスト」を基にして逮捕されている、というのである。たとえば、昨年10月には、治安の乱れたナラティワート・パタニ・ヤラーの3県で4,000人近い名前がこの「ブラックリスト」に載っていた。 

マレー系ムスリムの容疑者はまた、暴力行為との関連について南部の警察署に通報するよう「招かれ」たのちに逮捕されることもある。今年5月の時点で、900名もの少年・成人男性が当局によって収監され、「再教育」キャンプに強制連行されていた。 

こうした法的なブラックホールは留置所における人権侵害を招きやすい、とHRWのスナイさんは言う。「『容疑者』の中には、暴力行為に加担したとの自白書に署名するよう圧力をかけられたり、留置所に連れてくるために地元の他の住民の名前を言わされたりする人もいるのです」。 

こうした逮捕や、失踪した人々の話を聞かされていると、ヤウィと呼ばれるマレーの方言を話しイスラム教という異なった信仰を持つマイノリティは、タイ語を話し仏教を信じるマジョリティに対して不信感を持つようになる。ソンクラ王子大学(パタニ)のウォラウィット・バル教授(マレー研究)は、「政府は物事を解決するのに暴力を使おうとしている。緊急事態命令はよくない」と述べた。「ここに住むムスリムの人々は、恐怖を作り出す緊急令など必要ないと感じている」。 

今週、タイ政府幹部は、身元不明の者による仕業である武装蜂起を鎮圧するために1年前に緊急法令が発布されたにもかかわらず、タイ南部における暴力行為は増加の一途をたどっていることを認めた。タイ政府は、暴力行為を引き起こしているとされるマレー系ムスリム集団の名前を定期的に公開している。 

『タイ・デイ』紙によれば、チドチャイ・バナサティディヤ副首相が、「状況は改善しておらず、これからも爆弾テロがあるだろう」と述べたとされる。「暴力をエスカレートさせる要因はたくさんあり、諜報活動の強化を考えている」。 

この紛争による死者数は、こうした暗い見通しを裏書きしている。タイ政府が緊急事態命令を発した時点で、2004年1月にムスリム系住民の多い県で暴力のサイクルが発生して以来、すでに800名以上が殺害されていた。しかし、今年7月中旬までに死者数は少しずつ増え、1,300名を越している。 

さらに、6月中旬には爆弾テロがこれまでにはない規模で起こった。50発の小爆弾が政府施設と検問所近くで爆発した。この事件により、身元不詳の反乱勢力が自らの能力を大胆に見せつけたと考えられている。南部3県には、3万人の重武装兵に加え、1万人の警察官と約1,000人の心理戦エージェントが展開している。軍隊は、検問所を設け、装甲車で山がちの地域を巡回している。 

このやまない暴力は、1902年以降伏在してきた紛争の最新の局面である。この年、シャム(タイの当時の名前)が、かつてムスリムのパタニ王国の一部であった南部3県を併合したのである。2004年1月の紛争の爆発は1990年代の小康状態の後に起こった。タイ政府はこの時期、70年代以来同地域で活動していたマレー系ムスリムの分離主義的な反乱勢力を封じ込めることができていると考えていた。 

マレー系ムスリムの学者であるウォラウィット氏は言う。「今日の状況は緊急事態法が施行された1年前と変わらず悪い。軍は、自らの望むことは何でもできる。政府は緊急令が機能すると考えているのだ」。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 


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「世界と議会」2006年7月号

特集:日本の危機管理-課題と展望

■講演
「国際水準から見た日本の危機管理」
小川和久(軍事アナリスト)

日本の国家戦略と危機管理
西川吉光(東洋大学国際地域学部教授)

危機管理の七十二時間―自治体公助と自助・共助の重要性
中邨章(明治大学副学長・大学院長)

■議員に聞く
前原誠司(衆議院議員・民主党)

■解説
日本の危機管理体制

■IPS特約
イラク:食べ物と同じぐらい大事な銃

世界と議会
1961年創刊の「世界と議会では、国の内外を問わず、政治、経済、社会、教育などの問題を取り上げ、特に議会政治の在り方や、
日本と世界の将来像に鋭く迫ります。また、海外からの意見や有権者・政治家の声なども掲載しています。
最新号およびバックナンバーのお求めについては財団事務局までお問い合わせください。

|エジプト|新しい報道規制法への抵抗

【カイロIPS=アダム・モロー

7月9日、報道の自由を規制する新しい法律がエジプトで成立した。これに対して、多くのジャーナリストや野党関係者が反対の声を上げている。

1996年に制定されていた現行法では、名誉毀損によりメディアの編集者や記者を逮捕する権限が認められており、独立のジャーナリストは長らくこの法律に反対してきた。同法では、名誉毀損に対して、最高で懲役1年・罰金5000エジプトポンド(約900ドル)の刑を科すことができた。

2004年2月、ホスニ・ムバラク大統領は、報道に関してジャーナリストの身柄を拘束することができなくするよう法改正することを表明した。しかし、その約束はついに守られることはなかった。

つい先月にも、独立派の週刊誌『アル・ダストゥール』(Al-Dustour)の記者2人が、大統領に批判的な記事を書いたとの理由で懲役1年・罰金1万エジプトポンドの刑を科せられたばかりである。『アル・ダストゥール』誌は、7年間の発禁処分の後、昨年ようやく販売再開が認められたばかりであった。

今回の新法では、政府がジャーナリストを拘禁する権限をあらためて認め、罰金の額を増している。対象となる罪には、大統領・議会・政府・外国元首などに対する批判が含まれている。

この立法に反対して、数百名のジャーナリストや野党関係者が国会議事堂の前で反対デモを行った。また、数十紙の新聞が、抗議の意味を込めて、日曜版の出版を取りやめ、政府発行紙の購入をボイコットするよう民衆に呼びかけた。さらに、すでに25の独立系・野党系新聞が、新法を無視することを宣言している。

エジプトにおける報道の自由の問題をめぐる争いについて報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|ネパール|国連は和平プロセス実現の救世主となるか

【カトマンズIPS=スーマン・プラダン】
 
ネパール政府は先週、国連に対して「マオイスト(毛派)との和平交渉を援助すること」を求める書簡を正式に送ったと伝えられている。そして多くのネパール市民も和平プロセスの実現に関して、国連の対応に大きな期待を寄せている。

しかし(まもなく暫定政府への参加も実現する)毛派は、国連への書簡が自分たちとの相談無しに行われたことで政府への怒りをあらわにした。毛派スポークスマンで対話団長のクリシュナ・バハドゥル・マハラ氏は「我々は書簡の内容も知らされていないし、合意もしていない」とIPSの取材に応じて語った。

 毛派の動きに詳しい情報筋の話では、毛派は暫定政府への参加前に武器管理を国連に委ねることについて慎重な構えを見せている。さらに毛派は、政府が暫定政府の確立に向けた努力ではなく、権力基盤を固めていると非難している。

一方、ネパール政府は毛派が11年におよぶ武装闘争を完全終結させてから中央政府へ参加するべきという強い意思のもと、政府軍と毛派双方の武器管理を国連に求めている。

7月の政府と毛派との間で合意された注目すべき条項には、国会と毛派支配地域の人民政府の解散、暫定憲法の作成と毛派を含む暫定政府の確立がある。ある政府関係者は「政府は7月の歴史的な合意で自ら窮地に追い込まれた。今回の国連への書簡は政府による毛派への『先制攻撃』である。国連が介入すれば、非民主的な支配を阻止する枠組が構築されるはずである」と述べた。

和平プロセスの進展を求めるネパール市民の期待をよそに、国連の関与をめぐる政府側と毛派との意見の相違について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー:IPS Japan

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表現の自由を求めるパキスタンのジャーナリストたち

【ペシャワールIPS=アシュファク・ユスフザイ】

ハヤトゥラ・カーン・ダワール氏の手錠をかけられ射殺体が発見されてから3週間後、同氏が拘束中に殺害されたことが明らかになったことで、アフガニスタン国境沿い地域で多発するジャーナリストへの攻撃の中止を求める人々の声が相次いでいる。

この国境付近の街に住んでいる人々の多くは、今回の殺害が同氏が写した(12月1日に北ワジリスタンの爆発で死亡したと伝えられている)エジプト出身のアルカイダ幹部、アブ・ハムザ・ラビア容疑者らが米軍ミサイルによる攻撃を受けたことを証明する写真に関係していると見ている。

 レーザー誘導の「ヘルファイア」地対空ミサイルの断片が写っている写真は、地元の新聞で公表された。このため、ハムザ容疑者らは「爆弾の製造過程で死亡した」とする軍の主張とは食い違う結果となった。ミサイル片には、(遠隔操作式の無人偵察機『プレデター』に搭載された)ヘルファイアミサイルを示す「AGM-114」の印があった。

このような国境沿い地域では現在も、アフガニスタンでの「対テロ戦争」をめぐるパキスタンと米国との協力強化は受け入れられていない。特に米軍が(ワジリスタンや他の国境付近に軍事拠点を置く)アルカイダの容疑者に対して、無人偵察機やミサイルの使用を開始して以降、この傾向は顕著になった。
 
 しかし、米軍による攻撃で一般市民の犠牲者を出すといった失敗も、いまだに後を絶たない。アフガニスタン国境に近いパキスタン部族地域バジャウルで1月に起こった『プレデター』による無差別攻撃で、女性・子供を中心に18名が死亡。この米軍による最悪の攻撃により、反米感情も一気に全国に広まった。

パキスタンは、特にアフガン国境沿い半自治地域(アルカイダ指導者ウサマ・ビンラディン容疑者を含む多くの過激派が2001年に米軍が武装勢力の掃討作戦を開始してから潜伏した場所)における米軍による領土進入に強く反対している。

地元新聞「Ausaf」およびEuropean Pressphoto Agency(EPA)の記者を勤めていたハヤトゥラ・カーン氏は12月5日、覆面の男たちに拉致された。彼の家族は同氏がパキスタンのISI(Inter Services Intelligence:統合情報局)で拘束されているとの知らせを受けた。さらに彼の兄、イサヌラ・カーン・ダワール氏は遺体にかけられた手錠が政府のものであると述べた。

ハヤトゥラ・カーン氏はこれまでも記事の内容に対して、イスラム原理主義組織タリバンから脅しを受けてきたが、今回、この団体は脅迫に関する自らの責任を否認したうえ、同氏の殺害への報復を宣言した。

ハヤトゥラ・カーン氏の遺体発見から1週間後、北ワジリスタンのMiranshahで配布されたウルドゥ語のパンフレットには、同氏が軍当局の姿勢に異を唱え、米軍ミサイルの写真を掲載したため、ISIや米国を支持するパキスタン軍に殺害されたと書かれていた。また、このパンフレットにはタリバン指導者アブ・ラシードの署名も付されていた。

いずれにせよ、ハヤトゥラ・カーン氏の失踪・殺害という衝撃的な出来事は、(国民会議の審議に対するボイコットを含む)パキスタンの記者同盟による一連の抗議行動への引き金となった。

一方、モハンマド・アリ・デュラーニ情報相はハヤトゥラ・カーン氏殺害を徹底調査することと、ペシャワール高等裁判所の下で独立司法委員会を設置することを正式に約束したため、この抗議行動は2週間前中止になった。

しかし司法委員会の秘密主義的なやり方は、政党の党員や人権擁護団体の代表者、ジャーナリストたちの間で疑惑を深めることになった。地元カイバル記者同盟のインティカブ・アミール氏は「非公開の審議は委員会の透明性に欠ける」と述べた。

高い評価を受けているHuman Rights Commission of Pakistan(パキスタン人権委員会: HRCP)は現在、今回の事件に関して遺体発見現場を訪れ、殺害に関する事実解明を進めるため、記者・弁護士・人権擁護団体の代表者などから構成される調査委員会の設置を検討している。

HRCPのA.R.レーマン委員長は、ジャーナリストは安全対策法や特別法などを認めないと述べた。そしてレーマン氏は先週の会合で「我々は憲法によりパキスタンの法律に従わざるを得ないが、今回ハヤトゥラ・カーン氏が誰に拉致・殺害されたのかは明白である」と語った。

レーマン氏は政府が公表したハヤトゥラ・カーン氏の家族への賠償について「我々は支払いを認めない。善良な市民を殺害し、その殺害に賠償金を支払うような法律を議会が通過させることはない」と述べた。

ハヤトゥラ・カーン氏の弟、ハシーヌラ・カーン・ダワール氏は「ハヤトゥラ・カーン氏は自らの命を犠牲にしてまでも真実を記事にしたことに誇りを感じている」とIPSの取材に応じて語った。19歳の弟は、兄が北ワジリスタンのMir AliにAl Hayatの模範校を設立したことを明らかにした。

悲しみくれるハヤトゥラ・カーン氏の妻は、夫が頻繁に秘密工作員に電話で呼び出されていたと語り、「失踪した日、彼に会いたがっている人からの電話がありました。私は何度も彼に会わないように言いましたが、それでも彼は取材に行くと言い出て行ったのです」と当時のことを振り返った。

6ヶ月に及ぶハヤトゥラ・カーン氏の失踪は、ペシャワールの記者たちによる抗議デモにまで発展した。さらに国境なきジャーナリスト、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)、アムネスティ・インターナショナル、ヒューマンライツ・ウォッチなどの国際組織を動かして、政府にハヤトゥラ・カーン氏の解放を保証する内容の声明を出すよう促した。

現在、5月に突然姿を消したTVジャーナリストのムケシュ・ルペタ氏の安否について不安が高まっている。同氏は、米国との協力関係を強めるパキスタン政府に反発する抗議デモの現場、米軍が進駐するジャコババードの空軍基地周辺で撮影を行っている間に行方不明になった。

ルペタ氏が働くGeo TVによれば、軍関係者は同氏が空軍基地を撮影したため拘束されたことを認めたが、政府側はいかなる関与も否定した。シンド県のラウフ・シディキ内相はカラチで抗議行動を展開するジャーナリストに対して「パキスタン政府はルペタ氏の情報を全く把握していないため、我々が同氏の行方を突き止めていくつもりだ」と述べた。

国際ジャーナリスト連盟(IFJ)は「パキスタン政府はルペタ氏の失踪を調査し、このような凶悪犯罪を犯した者を法に基づいて裁かねばならない」と声明を発表した。

ハヤトゥラ・カーン氏の場合も、政府は関与を否定した。軍スポークスマンのショウカト・サルタン将軍は「もし政府が関与していたならば、遺体は決して発見されなかっただろう」と述べた。

しかし、ペシャワールのジャーナリストたちは、軍が(タリバンやアルカイダを一掃するため)約8万もの軍隊を駐留させているワジリスタンで、ジャーナリストたちが活動することへの『警告』の意味を込めて、ハヤトゥラ・カーン氏の遺体に手錠をかけたのではという見方が強まっている。近年、武装勢力はアフガニスタン国内での攻撃を拡大している。ハヤトゥラ・カーン氏は過去2年間でワジリスタンの地で殺害された5人目のジャーナリストになった。(原文へ

翻訳=IPS Japan