地域アジア・太平洋アルカイダ、タリバン、そしてアフガニスタンの悲劇

アルカイダ、タリバン、そしてアフガニスタンの悲劇

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アミン・サイカル】

世界が今週末、9・11テロ事件の記念日を迎えるとき、他の二つの出来事も思い起こすべきだ。まず、ニューヨークとワシントンへのテロ攻撃の2日前である2001年9月9日、アフガニスタン軍司令官アフマド・シャー・マスードがアルカイダのエージェントによって暗殺された。マスードは、1980年代にはソ連軍と、次いで1990年代にはタリバン・アルカイダ連合と戦っていた。三つの暗い出来事の最後の一つは、1年前にアメリカおよび同盟国がアフガニスタンから撤退する中でタリバンが復権したことである。これらが合わさって、今日のアフガニスタンが陥っている混乱のもととなっている。(原文へ 

アルカイダによるアメリカ攻撃は前代未聞のものだった。同様に前代未聞だったのが、アメリカが対テロ戦争の最初の一撃として、また、極めて伝統的で社会が分裂し、経済的に貧困で、紛争で荒廃した国を民主化しようという試みとして行った報復的アフガニスタン侵攻だ。アフガニスタンは、1978年の親ソ連派によるクーデターの時点から、国内の脆弱性および諸勢力の権力闘争、そして、国外からの介入によって火に油が注がれる、血なまぐさい戦争の泥沼に陥ってきた。

マスードは、独立した主権を有する進歩的なイスラム国家アフガニスタンを目指し、カブールの北のパンジシール渓谷の拠点を要塞に変えた。最初はソ連とカブールにおけるその代理政権に対して、次いで、中世的な神権恐怖政治を打ち立てたタリバンに対してであった。タリバンは、パキスタンの支援を受け、またアルカイダと連携していた。マスードは、その勇敢さ、先見の明とそして戦略的な指導力によって、パンジシールのライオン、あるいは、サンディ・ゴールが近著で評するように「アフガンのナポレオン」として知られるようになった。マスードは、9・11の数カ月前に、アフガニスタンからのテロ攻撃の危険について欧米諸国に警告していた。彼はアルカイダの第一の標的となり、その2日後に実行されたアメリカに対するテロ計画の準備の一環として殺害された。

しかし、マスードのレガシーは彼と共に消え去ったわけではない。タリバン政府を転覆させ、タリバンとアルカイダの指導者と工作者をパキスタンに敗走させたアメリカの軍事作戦にとって、マスードが率いていた軍の協力は極めて重要だったと明らかになった。しかし、タリバンとアルカイダに勝利して彼らを排除することに失敗し、彼らのパキスタンとの繋がりを断つことができなかったことで、2年後に、テロリスト勢力が復讐のカムバックを果たすことを許してしまった。

ワシントンが9・11の黒幕オサマ・ビン・ラディンを追跡し、アフガニスタン侵攻をより広い意味の対テロ戦争に巻き込み、さらに民主化政策を進めようとした結果、アフガニスタンは変化・発展していくという、非常に困難な道のりを歩むことになった。これらの取り組みによって、アメリカおよび同盟国によるアフガニスタンへの関与は長引いて深みにはまり、また、対テロ戦争はアメリカによるイラク侵攻に繋がり、アメリカの資源がアフガニスタンからシフトしていくこととなった。民主化の試みは、ハミド・カルザイおよびアシュラフ・ガニ両大統領の下での無能で簒奪主義的なアフガニスタン政権を生み出した。

これら2人の指導者のいずれも、その他多くの有力者と同様、自己利益と権力闘争から自らを解放して、国民の統一と幅広い繁栄をもたらすことはできなかった。彼らはアフガニスタン国民を失望させただけでなく、アメリカとその同盟国にとって、その地域での実効的で信頼に足るパートナーとなることもできなかった。一方、その莫大な人的、物的資源の投入にもかかわらず、アメリカは、アフガニスタンとその近隣地域の複雑さについて正しい理解を欠いていたため、適切な戦略を進めることができなかった。大国が小さな戦争に負ける際の典型的な例で、アメリカはアフガニスタン国民を失望させた。タリバンとその支援者たちにとっては、これ以上願ってもない展開となった。

アメリカとその同盟国は、勝てない戦争から軍を撤退させることをとうとう決定した。アメリカで声高に戦争を批判していたドナルド・トランプ大統領が、見当違いで新保守主義的な共和党の信奉者であるアフガン系アメリカ人、ザルメイ・ハリルザドの助けにより、2020年、タリバンとの恥ずべきドーハ和平合意を締結するに至った。それは、なんらの見返りもなく、すなわち紛争についての実行可能な政治的解決はもとより、全面停戦すらなく、あらゆる外国勢力をアフガニスタンから撤退させるということだった。アフガニスタンは皿に乗せられて、タリバンとその国外の支援勢力に提供された。トランプの次の大統領となったジョー・バイデンは、お粗末ではあったが、とにかくそのプロセスを完遂し、タリバンが個人の指導に基づく神権的秩序を宣言する扉を開いた。そのタリバン指導者らの大半は依然として国連のテロリスト一覧に載っており、その一部はFBIの指名手配対象でもある。

ハリルザドおよびその他いく人かの考えの甘いアナリストたちは、タリバンは変わったと信じていたが、今や「ニュー・タリバン」などというものは存在しないことが明らかになった。タリバンは、恐怖政治を復活させ、女性そして神権的、抑圧的な統治に反対するあらゆる者を標的にしている。アフガニスタンにおける20年間にわたるリベラル寄りの変化と再建の取り組みによって、教育を受け、連帯感をもつ若い世代がより良い将来への希望と共に育ってきていたが、それらはすべて覆されてしまった。

アフガニスタンは、経済、財政、社会および文化の面で暗黒時代に突入させられている。人口の半分が飢餓に直面し、のけ者国家になってしまった。タリバンの排他性、民族至上主義および時代遅れの宗教性を特徴とする政治は、反米のスタンスゆえにロシアおよび中国にとっては魅力があるかもしれないが、アフガニスタンの状況は恐ろしいほどに忌まわしく、困難なものになってしまった。

マスード(彼を背景に欧米は冷戦に勝利したと『ウォール・ストリート・ジャーナル』は述べた)の理想は、自由で前進的な、多民族かつ熱心なイスラム国家たるアフガニスタンだった。この目標はいま難局に面しているが、けっして雲散霧消してしまったわけではない。高等教育を受け戦略的思考を身に着けた彼の息子、アフマド・マスードがそれを引き継ぎ、現在、タリバンに対抗する民族抵抗戦線(NRF)を率いている。NRFの兵士たちは、タリバン前の政府の軍および治安部隊のメンバーも含んでおり、再編成されてアフガニスタン北東部および北部の12州において展開している。NRFは、自由、公選された包摂的な政府および人権、具体的には、タリバンの非人間的で残虐な制約と懲罰の前に大変な勇敢さを見せた女性と子どもの権利の尊重を望んでいる、大半のアフガニスタン国民の希望の宝庫となっている。NRFの作戦は、アフガニスタン国内の他の一部地域でも育ちつつあるレジスタンスによって補完されている。

タリバンは、そうした政治にとって適任ではない。彼らは、啓蒙されたイスラム主義を受け入れるために自ら変わる様子もなく、内部で団結してもいない。反タリバン勢力が、国内的にも国際的にも合法的な、参加型の統治機構、および人権と女性の権利を尊重する、統一された主権国家アフガニスタンに向けて交渉できるようになるまで、欧米が彼らを支援することが不可欠だ。いかなる状況であれ、アフガニスタンの魂のための苦闘は続いていく。

アミン・サイカルは、シンガポールの南洋理工大学ラジャラトナム国際学院で客員教授を務めている。著書に“Modern Afghanistan: A History of Struggle and Survival” (2012)、共著に“Islam Beyond Borders: The Umma in World Politics” (2019)、“The Spectre of Afghanistan: The Security of Central Asia” (2021) がある。

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